僕は世界を救わない。あなたと同じように。
あなたは世界を救わなかった。
あなたの両親も、あなたの祖父母も、世界を救わなかった。
あなたの子供も、孫も、世界を救わない。
あなたと同じように。僕と同じように。
世界を救う前に、まずは自分自身を救うべきだと、名言フォーマットは言う。
救うべきなのではない。
人間はせいぜい、自分を救うか救わないか程度で、人生を終えていくのだ。
途方もないもの、判断のつかないもの、手に余るもの。
そういったものに与することで、僕たちは望んで、答えの出ないものに身を投じる。
永遠に答えが出ないのであれば、僕たちは永遠に、そこに浸かっていられる。
「頑張ったよ、頑張ったけど答えが出なかったよ」と言いながら、僕らは死んでいく。
世界とは何かさえ知らずに。
神とか、永遠とか、世界とか、幸福とか、たとえばそういうもの。
これらは、ある人々にとっては、死ぬまで噛んでいられるスルメのようなものだ。
これは正解ですか?と問うても答えのないもの。一部の人は嫌いな言葉で、一部の人たちは大好きな言葉。
手に入らないからこそ望むもの。自分が望んだからそこにあるもの。
自分にとって、これが世界だと思えたならば、これが幸福だと思えるならば、それでいいではないか。
それは素晴らしいことでもあるし、僕たちは何とかそれを信じ、安心を得ようとする。
そしてたいていは、安心には至らない。僕たちはスルメを噛み続ける。
世界って何だろう。幸福って何だろう。
世界を救うにはどうしたらいいだろう。幸せになるにはどうしたらいいだろう。
僕はあなたを救わない。世界と同じように。
あなたは僕を救わなかった。
あなたの両親も、あなたの祖父母も、僕を救わなかった。
あなたの子供も、孫も、僕を救わない。
世界と同じように。僕と同じように。
僕はあなたのことを知らない、あなたが僕を知らないように。
僕は世界のことを知らない、僕があなたを知らないように。
あなたはなぜ、世界を知りたいと思うのか。
あなたはなぜ、自分を知りたいと思うのか。
あなたは世界の何を知りたいのか。
あなたは世界に散らばる不幸を集めているのか。それとも幸福を探しているのか。
あなたは自分の不幸を探しているのか、幸福を、探しているのか。
世界を愛しているか。
自分を愛しているか。
世界に自らを捧げるか。
あなたにあなた自身を捧げるか。
捧げるのではなく、もらうのか。
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