山本山本佳宏 yanmo.jp

二十一世紀の未読(メルマガ)

自由が丘(前編)




書いている途中で、「何でTwitterなんかに書かなあかんねん」という気持ちで胸がいっぱいになりまして途中でやめたのがこちらのツイートになります。

 

いつも申し上げているように、人間が幸福に生きるために、人間がルールを作ったのであって、ルールが人間を作ったわけでも、ルールのために人間は生きているわけでも、ルールに生かされているわけでもありません。

ルールは守らなければならない、というのは一部は正しく、一部は間違っています。自分が幸福になるためにルールは守らなければならない。しかし、自分が幸福にはならないルールは破り捨て、自分が幸福になるルールに新しく変えなければなりません。

 

何と身勝手な考え方だろう、とおっしゃる人がいます。「他人に迷惑をかけてはいけません」「自分一人で生きているわけではありません」「人に迷惑をかけないようにするために、ルールは守らなければならないのです」と。


夢破れて

 

「夢が破れた」と言うとき、その破れ方には二種類あります。二種類しかありません。

 

一つは、「金銭的理由」です。

僕たちが、○○になりたいと夢を語るとき、その夢を正確に表現すると、「○○になって金を稼ぎたい」「○○になって地位や名誉を得たい」となります。

その職業になること、それを実現すること、が夢である人は意外に少数です。ほとんどの夢には、ちょっとは稼ぎたい、ちょっとは認められてチヤホヤされたい、ちょっとは売れたい、がセットでくっついてきて、その部分が実現できず、「夢破れた」と言います。

「私はそんな汚い考えを夢にしたりしません!」という人はそれで結構だと思います。金を稼ぐことを前提としない場合、ほとんどの夢は実現しますので、安心して進めばいいと思う。

一方で、そうではない人たちは、「金を稼いでチヤホヤされることが夢である」自分と、きちんと向き合うことが、最初にやらなければならないことです。下手したら下手をしなくても、○○になりたいという部分が、実は今の自分にはどうでもいいことなんじゃないかと気づく可能性もあるわけですからね。

 

二つ目は、「対人関係上の理由」です。ギターとベースで女ボーカル取り合って殴り合いの末解散的な。ちょっと違いますか。

僕のようなコミュ障ではなくとも、対人関係の問題は、必ず起きます。この人とは合わない、この人とは一緒に仕事したくない、いるだけでムカついてしょうがない。だからこの場所にいることはできない、私は我慢できないから去ります、という流れで、「夢が破れる」。その反対で、自分はこの人たちに迷惑をかけているんじゃないか、自分は邪魔者なんじゃないか、もうウジウジ考えるのは疲れた、辞めます、という流れもありますけど、これらはコインの裏表であって、似たようなものです。対人関係は、人と人の間にあるもので、どっちか一方にだけ理由があることはありません。人間に合う合わないはつきもので、ということは、あなたに合う人は必ず存在する、めちゃくちゃ働きやすい場所は必ず存在する、ということでもあります。

人と合わないことを我慢する必要はありません。しんどいだけで得るものが何もないですし、こんなことで夢は破れたりしません。どんどん場所を変えればいいと思います。

 

この二つ以外に、「自分はやる気満々なのに、残念ながら夢が破れてしまった」という事態に陥ることは、基本的にはありません。

 


裂け目 4

 目に見えているものが、一歩踏み出した途端、前に突き出した掌に触れ水紋を描いて歪んでいく。道も草も石も空気も、暗がりの中、右手をかざして立ち止まる自分の後ろ姿も。進むはずの行く先が、進むことによって滲んでいく。

 手に力を込めて真ん中の道をさらにもう一歩進むと、歪んだ光景に一筋の大きな裂け目が天に向かって走り、構わずトキはぞんざいに、裂け目に身体をねじり入れ、そこには暗がりの中に浮かびあがる、白く細い三本の道の分岐がありました。何度選んでも、何度突き破っても、何度進んでも、変わらぬ分かれ道。一本の道を選ぶことが、三本の分かれ道を生んでいるのです。元来た道を戻ろうと振り返っても、そこに道はなく、ずっしりと濁った闇があるだけでした。

 同じことの繰り返しなら、なぜ前に進まなければならないのでしょう。トキはその場に乱暴に腰を下ろして腕を組み、見慣れてしまった三本の道を睨みつけました。この道の先に何があるのか、何が待ち構えているのかを知りたい。それがトキの望みであり、道を選んで前に進んだ動機でした。しかしいくら進んでも答えはなく、代わりに与えられるのはいつも問いです。同じ問いです。


