新年明けましておめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。
本年も宜しくお願い申し上げます。
元日に発行でございます。
こんな底辺労働者の僕ですら、世間並みに正月休みを気取ろうかといった感じです。
僕はワーカホリックと仕事大嫌いを躁鬱のように行ったり来たりするだけの病気持ちですので、
世間の仕事に対しての感情がどのような空気なのかは、実感としてはなかなか持ちづらいのです。
人と仲良くなるのは簡単なんですよ。
大嫌いなものを共有すれば良いのです。
嫌いなものが同じ、ということの結びつきは大変強いですよね。
周りをご覧ください、陰でも日向でも、誰かの悪口を言い合う人たちが、
結合する泡のように互いを強く吸い寄せるさまをあちこちで見かけるでしょう。
「そんなのは嫌だ、私は好きなものを共有したいのです!」
それはもちろんそうでしょう。
誰だって『嫌いなものが同じ仲間といつも一緒にいます』とは胸を張って言いづらい。
しかし、仲良しさんが今欲しいなら、そっちの方が圧倒的に速いのは事実です。
何度も言った。変わらないと。
もう、変わるとか、成長するとか、そういうことは、僕たちにはもう起こらないと、何度も言いました。
変化の時代は、もう、終わってしまっています。
もう、それについての決着はとっくについている。
そしてこれからは、そのついた決着がどんどん拡大し、どんどん加速し、どんどん剥き出しになっていくのを、
僕たちはただ、目の当たりにし続けます。
変わらないと言いました。何度も。
「やっぱり、真っ白すぎて怖いですよね。コメントもついてないし」
「世の中、黙って見て黙って帰る人の方が多数だと思いますけどね」
「文字灰色だし、文章も読みにくいし」
「そうですね、でも変えるつもりがないです」
「何かもう少し、明るいコンテンツがあったほうがいいんじゃないですか?」
「何ですか明るいコンテンツって」
「ポップというか怖くないというか、色が欲しい。広告みたいなのでもいいから」
「じゃあ広告でいいんじゃないですか」
「いいんですか広告で」
「中身変えたくないなら、まあしょうがないんじゃないですかねえ」
一体何がしょうがないと言うのか。ダラダラした会話しやがって。
■■ 就職活動の達人 ■■
就職活動って12月解禁とかそういうアレなんですね。
就職活動の達人たちとは違って最新情報には当然疎い僕ですが、
僕が就活をしていた太古の昔でもこういうのって有名無実なものでしたので、
ニュースに触れてもイマイチ実感が湧きません。
僕の時代、1996年とか97年の就職活動の模様は、今の人たちには全く役に立ちません。
当時は氷河期がまさにスタートした瞬間で、やべーやべーと口では言いつつも、
誰もがバブル期を引きずっていた頃でしたので、
身体は過渡期にありながら、心はバブルへSTAYといった感じでした。
当時を思い出してつらつらと書いたことがあります。
就活生のお役には立ちませんがお暇な時にご覧下ればうれしいです。
http://blog.magabon.jp/radio/2008/07/post_71.html
http://blog.magabon.jp/radio/2008/07/vol1.html
http://blog.magabon.jp/radio/2008/07/vol2.html
http://blog.magabon.jp/radio/2008/07/vol3.html
http://blog.magabon.jp/radio/2008/07/vol4.html
http://blog.magabon.jp/radio/2008/07/post_73.html
http://blog.magabon.jp/radio/2008/07/vol6.html
http://blog.magabon.jp/radio/2008/07/vol7.html
http://blog.magabon.jp/radio/2008/07/vol8.html
http://blog.magabon.jp/radio/2008/07/vol9.html
http://blog.magabon.jp/radio/2008/07/vol10.html
僕を褒めないことで有名な箭内さんが、長い文章を一切読まない箭内さんが唯一、
「あれ面白かった」って言ってくれたことでおなじみのシリーズですね(笑)
以前に、「ギネス記録をひとりひとつ作ること」を義務教育課程に組み込むべきだという話を、
何度かしたことがあります。
「あはは?」的な。「アホがまたなんか意味不明の極論言うとるで?」的な。
Twitterには意味のあることなんか書かないとかエラそうなこと言っといて何か書いちゃって申し訳ありませんが、
もう二度と書かないと自らを再び律しますが先日Twitterでですね、
"「ボケて」みたいなのは義務教育課程に入れたほうがいいです。"みたいなことを書いたんですよ。
"英語の発音ダメでバカにされる。走るの遅くて笑われる。 発想がサムくて引かれる。さあ社会に出て1番困るのはどれでしょうかー?"と。
「はいはい」的な。「奇を衒って注目されたい奴wwww」的な。
確かに!確かにやあれへん。
いや、確かに、もう間に合わなかったので導入する必要はもうないんですけど。
ただ、わりと本気でやったほうが良かったと思いますけどね。めちゃくちゃ必要でしたよ本当に。
「誠意は言葉ではなく金額」
とは、当時中日のプロ野球選手であった福留孝介の2007年の有名な言葉です。契約更改の時のものですね。
誠意は言葉ではなく金額。
この発言などもきっかけにして、福留は銭ゲバだの銭闘員だのと一部からは批判を受けることにもなりました。
お金が大好きでもあり大嫌いでもある、すなわちお金以外の価値基準を持たない日本の皆様は、
こういった発言を表向きにはすごく嫌います。裏では、もうお分かりですよね。お金がすべての社会に縛られ、
お金を忌避したり、その反対にお金に身を捧げたりする。
金持ちであろうと貧乏であろうと、それは同様です。自分の行動の中心にはお金がある。
僕は世界を救わない。あなたと同じように。
あなたは世界を救わなかった。
あなたの両親も、あなたの祖父母も、世界を救わなかった。
あなたの子供も、孫も、世界を救わない。
あなたと同じように。僕と同じように。
世界を救う前に、まずは自分自身を救うべきだと、名言フォーマットは言う。
救うべきなのではない。
人間はせいぜい、自分を救うか救わないか程度で、人生を終えていくのだ。
だいぶいいよ。
腰が痛いごときでワーワー喚き散らしまして大変失礼いたしました。
おかげさまで随分。
自分自身の感覚としては、身体が凝るタイプではないはずです。
肩が痛いなーとは思ってもバキバキに凝るようなこともなく、運動もしていないのに、今日まで腰を痛めるようなこともありませんでした。
とは言え、何だか憩いが欲しくてマッサージや整体に行ってみることも、ここ数年はあります。
そんなに言うほど変な、というか胡散臭そうな所に行ったつもりはないのですが、行くたびにですね、
「あー...お客さん、凝ってますねえ?」
「お客さん、そんなに凝らないでしょう」
この両極端を交流電流のようにピョンピョンと繰り返すわけですよね。どっちなん。
それはお前のその時々のコンディションやろとお思いかもしれませんが、別に大して変わらないです似たような感じですよ感覚も。そんな変わります?僕はどっちなんですか?何を信用したらいいんですか?どんだけ似非でも凝ってるか凝ってないかの二択ぐらいは正解したっていいじゃないですか、日本人のくせしてすり合わせもできないんですかマッサージ師は。