目に見えているものが、一歩踏み出した途端、前に突き出した掌に触れ水紋を描いて歪んでいく。道も草も石も空気も、暗がりの中、右手をかざして立ち止まる自分の後ろ姿も。進むはずの行く先が、進むことによって滲んでいく。

 手に力を込めて真ん中の道をさらにもう一歩進むと、歪んだ光景に一筋の大きな裂け目が天に向かって走り、構わずトキはぞんざいに、裂け目に身体をねじり入れ、そこには暗がりの中に浮かびあがる、白く細い三本の道の分岐がありました。何度選んでも、何度突き破っても、何度進んでも、変わらぬ分かれ道。一本の道を選ぶことが、三本の分かれ道を生んでいるのです。元来た道を戻ろうと振り返っても、そこに道はなく、ずっしりと濁った闇があるだけでした。

 同じことの繰り返しなら、なぜ前に進まなければならないのでしょう。トキはその場に乱暴に腰を下ろして腕を組み、見慣れてしまった三本の道を睨みつけました。この道の先に何があるのか、何が待ち構えているのかを知りたい。それがトキの望みであり、道を選んで前に進んだ動機でした。しかしいくら進んでも答えはなく、代わりに与えられるのはいつも問いです。同じ問いです。




 

 トキは進むことも逃げることも、すっかり嫌になりました。このまま分かれ道の分岐点に居座って、どこにも行かないことに決めました。ここでごろごろと転がっていれば、もうこの忌々しい、目の前の絵を突き破った後に、無為な気持ちを抱くこともないのです。当てもなく逃げ走った後に、やっぱりこの紙の先に何があるのかを知りたくなって、ここに戻ってくることもないのです。当てのない逃避行のうちに出会うものはあっても、それらは決してトキに当てを与えてはくれませんでした。この分かれ道から逃げる限り、トキが描く円の中心は常に今あぐらをかいているこの場所で、彼は結局、大地に深々と打たれた杭につながれた犬と同じでした。

 何も見えないとは知りながらトキは、足を組んだり伸ばしたり、バタバタしたりしながら空ばかり見ていました。三本の道への憎らしさは消えて、今はできるだけ目に入れたくない光景になっていました。目に入れたくないはずなのに、それぞれの道がだんだんとはっきり見え始めている気がしています。

 自分が座りながらじりじりと無自覚に前進しているのか、絵が音もなく近づいているのか、それとも背後の闇に少しずつ背中を押されているのか。トキが驚いて身体を起こした頃にはもう、真ん中の道の入り口が迫っていました。道の先のほうには、大勢の人たちがいるのが、今度は小さいながらもはっきりと見えます。赤や青や黄の、色鮮やかな服を着た人たちが入り乱れ、つかみ合ったり、馬乗りになったり、殴ったりしています。怒号も鮮明に聞こえてきました。トキはこの道を行くのが心の底から嫌になって、立って逃げだそうとしましたが、手遅れでした。放り出した彼の足先が絵に触れて真ん中の道はぐにゃりと歪み始め、もう他の道の行方を見ることも、選ぶことも、立ち上がってどこかに逃げ出すこともできません。トキの身体は道の描かれた紙に向かってなすすべなく押し出され、ついには足が紙を突き破って、彼はまた、天に向かって稲妻のように走る裂け目を見上げるのでした。

 蟻に運ばれるような速さで前に進み、足は付け根の辺りまで紙の向こう側に消えて、裂け目は鼻先に迫っています。トキは目を閉じ、音もなく裂け目をくぐり抜け、目を開き、座ったままうなだれて再び目を閉じました。




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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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