夏にスマホを足の親指に落とし、爪が内出血し、黒い血豆が這うように前に進んで爪からパチンと旅立ってゆき、引っ越すことにしました。
玄関を開けるといかにも頼れそうな感じの屈強なおっさん二人が爽やかな笑顔で挨拶してその後ろにもう一人、薄暗い上目遣いでこちらを見ているひょろ長い男が立っていました。どうやらこのバイト君と三人での作業のようです。
バイト君の袖には「ジョン」と書かれた名札がついていて確かにジョン。役者根性を見せて限界まで痩せたときのクリスチャンベールのような青白い顔つきのジョンは、日本語がまだ不自由なのか、それともバイトが辛いのか、伏し目がちに黙ったまま、おっさん二人に続いて段ボールを運び出していきます。
僕はクイックルワイパーをかすかに動かしつつ何もなくなっていく部屋を眺めているだけでしたが、廊下の先、開け放した玄関にジョンが突っ立っているのに気づきました。何やってんの。
少し猫背ぎみのジョンは僕をじっとりと見つめながら右手をポケットに突っ込み、激しく動かしていました。
お。
次の瞬間にはもう、彼は段ボールを持って消えていました。何今の。まあ、まあ、まああれよ。ちんこ痒かったんでしょ。たぶん。ジョン。
屈強なおっさんと一緒に照明を外します。IKEAで適当に買い、まあいいの見つけてさっさと換えたらええわのありがちなパターンを乗り越えてIKEAくんは、まあ引っ越し落ち着いたら買い換えたらええわと新居に運ばれて行きます。
おっさんが下りる脚立を押さえながら何とはなしに玄関を見ました。残念なことにジョンは仁王立ちしてこちらを見つめ再びポケットの中からちんちんいじっています、もうこれは断言、ジョンはちんこをいじっている。
かつて阪急梅田の公衆便所で僕の顔をニコニコと見つめながらとんでもない長さのちんこをいじっていた隣の白人がフラッシュバックします。なぜ、なぜ白人の男は私を見ながらちんこをいじるのか。
僕の視線を感じたとたんジョンはポケットから素早く手を出し、また陰鬱な顔で段ボールを運び始めます。まあよい。百歩譲ってちんこいじるのは許そう、100年くらい前までの中国ならちんこ切り取られてますよジョン、しかし私は許そう、ともに遠い故郷に思いを馳せてやっても良い、しかしちんこいじった手で新居の壁とか家具とかPS4のコントローラとか触るのだけは勘弁してくれないか、ジョンよ。なあジョンよ。手を洗ってくれ。
明けましておめでとうございます。
かつてメルマガはWORDで書いていたんですがメルマガやめたのと同時にWORDも使わなくなりまして。ドカベンの弁当箱みたいな形のくそみたいな激重ノートPCを友人からカクヤスで購入した二十年前のようなヨチヨチした指さばきで新年のご挨拶をしております。ワードひさしぶり、ひさしぶりですねみなさん。
ジョン言いたいだけで書きたくもない話を書いてしまいました。ちんこって書くと女の人にすっごい無視されるから書きたくないんですけど。
正月休み最後の日曜日。広場で父親と小学校に入ったばかりくらいの小さな息子がキャッチボールをしていました。ニコリともしない父親は、けっこうな速さのボールを息子のグラブめがけて黙々と投げ込みます。寒空にグラブの土手に当たる鈍い音が何度も何度も響きます。痛みに耐えきれずこぼしたボールを、少年はけなげに拾い上げ父に投げ返します。何これ。刑事罰ですか?
寒さに耐えかねて駅前のしけたチェーンのうどん屋に駆け込みました。
しみったれた流れ作業でうどんを受け取り、かまぼこ板程度のほっそいほっそいカウンターテーブルにつく。耳からはBluetoothのイヤフォンがバッテリー切れを知らせる。隣にはぺろぺろのダウンを着た父娘がうどんをすすっている。眼前ギリギリに迫るきったない壁を無言で見つめる娘、娘も壁も見ずひたすらにどんぶりを見つめる父。いや何でもいいけどさ。平成最後の正月に何食べようとさ。このカウンターに子供座らせるのはやめときませんか父よ。泣きそうになるわ何か。ずっと壁見てるやん娘。わが国の親子像ってこんな感じですか?
明けましておめでとうございます。
やりたいことはあるのにやらないままでいるとやり方を忘れる。やり方を忘れたままでいると、やりたいことそのものを忘れてしまう。「あれ、俺が書きたいことってなんだったっけ」。書きたいこともない、書き方も知らない。何なんでしょうかこの無能は。欲求そのものが出口を失いぶすぶすと焦げつきを残しながら消滅してしまいます。
注意欠陥人間として柄にもなく今年の目標を掲げるとすれば、今年は集中していきたい。あまりにも散漫に、あまりにも鈍感に生きている気がする。それが老化のせいであったとしてもです。かつて立川談志師匠が言ったように、年をとっても面白いことを考えることはできる。しかしそこに至る集中力を尖らせること、これにめちゃくちゃ時間がかかる。
死ぬまで青春!と言ってるジジババの大半は、過去の記憶を今の自分の身体に必死になってなすりつけているに過ぎません。ご存知のように青春とは、うれしはずかし恋と喧嘩と部活と花火と全部雪のせいな思春期のことではない。青春とはものすごいスピードで走り去ろうとする化け物です。そのスピードに追い付ける者、同じスピードで走ることができる者だけが見ることのできる景色があります。青春は過去に置いて来てしまったキラキラした思い出ではありません。私たちが青春から振り落とされ、置き去りにされ、茫漠たる原野に棒立ちしているのです。ジョンのように。ジョンはそろそろ手洗ったか?
一度置き去りにされると二度と追い付くことはできない。一度やめてしまうと元に戻ることはできない。そうした残酷な結論に至る物事はこの世にかなりの頻度で登場します。ここで立ち尽くして人生を終えるか、今出せるスピードで少しでも走るか。この二択もかなりの頻度で登場します。
僕は青春時代やかつての自分を取り戻したいわけではありません。自分が若いのか老いているのかに興味はなく、自分の脳内から旅立っていくものにだけ興味があります。集中力が減衰していようとも、ただやるしかない。そんな感じ。
今年もよろしくお願いいたします。