以前に、「ギネス記録をひとりひとつ作ること」を義務教育課程に組み込むべきだという話を、

何度かしたことがあります。

「あはは?」的な。「アホがまたなんか意味不明の極論言うとるで?」的な。

 

Twitterには意味のあることなんか書かないとかエラそうなこと言っといて何か書いちゃって申し訳ありませんが、

もう二度と書かないと自らを再び律しますが先日Twitterでですね、

"「ボケて」みたいなのは義務教育課程に入れたほうがいいです。"みたいなことを書いたんですよ。

"英語の発音ダメでバカにされる。走るの遅くて笑われる。 発想がサムくて引かれる。さあ社会に出て1番困るのはどれでしょうかー?"と。

「はいはい」的な。「奇を衒って注目されたい奴wwww」的な。

 

 

確かに!確かにやあれへん。

いや、確かに、もう間に合わなかったので導入する必要はもうないんですけど。

ただ、わりと本気でやったほうが良かったと思いますけどね。めちゃくちゃ必要でしたよ本当に。



 

ギネスについては、弊メルマガの第一章。

20120619 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』No.047 強制ギネス】

で述べておりますので、ご興味のある方は是非バックナンバーをお読みいただければと思いますが、

"ボケて"については初めて言及する話ですよね。

 

 

"ボケて"っていうのは、

http://bokete.jp/

このサイトのことで、今は結構人気あるのかな?ネット黎明期から似たようなものはずーっとあります。

 

ダウンタウン松本さんの「一人ごっつ」で行われた『写真でひとこと』に始まり、

お笑い共通一次で素人が参加して松本さんに採点され、

ソーシャルと絡んだりして今度はユーザーの採点がリアルタイムにつくようになった。

 

その流れで言うならば、ネット以前に行われていたラジオのネタ投稿や、

ジャンプ放送局に代表されるマンガ雑誌の読者コーナーも、当然その源流にあります。

 

 

「私たち、別にお笑いのプロでも面白キャラ目指してるわけでもないから必要ありません」

という反応は当然あろうかと思いますし、僕もそれを想定して言っているわけではありません。

大喜利を小中の授業で教えろという暴言のように見えますけど、それが本質ではありません。一例です。

考えてきたギャグを披露せよ、ではなく、

どれだけ自由な発想ができるか、ということと、それがどのように社会で評価されるのか、を、

同時に体験しておくのは、非常に大切なことです。

 

 

ひとつのテーマに対してアプローチが無限にあることを知る体験。

「??だと思いました」「よくできましたー」(パチパチパチ)

発表会的な建前でなく、その場で起きる『笑い』というごまかしようのない評価にさらされる社会体験。

自発的に発信した結果、おもいっきり「スベる」ということの恐怖を知る体験。

 

 

頭が悪くて先生に当てられてアウアウ言ってるのを叱られてヘコんだり、

体育でオカマみたいな走り方を女子にバカにされてウンコみたいにイジメられたり、

そういうリスクを内包しているのを承知で、あるいは社会に出るために必要な通過儀礼だと割り切って、

学校はそういった授業をやめずに続けているわけですよね。

ならば、同じくらい必要なことはあるはずです。

 

 

ウケたくてガキ特有の内輪受けと模倣に走る。

先生のマネ、イジメられっこのマネ、テレビで見たギャグのマネ、近所のキチガイのマネ。ネットで見たネタのマネ。

なぜ、それを選んだか。良い悪いではなく。

自分がいかに狭い箱庭でしか発想できていないかを知る授業。

ガキは総じてつまらなくて当然です。

しかしもっともっと視野は広がっていくこと、広げればもっと面白いことを知っているのと知らないのとは大きな違いです。

それをしないからオッサンオバハンになっても針の穴のような視野しか持てずにいる。


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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日信分の一部を抜粋したものです。

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