三本の道が再び目の前に現れるまで、どれくらいの時間が経ったのか、トキには分かりませんでしたし、知ろうとも思いませんでした。急ぐ必要も、のんびり行く必要も、どちらもないのです。時間を気にしなければいけない理由が、トキにはありません。急いでも、急がなくても、それは時間とは全く関係がない。始まりと終わりがあって初めて、時間は生まれるのです。彷徨うとは、彼にとってそういうことでした。



 白い砂利がおざなりに敷かれた、三本の細い分かれ道。以前見た光景と全く同じに思われましたが、あの場所に再び戻ってきたのかどうか、トキには分かりませんでした。今目にしているこの分かれ道は、かつて見た道なのか、それとも新たな道なのか。そもそもこの道は、本当の道なのか。トキはこの光景を求めて彷徨ってきたつもりでしたが、それでもいざ目の当たりにすると、一歩を踏み出すのはやはり躊躇われました。

 足を引きずるように前に進み、おずおずと手をかざすと、予想通りの感触が手のひらにありました。この分かれ道は、紙に描かれた絵でした。どう見てもそこには道があり、この先に続いているように見えるのに、進もうとした途端、断固とした紙が立ちはだかるのです。紙の壁は絵巻物のように水平に伸び、両端は闇に飲まれて永遠に続いているようにも思えました。トキは絵に鼻の先がこすれるほど近づいて立ったまま目を閉じ、ふっと息を吐き出しました。吐息は紙に反射して彼の頬にかかり、これが今、たった一つの確かなものに思われるのでした。

 

 この紙に描かれた絵は、実際の風景と全く見分けがつかなかったはずなのですが、左の道からは自然な息遣いを感じません。溶き油を全く使わずにのっぺりと塗られひび割れた油絵のように、草や石がぱさぱさと、わざとらしく音を立てて揺れ、その音さえも虚しく彼方へ吸い込まれていくような息苦しさを感じて、トキは顔を絵から引き剥がすように背けてしまいました。ただ、そこに道があるという事実を乱暴に守っただけの、呼吸をしない、偽物の、死んだ光景でした。

 右の道の前に近づくと、ちょっとした異変に気づきました。他の道とは違って、どこからか光が差しているように見えるのです。トキは嬉しくなってさらに顔を近づけました。例え目の前の光景が絵なのだとしても、動いている絵なのだとしても、進むべき道を選ぶためには、違いが必要なのです。それがどんな種類の違いであっても、どんなに些細な違いであっても、必死にすがるのです。それが光ならばなおさらでした。光は、行く手を照らす。光は闇を払う。どんなに微かであっても。トキは右の道に進むことを半ば心に決めながら、それでもなお慎重に様子を窺いました。

 光は、行く先を照らしてはいませんでした。彼方を飲み込んでいた闇は光に置き換わり、白く覆われて先を見通すことができません。光は差し込んでいるのではなく、ただそこにあるだけでした。今あるものがより鮮明に見え、今ないものは相変わらず見えない。道に転がる小石の輪郭が鮮やかになっても、トキには、それが希望であるとはどうしても思うことができませんでした。




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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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