以前にも言ったかもしれませんが、日本国における、最後の『あるあるネタ』は、ジブリでした。

ジブリ作品以外で、世代を越えて全員一斉に盛り上がったり共通の話題を持ったりすることは、もうありません。

ジブリ以外のネタは、必ず「え?何それ知らない」「見てない」「興味ない」という人が一定数存在します。

それを許さないほどの、「みんな知っている前提、好きな前提」で話ができるのは、ジブリが最後でした。

つまり、今日のプロアマ問わずこの世にあふれる『あるあるネタ』は、全て局地的なムラ共感であるということです。



 

これはジブリ礼賛ではありません。もちろん僕もジブリ作品大好きですけど、作品の評価そのものとは別の話です。安心してください、『風立ちぬ』批評とか超絶サムイ行為は致しません。

いつも申し上げておりますように二十一世紀に入って僕たちは散り散りバラバラになりました。集団は細かく細かく分かれて、他の集団と一体になることはありません。そうなる直前、ギリギリ最後のものが、ジブリであったということです。

各種娯楽も文化も、もはや国を挙げての一体感は生みません。1万人やら10万人程度の集団で大ブームと呼ぶしかなくなっていますし、「流行ってます」「売れてます」の商売文句で集まってくる層も固定され、その中で金を稼ぎ合う。

 

もう日本に、新規の『共通の話題』は生まれません。ジブリが最後。締切直前滑り込み。バルスのツイート数とかはどうでもいいんですけど、そういう意味でジブリはすごい。

ジブリが、僕が死んだ後も継続して『共通の話題』となり続けていくのかは分かりません。いずれ誰にも知られなくなる可能性もおおいにあります、ただ、リスクなく共感を呼びたいならば、メディア関係各位は、ジブリ以外のネタを使わないほうがいいと思います。他のは規模の大小は違えどただの内輪ウケです。それを明確に把握しなきゃいけません。



「いやいや、ムスカでも3分待ってくれんねんから」

「お前はトウモコロシ持って走るメイか」

 

とか、まあそういうことですよね。日常会話でジブリネタを扱うとすれば。

 

「おおどろぼうホッツェンプロッツ的な」は多分通じないし、「じぇじぇじぇ」と言われても僕はテレビ見ていないので全く分かりません。この場合、責任は発信者側にあります。「あまちゃん見てないとかありえないでしょ」というのは、もう通用しないご時世なわけで、相手がそのネタに共感できるかどうか、共通認識があるかどうかを測れない人は、当然スベります。それはスベったほうが悪い。「子供の頃にありがちな会話」とか、あるあるネタがそっちに逃げるのは、そういった理由です。もはや、リアルタイムの共通ネタを僕らは持っていないことに、誰もが薄々気づいています。ムラの中の符牒以上のモノを持つことができない。

 

もちろん、ジブリ作品を見たことがない人はたくさんいます。ただ、「トトロ見たことないとかありえないでしょ」と言ってもよい空気にさせる最後の作品はジブリです。とは言え僕も、千と千尋ぐらいまでしかちゃんと見てないですけど。ポニョネタは全然分かんない。でも「ポニョぐらい見とけよ」と言われたら、そうですよね、と一応引き下がるはずです。

 

 

「お前は○○か」

「○○やないねんから」

「○○みたいな」

「○○に似てるよな」

 

何かの共通認識を踏まえた日常会話でのあるあるネタは、基本的にこのようなフォーマットとして使われることが多い。

いわゆる、「たとえ」ですよね。非常に多用される形です。

これは一定の教養や知識と、一定のスピードが要求されます。その一定に満たない人は、このフォーマットを用いてもつまらない事しか言えない。逆に言えば才能でも何でもないんですけどね、練習すればできる。

 

「間違って洗濯した千円札みたいな顔しやがって」

この「たとえ」が、どれぐらいの世代の、どういった性別の、どういった身分階級で育った、どれぐらいの教養を持つ、どれぐらいの人数の人に受け入れられるか。そういうことを考えられるかどうかが問われます。

 

めんどくさいですよね。

僕もめんどくさいと思います。

 

「まるで○○のような」という比喩の美しさや面白さ、斬新さを競うというのは、表現においては当然ありうることだと思いますが、お分かりのとおり、比喩は「○○のように●●だ」「○○のような●●」と、係っていくべき●●が必ずあるわけですよね。つまりは飾りです、簡単に言えば。つまりは別に要らない。

 

とは言え、「たとえ」はすっかり基本フォーマットになってしまいましたから、猫も杓子も使います。

めんどくさくないですか。

あるものを説明するために、いちいち違う物を持ち出してくるのは。というかスピードが遅い。

 

「たとえんなたとえんな」と、心の内で何度唱えたことでしょうか。

大して面白くもない「たとえ」を言っている暇があったら本題だけズバッと来てほしいんですけど、なかなかそうはいきませんよね。みんなネットでは面白い人と呼ばれたくて必死ですから。

 

「たとえ」禁止令出したいなあ。安部公房以外、たとえるの禁止。

 

“牛の喉に、ブリキの笛をおしこんだような音をたてて、何処かでにわとりが鳴いた。” 『砂の女』

“五億年前の樹脂にとじこめられた昆虫のように、微動もできない。” 『R62号の発明』

 

いいたとえですねえ。

さて、もし「たとえ」を禁止されたら、表現はどこに行くのでしょう。お笑いはどこに行くのでしょう。



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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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