くっさいくっさいエッセイ風に言えば、101日、内定式が終わって、赤ら顔で飲み会からの帰路につく黒や紺のスーツ姿の大学四年生を見かけるたびに、僕は相も変わらず、ぼんやりとした輪郭で自分の過去を思い出す。

 

あの日の僕は何を思ったか。

 

ほんの数日前までは出席するはずだった内定式を、自室で迎えた、あの日の僕は何を思ったか。


大きな岐路に立ち、選ぶとも選ばずとも、僕はどれかひとつの道に踏み出さざるを得ない。人生はレトロゲームのスクロールだ。じわじわ、じわじわ、画面は遷移して、通り過ぎた場所へ戻ることはできない。テレビ画面の外には帰れない。画面の端はじりじりと、僕たちの尻を前へ前へと押し出していく。どこへ押し出すのか。死に向かって押し出すのだ。




選べないから進めない。分からなくて立ち止まる。そう思っていても、僕たちは立ち止まることができない。人生には二つの道しかない。自ら選んだ道と、いつの間にか尻を押されて踏み出してしまった道。

 

自ら選んだはずだった。選んだはずだったが、僕はあの時の感情を思い出すことができない。あれほどの大きな岐路を前にし、おそらくは未熟なりに悩み決断して選んだ道のはずなのに、僕は、その頃の自分を、想像でしか語ることができない。

ただ、おそらくは事実らしきものだけが残されていて、僕はアマチュアの考古学者のようにそれを眺めて想像するだけだ。

 

「内定式直前に就職するのをやめた」という、事実らしきもの。

 

僕のように平民として生まれ、よそ様のガキよりほんの少し頭が良いからと勉強させられ、夢も希望もやる気も目標もない僕は唯唯としてそれに従った。親が悪いわけでも責めているわけでもない。ただ、確かそうだったのではないかと、事実らしきものを眺めているだけ。

何もない僕にとって、唯一自発的に踏み出すことができる道は、「しない」ことだった。

やらなければならないことを、しない。やれと言われたことを、しない。

選ばない。

 

選ばないことを選ぶ。これは言葉遊びか。そうとも言える。結局は、何らかの大きな決断を避けるため、スクロールが僕の尻を押してくれるのを待っていただけなのだ。何もせずに立っていても、僕は高校を卒業し、成人し、大学を卒業し、会社員になることを止め、ずりずりと着実に、僕は前に進んだ。選択肢が決定的になくなるまで、選ばない。腐臭さえ漂う、断固たるモラトリアム。

 

僕はひとまずあと1年、働かずに済むことを喜んだ。社会に対して責任ある立場にならずに済むことを喜んだ。ここからの1年、時は僕の尻をじりじりと前に押し出すだろう。もっともっと、僕の選択肢を減らし、残ったカスのような道を選ばざるをえないところまで押し出してくれ。それまで僕は、選ばない。あやうく選ぶところだったが、選ばない。

 

 

これは全て想像です。僕自身の過去ではあるが、その時何を思っていたかは覚えていない。おそらくこんなことがあったのだと、ぼんやり記憶し、その事実らしきことに対して、「今思うこと」を当時の感情として代替させているにすぎません。人生の岐路なんて、そんなもんです。自分の好きなように脚色すれば良い。

 

赤ら顔の内定者たちは、ヘアワックスや化粧や流行りの服やの武装を奪われて、あきれるほどの芋臭さと幼さと不安定さを露呈している。もしかしたら、頭の悪さと信念のなさも。

そんな彼らに、あの頃の僕は遠く及ばなかった。一番楽をして、効率よくステイタスを得ることのできる、『勉強』というつまらないチート武器だけを馬鹿みたいに扱い続け、その経験値とご褒美を手にする勇気もなかった。

しかしその僕の臆病さえ、彼らの勇敢ささえも、過去の事だ。振り返っても、ここに至った道はもう見えない。

 

僕より数歳上のバブル世代には思いもよらない悩みを、僕たち空虚な氷河期スキマ世代は抱えている。大人になって、働いて、日々の暮らしを真っ当に営んだって、良い事なんて何もないんじゃないのかという疑問を、大人たちが目の前で実証してみせた。普通に暮らしていれば普通に暮らせる。普通の意味を考えずに普通に暮らしていた大人たちの、普通の暮らしが真っ逆さまに崩落していく。歯が痛んで初めて知った、歯の存在。

 

半年後、春を迎えて彼らは新社会人として働き始めるのだろう。僕のような、どこの馬の骨とも分からない奴に、ただ年上だと言うだけでデカい口を利かれ、無能扱いされて、イライラの捌け口も必要になるだろう。

心配は要らない。何も考えなくても、何も決められなくても、あなた方は前に進む。いつやってくるともしれない寿命を11秒削って、着実に前進する。前進するためには道が必要だ。あなた方が勇気を振り絞って選ばなくとも、必ず道は用意されている。心配しなくても、僕らは間もなく、ちゃんと死ぬのだ。

 

 

「個性は外見ではなくて中身で発揮して頂ければ結構です」と、あの頃のリクルーターは雑談の中で僕に言った。

22歳の就活生はみな髪を黒く染め直し、アクセサリーを外し、他の者と全く同じスーツを着て、とにかく目立たないように気を付ける。18歳まで校則やら親の目やらに縛られて、他の者と同じ制服を身に着け、とにかく目立たないことを良しとされた僕たちは、4年を経て、また高校生と似たり寄ったりなことを期待され強制されて社会に出て行く。

 

 

 

ちょっとぐらい応援とか内定式おめでとうとか書いたれよと。自分で自分に言いたくなりましたので、自罰として、さっき買ったシュークリームを袋に入ったまま壁にぶち当てたのち食べたいと思います。新入社員のみなさん、僕のような割りばしの袋に入っている爪楊枝程度の存在とは仕事上絡むことは今後もございませんのでご安心なすってください。



........


このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

全文は是非、メルマガでお読みください。


★登録:http://www.mag2.com/m/0001310550.html