山本山本佳宏 yanmo.jp

風とロック コラムアーカイブ

『ふぁぼる is クリエイティブ』(2011年2月号掲載)


ふぁぼる

 

ふぁぼる(動詞) 意味:お気に入りに追加すること

 

Twitterにおいて、特定の”つぶやき”の右側にある☆(星のマーク)をクリックして、

自らの”お気に入り”のカテゴリーに追加することを言う。

英語のfavorite(お気に入り)を動詞化した言葉で、favるとも書く。

 

日本語は何でも動詞化しちゃうんですか。『しちゃう』とか使うなよキモチ悪い。オカマか。

日本語は何でも動詞化しちゃうんですかとオカマに問われたらアタシの場合はむしろ逆で動詞化こそ日本語の醍醐味でありゴールであり新しい言葉の一般化普遍化を意味しちゃうってことなの。CDが売れなくなった理由は結局シディるって誰も言わなかったからなの。グーグルが生活に定着したのはググるって言うようになった瞬間なの。あきらめないで!

 

Twitterがしっかりと一般化したのはツイるとかふぁぼるとか言いやすかったという面ととりあえず「○○る」で流行らせようと頑張った人の思惑が正しかったのと両面あるんだろうと思うけどもまだやってますよTwitter。この前何かの企画会議でウェブ周りを担当するオッサンが延々「トゥイッタが」「トゥイッタを利用して」って言っててお前はラッパーかとつっこむのをずっと我慢してたら会議が終わってしまった面があるの。まだやってますよトゥイッタ。

 

僕みたいなエラのあたりのヒゲの剃り残し5ミリ程度の存在であっても「お前はこういうヤツだろう」「お前がはこういう事を言うヤツだろう」というある種の期待があって僕はそれに沿ってヒゲを剃って答えたりもしますし演じたりもする。僕は「素の自分」「本当の自分」っていう言葉は嫌いじゃないけど使われ方が大嫌いで、好きな自分も嫌いな自分も演じてる自分も「こんなのはホントの私じゃない」とか言ってる自分も全部ひっくるめたモノが本当の自分であり素の自分なのであって自分の一部を拒絶したり切り落としたりする必要はないと思ってるわ。あきらめないで!何で語尾を女にしたら真矢みきbotが顔を出すのか。

 

 

本来の僕は口汚くて陰気な鶏のササミなんですけども番組で各種のお仕事をするうちにいつの間にか「何か名言ぽいこと言いそうなキャラ」を望まれていて僕もそれをKARAとして演じ続けてる意識があった。

 

僕にとって「ふぁぼられ」とは、僕が『僕ってこういうこと言いそうでしょ』と思って書いて皆様が『そうそう、お前ってこういうこと言うヤツだよねだよね』っていう意思疎通の証しだと思ってて僕のTwitter上(@y_a_n_m_o )におけるふぁぼられ上位を転記。自意識過剰の誹りという代償を払って例証。


『19950117』(2011年1月号掲載)


東京人大好き地震ネタ

 

被災者という言葉はとてもとてもとてとてとても都合のいい免罪符でルターをビンタして奪い返して高々と天に掲げながら僕は言う「地震はネタでしかない」と。ルター涙目。帽子斜めなっとるがな。

 

僕のシングルロールのトイレットペーパーのごとくペラッペラなウンコ拭く価値ほどしかない大学生活においての記憶と言えばサークルで玉を蹴りあげていたことと地震のことぐらいしかなくて阪神淡路大震災。上京して薄暗い顔でチマチマ隅っこで仕事してて話しかけづらい僕が、大学は神戸でしたと答えたときの東京の皆様の顔がツルツルテカテカ輝いたことを僕は忘れない。ようやく食い付けるネタを見つけたと思ってツルテカしたことを僕は忘れない。恨み節では全くなくて僕もようやく何かしらのネタで東京の大人たちを喜ばせ組できるんだと思ってフェラチオ巧くなるために頑張れる私。的な。すごく誇らしいキモチになった。

