愛と愛玩は、似て非なるものではありません。

愛と愛玩は、似ても似つかないものです。

愛は、愛玩ではない。それを理解して初めて、愛玩を自らの糧とすることができます。

 



 

多くの人たちは、愛に、対等ではない関係を望んでいます。

結果としての不均衡ではなく、自ら望んで相手と自分に差をつける。

なぜか。不均衡は、多くの場合、安定するからです。

対等は面倒であり不快であり、自分にとってのメリットを感じないから。

 

対等であるということには、おそろしいほどの不安定さや脆さが含まれています。

まっすぐ立っていることさえ難しい。

一歩進むことさえままならない。

崩れてしまうのを腹筋と内転筋で必死にこらえる。膝をガクガクと揺らしながら前に足を出す。

それが愛の、ひとつの光景です。

 

それを醜い姿であると思うかもしれません。愛とはもっと美しいものなのではないのかと。

愛は美しいものです。間違いなく。

しかしそれは、自分の姿とは全く無関係に見ることのできる現象です。

姿見に映る自分の姿を眺めていては、あなたが愛の美しさを見ることは、永遠にありません。

愛とは、あなた自身の姿ではないのです。




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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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