イヤだイヤだ


はーイヤだイヤだ。

 

アルゼンチン負けてしまいました。

先日もお話をしましたが、アルゼンチン優勝予想というのは分析の結果ではなくて僕の願望ですので、人に押し付けるようなことは致しません。

「月刊風とロックファン感謝デー」のオープニングの原稿を書いてくれと箭内さんから電話で言われた時、「サッカーどこが優勝すると思いますか」というご質問からスタートしたんですけど、ああ僕なんかにお気遣い頂いて申し訳ないなと思いながら、「ドイツかオランダですね」とお答えしました。箭内さんがどこかでワールドカップネタを話すときに恥ずかしくないよう、まともに当てにいった感じで。それをどうやらラジオでお話しされたそうですが、僕個人のワールドカップにおける予想は常にアルゼンチンでしかありません。


裂け目 3

 三本の道が再び目の前に現れるまで、どれくらいの時間が経ったのか、トキには分かりませんでしたし、知ろうとも思いませんでした。急ぐ必要も、のんびり行く必要も、どちらもないのです。時間を気にしなければいけない理由が、トキにはありません。急いでも、急がなくても、それは時間とは全く関係がない。始まりと終わりがあって初めて、時間は生まれるのです。彷徨うとは、彼にとってそういうことでした。


月刊 風とロック ファン感謝デー


先日、『月刊 風とロック ファン感謝デー』の会場にお邪魔してまいりました。

 

ありがたいことにお誘いいただいたからというのももちろんあるんですけど、箭内さんに、今回のイベントのオープニングに当たる、「月刊風とロックの歴史」のナレーション原稿を書いてくれとご依頼を受けたからです。

僕はもう、「構成だけ」とか「台本だけ」みたいなお仕事、つまり複数人で行う制作業については全てお断りしているんですけど、「あ、そういえば、月刊100号展にお花出すの忘れてた」という申し訳なさもあって、お祝い代わりと言ってはおこがましいですが、やらせていただくことにしました。

 


裂け目 2

(この章を読むのに必要な時間:約3)

 

 目が慣れてきたのか、それともどこからか明かりが差してきたのか、大草原のうねりがトキにも見えるようになっていました。小高い丘の上に、ひときわ濃く一本の木の影が、ぽつんと伸びていました。

 


裂け目


 薄く高くなった雲に小さな小さな丸い穴が開いて、半分の月が顔を出しました。

 うねりながら果てしなく続く大草原に小高い丘があって、枝が茸のように広く横に張った大きなクスノキがぽつんと、立っています。永遠に続くかと思われた長く強い雨がようやく止んで、雨粒が落ちているのは樹の下だけになりました。

 クスノキが落とした最後のひとしずくがまぶたに当たって、トキは目を覚ましました。雨宿りをしているうちに眠ってしまっていたのです。


豚の女 1

(この章を読むのに必要な時間:約220)

 

 その女は頻繁にピザを注文した。週に一度は必ず、多い時には三日と置かず電話をかけてくることもあった。単身者向けのマンションも多く並ぶ住宅街にあって平日も注文の多い宅配ピザ屋ではあったが、大抵の客は多くとも月に一度程度の注文でそれでも彼らはバイトたちから常連客として扱われ、顔や好みのピザや電話での話し方であだ名がついたりもした。トッピングなしでチーズだけを三倍増しで乗せたピザばかり注文する痩せぎすな中年男は、いつも絵の具のようなもので腹の辺りが汚れたシャツを着て玄関に出てくるので、あだ名は美術だった。エレベーターのない団地の主婦は度々同じ棟の主婦と子どもを集め、一度に四枚も五枚もピザを階段で運ばせるので、五階のババアと呼ばれていた。しかし、その女にうけはあだ名がなく、あの女、と呼ばれた。

  アルバイトの足立は数日の見習い期間を終えて一人で宅配することを許されたばかりの新大学生である。高校時代は部活動に明け暮れたためこれが生まれて初めてのバイトであると、同僚に訊ねられるたび彼は固太りした肩を丸めてもごもごと話した。

石鹸

(この作品を読むのに必要な時間:約240)

 

 薄褐色のハトロン紙と柿色の色紙を丁寧に重ねた包装を剥がすと、卯の花色のハンドメイドの石鹸が穏やかな四角さを保って現れた。紫がかったサルビアブルーの筋がゆったりとマーブル模様を描いている。グレープフルーツの香りがなお一層、夏を吹き抜ける風を呼んだ。




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