山本山本佳宏 yanmo.jp

二十一世紀の未読(メルマガ)

赤い内定


くっさいくっさいエッセイ風に言えば、101日、内定式が終わって、赤ら顔で飲み会からの帰路につく黒や紺のスーツ姿の大学四年生を見かけるたびに、僕は相も変わらず、ぼんやりとした輪郭で自分の過去を思い出す。

 

あの日の僕は何を思ったか。

 

ほんの数日前までは出席するはずだった内定式を、自室で迎えた、あの日の僕は何を思ったか。


大きな岐路に立ち、選ぶとも選ばずとも、僕はどれかひとつの道に踏み出さざるを得ない。人生はレトロゲームのスクロールだ。じわじわ、じわじわ、画面は遷移して、通り過ぎた場所へ戻ることはできない。テレビ画面の外には帰れない。画面の端はじりじりと、僕たちの尻を前へ前へと押し出していく。どこへ押し出すのか。死に向かって押し出すのだ。


replaceable


誰にだってできる、代わりがいくらでもいるような事を、誰にでもできるレベルで行うことに、誇りとか喜びを感じることは難しいのかなと、ずっと考えておりました。

 

みなさんも薄々勘付いていらっしゃるとおり、僕たちは替えが利く存在です。自分でなくてはならないことはない。自分にできることは、他の誰かもできる。代わりはいくらでもいる。突然いなくなったって特に困らないし、何とかなる。

替えが利く、利かない、という感覚は、他人と関わりを持ちながら生きていく限りは付いて回ります。

とは言え、「自分は替えの利かない、特別な存在であると他人から認められたい、可能であればできるだけ多くの人に」という欲求から離れることはなかなかできない。そして人生の大半を、その矛盾、その乖離に心を奪われて過ごします。


5℃で死ぬ


上に一枚薄手のものを羽織り厨が湧く季節になりました。皆様におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

 

上に一枚薄手のものを羽織り厨は季節を問わず事あるごとに一枚羽織る一枚羽織ると言いたがって非常に耳障りなのですが、真夏の間だけは相手にされないので渋々黙っています。秋口に入れば今までの鬱憤を晴らすかのように上に一枚羽織る季節上に一枚羽織る季節と押し付けがましく鳴き始めますのでお気を付け下さいませ。お前の重ね着の枚数なんか知るか。ナンチャッテ重ね着の編み上げ英字Tシャツでも着とけと。

 


五輪


メールいくつか頂きましたので足早にお答えしておこうかと思います。

皆様いつもご感想ありがとうございます。拝読しております。

 

2020年東京オリンピック開催決定しましたね。

「やんもさんは東京でオリンピックを開催して欲しいと思いますか?」とのご質問も頂戴しました。

 

今日の僕たちは主に、『リアクションのみ』で生きています。寝転んでいる巣の中に、ゲロ状の栄養物がドバドバと引っ切り無しに降り注ぐ状態。腹が減ったら寝転んだままで口を開ければ事足りて、満腹になればまた口を閉じて寝る。

 

太郎を眠らせ、太郎の屋根にゲロふりつむ。

 

近いうちに僕たちはこのニュースのこともすっかり忘れます。何年も何年も前から、原発爆発以前も以後も、誘致活動は続いていた。そして僕たちはずっと寝ていた。ゲロの照射を受けながら。

 


ホテル暮らし


「ビジネスホテルって楽しいよなwwww」

http://nomad.ldblog.jp/archives/25036791.html

 

サラリーマンの方が、たまの地方出張などでビジネスホテルに宿泊すると、それはそれはテンションも上がることでしょう。

毎日のように津々浦々を飛び回り、ビジネスホテルにはこだわりがあるのよねという方もいらっしゃることでしょう。

一方で僕のように、数年間に渡って特に理由もなく同じビジネスホテルで寝泊まりし続けた方もいらっしゃるかもしれません。いや、理由がないわけではないんですけども。「いやいや、自分の家に帰れよ」というツッコミを受けがちなこの話は、以前もしたことがありますので省略いたします。

 


真・謝れよ


昔は、すぐにイライラするけどすぐに忘れる、分かりやすいバカタイプなんじゃないかと自己分析していました。

いつも申し上げております通り、自分で自分を分析することなど、他人を分析するのと同様に不可能なんですけれども、そんなことに気づきもせず、あの日の僕は。

当然のように、自分の中に、鈍重でおっとりしているくせに、後々までネチネチと引きずる面があることも発見しまして、自分の分析など意味がないと悟りました。性格なんてどうでもいいんですよ。自分のも他人のも。


紳士の社交場


以前Twitterで書いたことがありますが、

 

2chのまとめとか貼るのすごい嫌だけど、このネタは大好きなので貼る。

⇒ "アダルトコーナーでの紳士率は異常" http://lamsect.blog112.fc2.com/blog-entry-1111.html

 

このネタは、

http://rocketnews24.com/2013/03/19/305555/

このコラムから引っ張ってきたんだと思いますが、コラムよりまとめのほうが断然面白いですね。2chのまとめって、集合知の数少ない成功例のひとつかもしれない。集合知には神の存在が必ず必要であると示している。クソみたいな便所の神様もいれば、唯一神みたいなのもいるけど。矛盾してますか。矛盾はしてないけども、言い過ぎですね。

 


夏のつくりメール


例えば、放送作家の入門編と言いますか、基礎業務のひとつに、「つくりハガキ」「つくりメール」というものがあります。

業界用語() や裏事情() が大好きな方々にはとっくの昔から有名なものでございますが、読んで字のごとく、番組に届く視聴者からのハガキやメールを、『作る』、もしくは『創る』ことです。シンプルなやらせです。

 

つくりメールには、視聴者から届くメールが全部つまんない、もしくはキモイ常連からキモイメールしか届かないから紹介したくない、という消極的事情がある場合。そして、制作者が考えている演出をメールを使用して実現したいが、そのようなメールが来る偶然を待つようなギャンブルはできないので、事前に作っておく。もしくは、「もうメールがいっぱい届いてるよみんなも送って!」というメール応募の呼び水となるように作る、積極的事情がある場合。ふたつあります。


今週のジブリ


以前にも言ったかもしれませんが、日本国における、最後の『あるあるネタ』は、ジブリでした。

ジブリ作品以外で、世代を越えて全員一斉に盛り上がったり共通の話題を持ったりすることは、もうありません。

ジブリ以外のネタは、必ず「え?何それ知らない」「見てない」「興味ない」という人が一定数存在します。

それを許さないほどの、「みんな知っている前提、好きな前提」で話ができるのは、ジブリが最後でした。

つまり、今日のプロアマ問わずこの世にあふれる『あるあるネタ』は、全て局地的なムラ共感であるということです。


ラマルティーヌの死体蹴り


フランスの近代抒情詩の祖とも呼ばれる、ラマルティーヌという詩人がいます。いました。1800年代前半。

彼は、名作と呼ばれた自らの一篇の詩について、「ある嵐の夜に森の中で、突如閃いて一気に書いた」と解説していました。さすがはラマルティーヌと。それはすごいと。いうことだったんですけども彼の没後、その詩の原稿が発見され、その原稿には、とんでもない数の訂正と推敲が記されていたそうです。「ひらめきの傑作」ではなくて、「ウンウン唸り続けてひねりだした傑作」だったと。

 

こんな恥ずかしいことありますか?() ラマルティーヌかわいそう。 自殺した中学生がこっそり書いてたポエムを追悼ラップにして発表するのと同じレベルで死体蹴りですよこれは() だまっといたれよ。かわいそうに。




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