誰もが僕に「地震のとき神戸にいたんでしょ?どうだった?」と聞いてきて僕は内心嬉々としつつも淡々とした感じを装いつつもそのたびにあの日のコトを話した。鉄板だった。みんな僕が大学時代に考えたどんな面白ネタよりも震災エピソードが楽しそうだった。やっぱ人間はこうじゃないとな、とむしろウンウンとうなずいた。

一言で言えばたくさん死んで知った顔も死んだ。大学のグラウンドは自衛隊の駐屯地みたいになった。でも本当に近しい人は死ななかった。好きだった女の子も死ななかった。僕にとってはそれで十分で他人の事なんか考える余裕もなかったし時には当事者ヅラ、時には第三者ヅラ、時には露骨な被害者ヅラをした。

また今年も1月17日に合わせてネタを披露する機会があって、相変わらず東京のヤツは地震ネタ好きだなあと思い、だったらばと、記憶新しい頃に書いた情緒たっぷりの気持ち悪い地震関連テキストが先日発掘されました(゚震゚;)ので載せてみます。ネットに載せるように書いたので、情緒に加えて表現も気持ち悪いですが。その気持ち悪さの中に地震に対する制御できない何らかの想いがあったんだろうなと。

 


『よこかわくんへ』(2010年12月号掲載)

 

人の一生っつーのは分からんもんだとプールの授業中に女子が座ってたとこに出来たケツ型の茹であがるような水たまり見てチンコ勃ててた中学生の僕にタイムリープして伝えてやりたいことはnつある(n3以上の整数)

思春期を存分に過ごす人たちを妬み嫉んでその場でうずくまって、あいつらみたいにはきっと生きていけないしあいつらと僕が関わることは一生ないだろうと思ってた中学生の僕へ。出会うべき人には、いつか必ず出会う。僕と誰かの道は、同じ星を見つめて歩いている限り、必ず交差する。

 

横川涼という男は、僕が持っていない全てのモノを持っている気がした。

温和でオシャレで芯が強く、バンド活動に明け暮れたあげく上京して夜な夜なクラブでDJをやり、カッコイイオシャレ男子とカワイイオシャレ女子に囲まれて毎日を過ごすくせに、オモチャやガラクタにも少年のような瞳を輝かせる文字通りのリア充。彼は僕がたどってこなかった、たどれなかった道を歩いてきた男だった。僕が持っていないものを持っているくせに僕が持っているものも持っている気がした。共通点は、同い年であることと、同じ瞬間に、ラジオを全部やめようと思ってたことぐらいだった。出会いはしたが、こんなキラキラした人と僕の道が交差することなんてあるわけがないと思った。

 

音を扱う仕事に携わる人は世の中にたくさんいる。僕も仕事上、そういった人たちとたくさん出会った。

僕の専門は音楽でも音でもないので、そういう人たちに対しては、「音楽詳しいんですね」「耳がいいんですね」以上の感想を持たなかった。彼らが壁を超えて僕の世界に入ってくることはなかったし、僕も彼らの世界に立ち入ろうとはしなかった。深い溝は深いままで、それぞれの岸で100メートル離れた豆粒ほどの人間の性格だの外見だのを勝手に想像して批評し合ってる。プロアマ一般問わず溝に向かって精液飛ばして満足するようなヤツばっかりだ世の中。

 

横川涼は、僕の世界を音でなぞる。誰かのカタチを音でなぞる。なぞる指が目に見える。それは彼の優しさであり、彼の主張であり、彼の命がけだ。命がけだ、なぜなら下は深い溝だからだ。

あなたは今、こんな姿を、こんなカタチをしています。誰かにそう言ってもらわない限り、僕たちは自分のカタチも分からない。自分のカタチが分からない人は、世界のカタチも分からない。

僕は言葉で、それをしようとする。彼は音で、それをしようとする。道は交差した。

 

