人と仲良くなるのは簡単なんですよ。

大嫌いなものを共有すれば良いのです。

 

嫌いなものが同じ、ということの結びつきは大変強いですよね。

周りをご覧ください、陰でも日向でも、誰かの悪口を言い合う人たちが、

結合する泡のように互いを強く吸い寄せるさまをあちこちで見かけるでしょう。

 

「そんなのは嫌だ、私は好きなものを共有したいのです!」

 

それはもちろんそうでしょう。

誰だって『嫌いなものが同じ仲間といつも一緒にいます』とは胸を張って言いづらい。

しかし、仲良しさんが今欲しいなら、そっちの方が圧倒的に速いのは事実です。

 



 

好きなものは好きなんですから、深くのめり込みやすい。

好きなものと対峙することにためらいやストレスが少ない。

そうやって時間をかけて関われば関わるほど、好きの形は細分化していきます。

認識が細分化されると言った方がいいのかしら。

 

「あれ、同じものを好きだと思ってたのに、ちょっと違うかも」

「この人の好きと私の好きは、同じじゃないかもしれない」

 

本来違って当たり前なのです、誰かと完全に同じということはあり得ない。

そこへ来て、今は僕たちの肉体が追いつかないほど、細分化できる道具が揃っています。

昔であれば、好きの種類なんて三つとか四つ以上に分割する手だてがなかった。

そんなもんだと僕らも思っていた。

せいぜい、フジテレビを見るのか日テレを見るのかTBSを見るのか。

もしくは関テレを見るのか読テレを見るのかMBSを見るのか。

そういった程度の区分でした。

テレビを見ない、という選択肢が、ほんの数年前の僕たちにはなかったことを考えても、お分かりかもしれません。

 

今は、もっともっと簡単に、そして細かく、自分の『好き』をカスタマイズ設定することができます。

僕たち自身が望んでそうなった。

やっちゃうんですよね。好きだから労力も苦じゃない。

そして、気づく。あの人と私は、好きなものが違う。

 

 

これは嫌いなものには当てはまりません。

嫌いなものには、深く潜り込んで時間を割こうとはしないからです。

そんなことしてたら心の状態が、ほとんど「好き」と変わらなくなってきてしまいます。

好きも嫌いも根っこは同じですから。ストーカー殺人的なことになってしまう。

 

話が逸れましたが、嫌いなものを共有する人たちの会話の、

濃密な絡み合いとは裏腹な浅薄な内容をご覧になれば、そのこともご理解いただけるかもしれません。

掘る必要がない。向き合う必要もない。これは便利です。

とにかく、「あんなやつ死ねば良いのに」とさえ言い合っていれば当座のストレスは解消します。

 

アイドルが嫌い、ロキノンが嫌い、テレビが嫌い、政治家が嫌い。

あの女優が嫌い、あのCMが嫌い、ハゲが嫌い、上司が嫌い、大人が嫌い、子供が嫌い。

動物が嫌い、韓国が嫌い、原発が嫌い。

 

 

仲間や友達がいなくて寂しいという方は、

Twitterなどで、私は誰々が嫌いだ、何々が許せないと主張すれば、あっという間に見つかります。

あとは外界の声を適宜遮断すればOKです。お試しください。


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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日信分の一部を抜粋したものです。

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