山本山本佳宏 yanmo.jp

二十一世紀の未読(メルマガ)

ラマルティーヌの死体蹴り


フランスの近代抒情詩の祖とも呼ばれる、ラマルティーヌという詩人がいます。いました。1800年代前半。

彼は、名作と呼ばれた自らの一篇の詩について、「ある嵐の夜に森の中で、突如閃いて一気に書いた」と解説していました。さすがはラマルティーヌと。それはすごいと。いうことだったんですけども彼の没後、その詩の原稿が発見され、その原稿には、とんでもない数の訂正と推敲が記されていたそうです。「ひらめきの傑作」ではなくて、「ウンウン唸り続けてひねりだした傑作」だったと。

 

こんな恥ずかしいことありますか?() ラマルティーヌかわいそう。 自殺した中学生がこっそり書いてたポエムを追悼ラップにして発表するのと同じレベルで死体蹴りですよこれは() だまっといたれよ。かわいそうに。



雨がやんでも風はぬるく空は曇る七月の夕暮れ、三日月は西の空に沈もうとしている。

雨上がり独特の色褪せた明るさが重くのしかかるが月の周りだけは陰陽の輪郭が鮮やかに持ち上がり、却って夜の暗さを教えてくれた。

僕は月にすがって歩く。

 

 

高校の時、通っていた予備校の英語の講義で和文英訳の問題が出た。

 

花鳥風月。

英語で何と言う。


BREAK MY SILENCE


高橋優くんのニューアルバム『BREAKMY SILENCE』がリリースされました。このアルバムの帯のコピーは、いつもの通りプロデューサーの箭内さんです。毎週会って話していた数年間を終えて、話どころか顔すら合わせない数か月が過ぎ、過去の記憶がどんどん薄れていきます。箭内さんの話をするのも久しぶりな気がする。

 

で、帯にはですね、

“変化ではない。表出したのだ。“

と書かれていました。


プレゼント当選のお知らせ

 

前号、100号記念プレゼント企画にご応募いただきまして誠にありがとうございました。

 

欲しい物を欲しい理由と共にお書きください、という、「考えるのめんどくさい」を助長するような内容でございましたが、それにも関わらずご参加いただきました方々には、全プレとは行きませんが、お送りいたします。

 


ツッコミ共感ボーダーライン


いやー、しかしこんな古いものが残っているとは。驚きですね。当然書いただけでどこにも発表していないものですけど。今23歳だったらどうしていただろう。TwitterとかブログにUPしていたかしら。いやしてないな。

生き恥を晒しましたついでに、もう少しだけ晒しましょうかな。もはや自らの恥については非常に鈍感な年ごろになっております、大丈夫。憤死したりはしません。

 

そんな紙袋アーカイブを発見しまして、当時、暇に任せて書いていたものがチラホラと出てきたわけです、『首が痛い』を含めて。それらを引っ張り出してみます。

 

 

『ツッコミ共感ボーダーライン』と題されたメモ。


読書感想文のめんどくささ


99本のメルマガを書いてしまいました。100本も2周年も、週1で書いている限り似たような時期の区切りになってしまうので、どちらがどうということはないんですけれども、去年の8月、メルマガ一周年と第二章の突入を迎えた時点で、メルマガは2013年の7月でやめようと思っていたことは事実です。

僕は批評家でもないし、ニュースの紹介屋でもないし、情報商材屋でもないし、ビジネス書ライターでもないし、あるあるネタ職人でもないし、ツイッターのふぁぼ乞食でもないし、ましてや人生訓を垂れるような偉い人間でもありません。

職業柄、どのように書けば数集められるか、どのネタを扱えば人気が出るかについて、少しは理解しているつもりですし、理解しているからこそなのかもしれませんが、少なくとも、買ってくださいよろしくお願いします、とか、読んでくださいお願いします、とかのようには振る舞えません。これは別に偉そうにしているわけではなくて、むしろ欠陥の露呈です。

 


おっさんは二人並ぶな


カシップシュッゴクッドンッビシャッ!!!!!!!!

 

僕みたいなもんは駅のホームで甘い缶コーヒーでも開けて飲もうとして後ろからぶつかられて全部Tシャツにこぼせばいいんですけどたまにはオシャレカフェに入ろうとしたっていいじゃないですか。何や言うたら座りたい、何や言うたら休憩したい年頃なんですから。人間なんて次の座るところを探して歩くだけの人生ですよ。キャンプ行ったって昼飯食い終わって次何やるかって晩飯の用意でしょ。飯と飯の間の時間をつぶすだけの人生ですよ。


黄身が好き


♪僕には 夢がある 希望がある そして 持病があるー

 

お前それ下痢が止まらず寝転んでるブッダの前で同じこと言えんの?

 

 

恥ずかしながら僕にもささやかな夢と希望と持病がありまして、希望と持病についてはどっちでもいいんですが僕の夢は、「さんざん飲み食いしたあげく、最後に赤だしとご飯で〆る」というものです。

 


東京の隣人


Twitterで少しツイートしましたところ、「まさか() さすがにネタですよね()」という神様の宝物のような返信をいただきましたので、ここから書くことは全てネタであり嘘800であることを先に申し上げておきます。あの返信がなければ僕は道を過つところでございました。つまらぬリプライは全て神様が僕を戒めるために寄こした警句なのでした。甘んじて跪き、舌を突き出して拝領することに致します。

 

 

都会で、特に東京で、マンションやアパートでの一人暮らしをするとどうしても起こってしまうのは、隣人の問題です。

もちろん戸建の家に住んでいても隣近所の引っ越しババアなどに絡まれたり庭にウンコばら撒かれたりするリスクは孕んでいるんですが、それでもやっぱり、壁一枚隔てた向こう側に赤の他人が生活しているという事実にはストレスが伴いますよね。特に隣の家まで砂丘越えて5時間ぐらいかかる鳥取とかのクソ田舎から上京してきた大学生や社会人にとって、隣人と自分の間にサニーレタス程度の遮蔽物しかないことは相当のカルチャーショックですよね。ネットやテレビでどれだけ知識として見聞していても、部屋の壁の裏側がカリカリカリと音を立てた瞬間のビクゥッッッッッ!!!!!感は実際に遭遇してみないと得られない感覚です。

 


ジェットストリームアタック


車のシートを倒して寝転んでサンルーフを開けたら、そこには満天の星空が広がっている。

空には言葉が、ゆっくりと、しかしとめどなく流れていき、僕はそれを眺める。

 

この世界のどこかにいる、名も知らぬ人たちが今、ひらめき、望み、こぼしている心の欠片たちが空に昇り、ひとすじの川となって流れているのだ。

 

言葉の川を見て、僕も何かをひらめき、何かを望み、なにかをこぼす。

そしてそれも同じように空を昇り、川の一部となる。

地球の裏側にいて、僕と同じように星空を眺める男の、あるいは女の上を、流れていくのだ。

 

それが誰であっても、彼らが僕の欠片に気づかなくても良い。

この川はずっとここにあって、僕はまた明日も、星空を眺めるだろう。

 




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