どんな道をたどってきたから、そうするのか。そんなことはどうでも良くて今この瞬間、この交差点でそれをしていることだけが僕にとっては重要で、彼が音楽に詳しいのか機材に詳しいのか耳が良いのか才能があるのか、そんなことはやはりどうでも良くて、僕は彼の勇気に嫉妬して、嫉妬と同時に信用する。彼は口下手なりに言葉でも懸命に伝えようとして、言葉でも世界をなぞろうとしていて、僕はそれにも嫉妬して信用する。

そう遠くないうちに僕たちの道はまた分岐して、違う場所へと歩いていくだろう。僕はオナニー後のティッシュ臭漂う、やけっぱちの負け組であり続けるし、彼はどんな場所に行ってもキラキラと輝き続けるだろう。僕がそういうふうに彼のカタチを言葉で今なぞったんだから、そうなるんです。

 

クソダセー寂しがりの僕が、返事を求めず大好きだとラブレターを書ける人は少ない。

そしてこれはラブレターですクリスマスおめでとう。



『体育会系 is クリエイティブ』 (2010年11月号掲載)


この蝙蝠野郎が

 

パプアニューギニアとかで蝙蝠の丸焼き食ってる時のマーシーが1番好きでした好きでした好きでしたあああああぁああああっー!!!!!!!!!(みなとみらい方面へ走り去る)

 

あの時マーシーがサングラス振り乱しながかじっていたあの蝙蝠は現地の人たちに囚われ丸焼かれる前に何があったんだろう?一体何を見て来たんだろう?主にフルーツを食う心優しい蝙蝠だったんだろ―――――おおおぉおおーぅ歌ってみたわりにそんなことには靴下のサイドについてるボンボリと同じ程度にしか興味がなくて興味があるのは、友達はいましたか。

 

蝙蝠コウモリ蝙蝠とは時にイソップ童話のごとく卑怯な八方美人野郎として扱われどこにでも良い顔をするヤツは結局信用ならんヤツで仲間にも入れてもらえずにウンコみたいにイジメられるよイジメは正義だから。

そんなクソみたいな蝙蝠野郎のことを目にするたびに僕は自分のことを思い出すしかないわけですよこの蝙蝠野郎が。僕は蝙蝠野郎なんでしょうかイヒヒヒヒヒヒヒヒ!!!!!


『決めゼリフ is クリエイティブ』 (2010年10月号掲載)


ホモ痴漢3連発

 

ホモ痴漢3連発という知ってる人は知ってる僕の鉄板エピソードネタというものがありますが聞きますか。

ホモという単語に何らかの差別臭をお感じになった方はすいませんが差別ニュアンスはありませんが僕はホモに嫌な思い出があると主張する権利が少なからずあると思うので聞きますか。どうしますか。どうですか。今晩どうですか。替え玉どうですか。おなかいっぱいですか。延長どうですか。スペシャルサービスありますがどうですか。

 

中高時代は電車通学だったですが中2から中3の1年間ホモの痴漢に追い回されて、夏。夏だけじゃねーよ1年間つってんだろーが。

いつもの通り通勤ラッシュの電車にグリングリン乗り込んで吊革にぶら下がっておりましたらばど――――――もチンコ揉まれてるな―――――――――――ど――――――う考えてもチンコ揉まれてるよな――――――と思って振り返るとそこにはペペのローションを頭から浴びた七三分けのムーミンみたいな50ぐらいのスーツ着たオッサンが僕の背後で背後で背後で背後でポリループポリループポリループポリループポリループポリループ、プ、プ、プ、プ、プ。

分かりますか奥さん。思春期真っ只中の内気なニキビ面が電車の中で油すましみたいなオッサンにハアハア言われながらチンコ揉まれた日に帰って浴びた熱いシャワーの味と人格形成の歪みが分かりますか。奥さん。あんたの旦那ですよ奥さん。

それから1年、時間を変えて車両を変えて逃げ回り続けてホモの痴漢は僕を追いかけ続けてたぶん1年近くは続いたと思う。いまだに耳元でハアハア言われた瞬間に血が冷たく沸騰する感覚が鮮明に残ってますけども。これホモ痴漢1発目。


『風とロックの26時間』 (2010年9月号掲載)


風とロックの26時間

 

妖怪あかなめからキミのケータイに毎日メールが届くよあかなメール!!!!!!!!!

