僕が中高生の頃、ネットとブログというツールを手に入れられていたとしたら……
やってたかなー…
そんな恥ずかしいこと絶対やんねーという思いと、たぶん絶対やってたなーという思いが人間交差点で出会っておりますけども。
どっちなんだろ。やってたかもな。
続きものです。
4つ目。さっさと終わらせちまえよと自分でも思ってますけども。
前回は、どんな日記であろうと、人は『人に見せる自分』を意識して書いている、という話でしたね。
誰だってセルフプロデュース、セルフブランディングの芽みたいなものは持ってんじゃないかと。
それを踏まえた上で、なぜ、人は日記を書くか。
ってとこまで。
偉そうにしゃべってますけど、全部検分なしの憶測ですんで、それは違うだろとお思いの方は、お教えいただければ幸いです。うつむいて上目づかいでニヤニヤしたいと思います。
まだ僕たちがインターネットを手に入れていなかった頃。
交換日記ってもんがございましたね。まあ今でもやってる小学生とかいるかもしんないけど。
僕も小学生…6年かなー…のころにやった記憶があります。男子3人女子3人とか。
思い出すのも恥ずかしいですね。ウソですもはや全然恥ずかしくもなんともない。
あなたの未来には、二つの道しかない。
「交通事故で死ぬ未来」と、「交通事故では死なない未来」。この二つ。
この二つ以外に道はありますか?ないですよね。
もし、あなたが将来、交通事故で死ぬことになっているとすれば、シートベルトを締めていようと交通規制を守ろうと、どれだけ神経質に運転したところで、交通事故で死にます。
一方、あなたが将来、交通事故では死なないのだとすれば、別にシートベルトをしていなくても猛スピードを出しても信号無視をしても、死なない。
シブヤの街が、丸ごとキャンパスになる。
それがシブヤ大学。
「日本の教育ってどうなんだろう」という想い、
「シブヤって、ホント面白い人がたくさんいるなぁ」という想い。
ふたつの想いは、それぞれバラバラにあったけど、
このふたつをくっつけてみると・・。
地域密着型の新しい教育のカタチは、各地で少しづつ生まれているけれど、
これをやるならシブヤほど可能性を秘めた街はないんじゃない?
シブヤ大学の構想は、その気づきからスタートしました。
(オフィシャルサイトより)
箭内さんはシブヤ大学の発起人の1人でもあり、
コミュニケーション・クリエイティブ学科の学科長でもあります。
クリエイティブとは、才能のある一部の限られた人の特殊な技能ではなく、
普通に暮らす我々一人ひとりの毎日の中にだって、きっと、それを活かすことができるはず。
そんなコンセプトから、我々の日常における様々なコミュニケーションの機会を
クリエイティブという視点から捉え直していく学科です。
(オフィシャルサイトより)
そんなコミュニケーション・クリエイティブ学科で、僕は箭内さんと一緒に講義したことがあります。
『コミュニケーションする日記』というテーマの特別講義。
生まれ育った地元の市にはあるのかないのか分からない女の小指の爪ほどの愛着もないんですけど、なぜかというと思春期にあんまし地元をウロウロしてないからですね。
大阪の学校に通ってた中学高校時代は旧時代的な校則の中途半端な進学校の内気な少年だったこともあり、下校中に梅田とか心斎橋とかで青い春を満喫した記憶もないわけで、そうなると自然に、なにがしかの愛着があるのは、大学生時代にウロついていた神戸、ということになります。
アンチ・アニバーサリーとは何なんだろうかと大みそかに考えてみてたりしてますが。
『第2回』をエスペシャリーに扱ってるのがイヤなんじゃないかと思ってもみてます。
すべてのことは『第1回』。
人生のすべてのイベントは『第1回』の連続で、第2回は来ない。永遠に。
今日は昨日と同じような1日で、明日もきっとそう。
それは、そう思いこみたいから、ってだけで、実際は違う。
目をそらしている。もしくは目をこらすのをめんどくさがっている。
箭内さんがかつて言った、
「僕が万が一、仮に天才だとすれば(実際はちがいますけど)、『奇跡を目撃する天才』だと思う」
奇跡は毎日毎時間毎分毎秒、ものすごい勢いで目の前で起こっている。
日比谷野音では何度かライブイベントをお仕事でやらせていただきました。
音楽業界、イベント業界には、みなさんのようには詳しくない僕は、当然日比谷野音の偉大なる歴史への造詣が浅いというか持っておらず、周囲の方々は、「野音と言えば尾崎豊」「野音と言えば清志郎」「野音と言えばジョンとヨーコ」「野音と言えばキャロルと永ちゃん」と、口々にその歴史への敬意を表するわけですけども、僕はそれらを聴きながら、なるほどそうですかとただ頷くばかりでした。
日比谷野外音楽堂90周年ですか。良い場所ですよね、周りは公園だし。
今年の4月6日は、野音で、「風とロック東京 LIVE福島 CARAVAN日本 ?俺ら東京さ行ぐだョおっかさん?」がございますね。みなさま是非お誘い合わせの上、ご参加くださいませ。
『未来』という言葉は甘い蜜で、カッコよく聞こえるし、何かキラキラ輝いて見えるし、
イイこと尽くめでチヤホヤされてますけど、僕はそもそも、『未来』について、そんなにいい印象は持ってません。
『未来』っていうのは漢語的に言うと「未だ来たらず」。まだ来ないと。言う意味ですよね。
未来は、永遠にやって来ないものです。未来は未来。未来が今になったり過去になったりは、しない。
未来の鍵を握る学校、とか言って3年やって来ましたけど、
未来の鍵なんて、そもそもどこにもないし、そんなものは幻想にすぎないと、
僕はずっと言い続けてずっと煙たがられてきましたが、考えが変わるわけでもなくここまで至りました。
