過去は記憶に縛られて、未来は夢に縛られて。僕たちはどこにも行くことができない。
僕たちには、今しか残されていないのです。
ただひとつ、どこにでも行くことができる今の自分の自由を、過去や未来は制限します。
過去は記憶に縛られて、未来は夢に縛られて。僕たちはどこにも行くことができない。
僕たちには、今しか残されていないのです。
ただひとつ、どこにでも行くことができる今の自分の自由を、過去や未来は制限します。
自由に、思うままに生きてよいんです。これが大前提です。で、社会の中で好き勝手に生きていると、必ず他人と衝突します。衝突するのは自然なことで、それ自体は全く悪いことではありません。で、どうしようか、というのが次の段階です。当たり前すぎますけど。順番を間違えてはいけません。
? 山本山本佳宏 (@y_a_n_m_o) 2014, 7月 29
他人に迷惑を掛けない範囲で自由がある、というのは、一見合っているようで合っていない。
? 山本山本佳宏 (@y_a_n_m_o) 2014, 7月 29
じゃあ自由って何なんだよボケが、ってことになると、100%自由に好き勝手に生きていいことになったら、一体何をするんですか、どのように生きるんですかっていう自問への答えが必要になります。
? 山本山本佳宏 (@y_a_n_m_o) 2014, 7月 29
書いている途中で、「何でTwitterなんかに書かなあかんねん」という気持ちで胸がいっぱいになりまして途中でやめたのがこちらのツイートになります。
いつも申し上げているように、人間が幸福に生きるために、人間がルールを作ったのであって、ルールが人間を作ったわけでも、ルールのために人間は生きているわけでも、ルールに生かされているわけでもありません。
ルールは守らなければならない、というのは一部は正しく、一部は間違っています。自分が幸福になるためにルールは守らなければならない。しかし、自分が幸福にはならないルールは破り捨て、自分が幸福になるルールに新しく変えなければなりません。
何と身勝手な考え方だろう、とおっしゃる人がいます。「他人に迷惑をかけてはいけません」「自分一人で生きているわけではありません」「人に迷惑をかけないようにするために、ルールは守らなければならないのです」と。
「夢が破れた」と言うとき、その破れ方には二種類あります。二種類しかありません。
一つは、「金銭的理由」です。
僕たちが、○○になりたいと夢を語るとき、その夢を正確に表現すると、「○○になって金を稼ぎたい」「○○になって地位や名誉を得たい」となります。
その職業になること、それを実現すること、が夢である人は意外に少数です。ほとんどの夢には、ちょっとは稼ぎたい、ちょっとは認められてチヤホヤされたい、ちょっとは売れたい、がセットでくっついてきて、その部分が実現できず、「夢破れた」と言います。
「私はそんな汚い考えを夢にしたりしません!」という人はそれで結構だと思います。金を稼ぐことを前提としない場合、ほとんどの夢は実現しますので、安心して進めばいいと思う。
一方で、そうではない人たちは、「金を稼いでチヤホヤされることが夢である」自分と、きちんと向き合うことが、最初にやらなければならないことです。下手したら…下手をしなくても、○○になりたいという部分が、実は今の自分にはどうでもいいことなんじゃないかと気づく可能性もあるわけですからね。
二つ目は、「対人関係上の理由」です。ギターとベースで女ボーカル取り合って殴り合いの末解散的な。ちょっと違いますか。
僕のようなコミュ障ではなくとも、対人関係の問題は、必ず起きます。この人とは合わない、この人とは一緒に仕事したくない、いるだけでムカついてしょうがない。だからこの場所にいることはできない、私は我慢できないから去ります、という流れで、「夢が破れる」。その反対で、自分はこの人たちに迷惑をかけているんじゃないか、自分は邪魔者なんじゃないか、もうウジウジ考えるのは疲れた、辞めます、という流れもありますけど、これらはコインの裏表であって、似たようなものです。対人関係は、人と人の間にあるもので、どっちか一方にだけ理由があることはありません。人間に合う合わないはつきもので、ということは、あなたに合う人は必ず存在する、めちゃくちゃ働きやすい場所は必ず存在する、ということでもあります。
人と合わないことを我慢する必要はありません。しんどいだけで得るものが何もないですし、こんなことで夢は破れたりしません。どんどん場所を変えればいいと思います。
この二つ以外に、「自分はやる気満々なのに、残念ながら夢が破れてしまった」という事態に陥ることは、基本的にはありません。
目に見えているものが、一歩踏み出した途端、前に突き出した掌に触れ水紋を描いて歪んでいく。道も草も石も空気も、暗がりの中、右手をかざして立ち止まる自分の後ろ姿も。進むはずの行く先が、進むことによって滲んでいく。
手に力を込めて真ん中の道をさらにもう一歩進むと、歪んだ光景に一筋の大きな裂け目が天に向かって走り、構わずトキはぞんざいに、裂け目に身体をねじり入れ、そこには暗がりの中に浮かびあがる、白く細い三本の道の分岐がありました。何度選んでも、何度突き破っても、何度進んでも、変わらぬ分かれ道。一本の道を選ぶことが、三本の分かれ道を生んでいるのです。元来た道を戻ろうと振り返っても、そこに道はなく、ずっしりと濁った闇があるだけでした。
同じことの繰り返しなら、なぜ前に進まなければならないのでしょう。トキはその場に乱暴に腰を下ろして腕を組み、見慣れてしまった三本の道を睨みつけました。この道の先に何があるのか、何が待ち構えているのかを知りたい。それがトキの望みであり、道を選んで前に進んだ動機でした。しかしいくら進んでも答えはなく、代わりに与えられるのはいつも問いです。同じ問いです。