 

紙面容量的に余裕のない中、1行目に何を書くかを全身舐められながらひと晩考えまして8月28日24:00から8月29日26:00までの26時間。重度のリアルタイム中毒者たちが贈る『ラジオ風とロック』の生放送を超えたREALTIMEプロジェクトそれが『風とロックの26時間』!!!「口で言ったことの責任を取る。それが企画である」との箭内道彦の宣言通り思いつきを必死にカタチにするだけのリアルタイム企画中毒者たちの26時間!!!!ラジオ風とロック・生放送3連発そして3連発のハザマはTwitterとUstreamと連動して完全実況!!!!

 

【8/28 24:00】Twitterのヨシヒロアカウントにて『風とロックの26時間』開始。完全実況スタート → 【8/28 25:30-26:00】 ラジオ風とロック(TOKYO FMバージョン)生放送 → 【8/2827:00-27:30】 → ラジオ風とロック(JFNバージョン)生放送 → 【8/29夕方頃】 仙台に向けて車で出発 → 【8/29 24:00-24:30】 ラジオ風とロック(Datefmバージョン)生放送@Date fm → 【8/29 26:00】 『風とロックの26時間』グランドフィナーレ

 

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『スピリチュアル is クリエイティブ』 (2010年8月号掲載)


ツァ

 

かつて高名な占い師にあなたは首の凝り過ぎで今年中に死にますと言われて幾星霜。花は枯れ鳥は空を捨て人はほほ笑みなくしてきたけれども僕の首には沼から上がって来たときに知らぬ間についていた吸血ヒルが何本かぶら下がっているぐらいで今年もこうやって首の凝り過ぎで死ぬこともなく半分以上たち、占いが大嫌いになりました。凝り過ぎて。

とは言えこうやってNOUNOUと生き恥と首のヒルを晒し続けてると周りもある程度年をとってくるせいなのか世の流れなのかは分からんけどもスピリチュアルブームですか。相変わらず。Pスポットことパワースポットブームですか。この前加藤鷹がGスポットは3つあるとか言っててビックリしましたけどもPスポット。好きなスポット行ったらええがな。マイスポットに行ったらええがな。いちいちパワーパワー言わんでも。あと朝イチから人の星座をランキングづけるのいい加減不快なのでやめてもらえますか。前も言いましたけど。キキとララに頼んで小惑星ぶつけますよ。

 

日本は男社会です。中でも放送業界は男社会です。男のためにシステムが組まれていて女性はすごい苦労するというか生き方の選択肢がすげー狭いと思います。今思い出したので書きますがかつて女性の先輩の放送作家さんが言ってて「女がこの業界で生きていくためには2つの道しかない。女で売るか、女を捨てるか」とか言ってて気持ち悪いなーこのオバハンと当時は思いましたけれどもそんだけの覚悟を女性に要求する職場っつーのはやっぱり男社会なんだろうな僕自分のSEXを意識して仕事したことないから。同様に女性はそういうことを意識しないかもしくは男になんか負けねーぞと思って仕事をしているとシステム上何らかの壁にぶち当たることが多いんじゃないかと見てて思って気が狂ったように毎日毎日働いてた女性のディレクターはこいつやるなーと思って大好きだったんだけども結婚した瞬間ものすごい勢いでダメになったというか、あのロボトミー手術後みたいなぶっ取れたセンスが根こそぎなくなってて個人的な感想なことは分かっててダメだった。何か戦友をひとり失ったような気分だった。これは偏見ですか。蔑視的な。個人的には結果以外に何も興味ないつもりですんですが。どこぞのチンコ出し入れした回数だけゲスト入れるヤツとは違うつもりでしたんですが。