過去の記憶にすがりついてぶら下がって生きている人は分かりやすく非難されがちですけど、
未来の夢だの希望だのを見て生きている人は、むしろ称賛されるというか、
素敵な人生ねとご婦人がたに微笑まれるというか。
■■ 身体の話 ■■
社長の肖像画を専門に描くような会社がかつてはあったと思いますが、最近の企業で、歴代社長の肖像画を並べているようなところはあるんでしょうか。ジュウシマツ和尚みたいな。イイですよねあれ。みんな笑ってくれますよ。昔、月刊風とロックにも、エンライトメントの社長の肖像ページありましたけど。面白いからみんなやればいいのに。
かつての日本において、肖像画には一定の決まりごとのようなものがあったそうで、描かれた人物が右向きのものは本人を見ながら描いた絵。左向きの場合は想像で描いた絵。だそうです。
有名な戦国武将の肖像画のほとんどは、右向きの絵です。右向きっていうのは、左の頬っ面がこっちを向いてる状態ですね。秀吉も信長の絵も、そういえば確かに右向いてますねえ。
■■ ゆべしスに捧げる ■■
二人の人から生まれてきた僕とあなたは、
一人だと寂しい。
二人だと嬉しい。
二人の人が一人の人を作った。
僕らは、欠片として生まれた。
半分に割れた、歪な形の欠片として。
早くあなたも二人になりなさいと言われ、寂しくて泣きながら生まれた。
僕もあなたも、必ず死ぬ。
僕もあなたも、いつ死ぬかは分からない。
必ず死ぬが、いつ死ぬかは分からない。
それが人生に「与えられた」、たったひとつの意味。
その意味だけが、「今この瞬間」という光の前に、僕たちを立たせる。
今がない者に、過去も未来もないのだ。
死がない者に、過去も未来もないのだ。
生きたいと願うのは、死に直面する者。
死にたいと願うのは、生に直面する者。
死ぬから生きたい。
生きているから死にたい。
生きるのは嫌だ。
死ぬのは嫌だ。
僕らは、欠片として生まれた。
歪な形の欠片として。
生きている。今。生きている。
人生の残りの意味は、自らが与えるのだ。
この形は。歪な欠片であるこの僕は、どこへ行くのか。
あなたに会うのだ。
あなたに会うために生きているのだ。
みんなに会うためにではない、あなたに会うために生きているのだ。
僕たちが人生に与えることができる意味とは、ただそれだけだ。
一人ぼっちの寂しさが翼となって、あなたの下へと向かわせるのだ。
金だ地位だ名誉だ世間体だモラルだ常識だ法律だ知識だ経験だ、そんなもので僕らは欠片を丸くすることはできない。歪さの隙間を埋めることはできない。
死んでいった人のために生きることはできない。
死んでいった人の分まで生きることはできない。
今、生きているあなたのために、今、生きているのだ。
あなたを求めて、歪な欠片は、空を飛ぶ。
ぎこちなく、不器用に、あなたを求めて空を飛ぶ。
飛んでいる間は死なない。
未完成な間は死なない。
あなたに会うまでは死なない。
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このエントリーは、
メルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』
本日配信分の一部を抜粋したものです。
全文は是非、メルマガでお読みください。
★登録:http://www.mag2.com/m/0001310550.html
山本くんからパスられました、
ラジオ業界ではディレクターという肩書きで生きています、横川涼と申します。
ナウマン象の化石発掘で有名な、長野県の「野尻湖」近くで産まれまして。
それで番組ではナウマン、というニックネームをいただきまして。
実家で親に「お前はラジオの何をやってるんだ」と言われると
説明がメンドクサイので、いつも適当に答えてまして、
仕事の大枠は (というかほとんどは) 山本くんのエントリー参照なのですが
せっかくの機会ですので、僕的にはちょっと踏み込んだ話を。
続きました。
続きものってなかなか大変で、なぜかというと、やっぱし、昨日書いたもの、おととい書いたもの、1週間前に書いたものって、今日、興味ないんす(笑)
すいませんぬ!!!! ぬとか付けてすいませんぬ!!!!!
でもその瞬間にオラオラオラオラオラとスタープラチナ的に書き殴っておしまい。みたいな。
もはや社会人とは思えぬような体たらくですけども、でもやっぱ、昨日書いたものには興味がない。
下手したら忘れてたりして、読み返すと新鮮ですね。へー、この人ってこんなこと考えてるんだー。浅はかー。みたいな。
とはいえお約束通り。がんばって続きを書きます。
続きです。
ラジオディレクター。
言うなれば、現場監督。
そりゃやっぱ、番組的に一番エライのは、プロデューサーなんですけども。
資金面や営業面も含めて、一手に管轄しなきゃなんないんで、現場どっぷりってワケにはいきません。
現場監督は、ディレクターです。
広告にはCMディレクターっていう肩書きもありますね。中島信也さんは確かそう名乗ってらっしゃいました。
CMディレクターがどういう立ち位置でのお仕事なのかは直接見たことがないので推察するしかありませんけども。
今日は夢の職業シリーズ第9弾(笑)
『ラジオディレクター』という仕事について。です。
とか言ってね。もはやラジオディレクターが憧れの職業だった時代は、
"北京原人 Who are you?"と共にはるか彼方へ去ってしまいました。
もはや、誰もラジオディレクターになんか憧れてない。それどころか視野にすら入ってない。
そう言いきってしまっていいぐらいの今日現在。