愛と愛玩は、似て非なるものではありません。
愛と愛玩は、似ても似つかないものです。
愛は、愛玩ではない。それを理解して初めて、愛玩を自らの糧とすることができます。
多くの人たちは、愛に、対等ではない関係を望んでいます。
結果としての不均衡ではなく、自ら望んで相手と自分に差をつける。
なぜか。不均衡は、多くの場合、安定するからです。
対等は面倒であり不快であり、自分にとってのメリットを感じないから。
対等であるということには、おそろしいほどの不安定さや脆さが含まれています。
まっすぐ立っていることさえ難しい。
一歩進むことさえままならない。
崩れてしまうのを腹筋と内転筋で必死にこらえる。膝をガクガクと揺らしながら前に足を出す。
それが愛の、ひとつの光景です。
それを醜い姿であると思うかもしれません。愛とはもっと美しいものなのではないのかと。
愛は美しいものです。間違いなく。
しかしそれは、自分の姿とは全く無関係に見ることのできる現象です。
姿見に映る自分の姿を眺めていては、あなたが愛の美しさを見ることは、永遠にありません。
愛とは、あなた自身の姿ではないのです。