 

スピリチュアルに走る女性も見かけるようになる。ヒマか。いやヒマではないんだろうけども男のために組まれたシステムの中で男と同じモチベーションもしくは目標を持たされていくことに無理が生じるのか目標をズラす。彼女たちにとってはズラしたわけではなくてそちらの方が正しいチョイスかもしれないけどもとにかく石だのタロットだの神社だのPスポットだの前世だの言い始める。ヒマか。僕の立場からすればスピリチュアルとか言い始めた瞬間に戦線から脱落していくそんな女性たちを見るにつけ複雑というか寂しいというか原因探ったってしょーがない気にさせられる。

 

そしてそれは僕の思いすごしの可能性もあるわけでスピリチュアルがクリエイティブに及ぼす素敵な効果だって期待されてしかるべきであって食わず嫌いというか世界の中心でワーワー言うのをやめてみることにしました。

 

「スピリツァらざるをえないのよ」

と彼女は言った。ツァ。

彼女は僕と同い年でディレクターでここ1年とちょっとの間にスピリチュアルへの道をツァンツァン歩んできた人で僕の疑念の目は具体的にはこの人に向けられていた。言ってることが本当なのか嘘なのかということには興味がなく、スピリチュアル道をツァンツァンと歩き始めた結果クリエイティブに何らかの良い影響が出ているのか出ていないのかに興味がある。

 


『続・ギャングスター・プランナー』 (2010年7月号掲載)


検閲済

 

こん■■は。

週刊マン■誌と言えば漫画家と担当の息も■■ぬ二人三脚■■■■のやりとりも頭に浮かんだりしたり書籍と言えばZ■クラスのとんでもない数の赤い■■が入っての差し戻しがあったりしてそりゃまあ■■■■ことなんだというか放送作家だってCMプラン■ーだってそれ以上にそういうことで■■■まあ規制も修正も■■スカ入ってくることを大前提として■■していくわけでいつの間にかみんなそれに慣れていく。んだけども現状僕の■■内容において規制はそりゃあるんだけども■■■■差し■しを受けることが幸いなことに■■■■なくて一方では幸いなんだけども一方では■■不安になる。そういうことで長らく■■を続けておりますと色々なこともオ■ン■ございますが月刊風とロ■クでの連載において内容を修正された経験は■■■ありませんで大変■■■■■思っておりますが最近の放送業界では■せるというか原稿に赤を入れられる■■■■■が非常に■っていましてそ■そ■赤を入れることが■■■■■ではないと考えるバカ■■■■■■■■。それはすなわちどういうことかというとアババババババババババババババ責任を持たないという■■です自分の考えたことじゃなくて■■が考えたことだからどうなろうが■■■と。「■■作家■■の原稿に手を入れない主義です」とかもうホントにアホ■■■■言いようがなくて主義とかスタイルとか関係ね■だろだったら■■■■■何なんだよ■出じゃなくて■■■■■■■係じゃねーか。その場で起こることに当事者として関わってないやつがどうやって責任取れるんだよ。みたいなことを思うこともしばしばあります。長野五輪反対!!!■■■■■■■■!!!!

 

一方で。広告業界■■■■■■■すが、「まだナイショだから来月まで情報は■■■ください」と言われる場面、いわゆる解禁指定■■■■■■■■■■します。すべてのコトに解禁が存在していると言って■■■■■■■い。メシの種をパクられたりカッコよくサプライズ決めたかったのにみんな知っててカッ■■かったりと理由は色々あるけども解禁は設定されます。そして2010年、ほとんどすべての情報は解禁をすり抜けてダダ漏れしていく。極論で言うと、誰かの脳内にあったものを脳外に出した時点で禁は解かれているわけで、要は■■■■■■ブリ■■リリリ■■■■■■■、その線は2010年、異常に諸井。だって線を形成してるのは人間だもの。相田みつをのことは今も昔も大嫌いです。

そんな感じで本線とは違うところで■■■■■■■■■■■消耗する人はたくさんでてきてしまって■■■ったら秘密保持されるのか解禁は守られるのかとギリギ■■リギリと。漏らしたがりの世の中で漏らさず行くのは■■■頑張っていただきたいなとは思うけど、問題は参加■とか双■向とか2■AYとかチン毛パラダイスとか僕の大■いなフレーズの流布に■■■て消費者を広告に参加させるというか巻き込むタイプの増加によりまして、■■■■■一部意図的に隠し意図的に漏らすわけですよね。漏れた部分■■■■■■■■■■■全解禁となった場合に、「何だ広告かよバカ■■■■■の人を利用しやがってアホかよふざけんな」とか思っちゃうコト多数ある。愛のない広告、人を馬鹿にした広告、俺らオモロイだろオラ■■みたいないけすかねー広告に対する拒絶反応は■■ポストに山盛りインサートされるチンコチラシへの感情と同じだ。■■■■■■のアレとかホントにいけすかない。ずーっとヒモみたいに食わせてもらってたくせにちょっと売れてきたら腹を蹴って女を追い出す■■■のベースのようにいけすかない。

 


『真・中3 is クリエイティブ』 (2010年6月号掲載)


15の夜

 

「15の夜!」

「ビクッ!」

「15のゴールデンウィークの夜!!」

「ビクビクッ!!」

「15のゴールデンウィークに誰も遊ぶ相手がいなかった夜!!!」

「ビクビクビクッ!!!」

「15のゴールデンウィークに誰か誘ってくんないかなーとかヌルいコト考えてたら周りはどんどんデートしたり遊園地遊びに行ったりしてた夜!!!!」

「ビクビクビクッビクッ!!!!」

「15のゴールデンウィークに誰も遊ぶ相手がいなくて結局家で三国志やってた夜!!!!!」

「…ふぅ…」

「いつ射精するタイミングあった!!!!15のゴールデンウィークに誰も遊ぶ相手がいなくて結局家で三国志やってて孔明を登用したくて君主が自ら赴いたら袁術とかに捕まって首落とされて程普が君主になってスーファミの電源切った夜――――――――――――!!!!!!!」

「さよなら孫策――――――――――――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

三国志を知らない人はすいませんでしたと思う僕と三国志ぐらい知っとけよと思う劉備とそんな15歳のゴールデンウィークの夜を過ごした曹操が覇権を争うストーリー。正確には14歳だったかしら。とにかく中3。

 


『あるある is クリエイティブ』 (2010年5月号掲載)


あるある

 

グングングング―――――――ン!!!!!!僕の心の中の節くれ立ったマタギのおじいちゃんの手のようでなく!!!!!!!ささくれだったマタギの妻のおばあちゃんのような手の!!!!!ような部分がささくれ立ってグングング―――――――ン!!!!!!あるあるネタ大っ嫌い!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!共感誘うだけのヤツ大っ嫌い!!!!!!!!!!芸人さんのネタは頑張って考えてるだろうからあんまし何も言わないけども居酒屋で「私だけでしょうかー」SHIRUKA汁か!!!!!!!!!!SHI/RA/N白ん!!!!!!しろんじゃなくてしらん!!!!!

 

『広告』は、単なる業務ではない。

あなたの心が躍動して体から飛び出す叫びそのもの。ラブレターは広告だ。ラブソングだって広告だ。このCD超良かったよって友達に貸すのも、もちろん広告だ。あなたに届いてほしいと願い、肩も壊れんばかりに空に向かって投げる、この糸が広告だ。

ラジオ風とロックを発信基地としてスタートしたムーブメント、『ギャングスター・プランナー』についてかつて僕は確かにそう言った。

自分の行為に対しての共感を得たいから周囲に伝える。それも確かに広告。

自分はこんななんですけど誰か同じ人いませんか?共感してくれたり賛同してくれたりする人はいませんか?そんな問いかけはわりと本能に近い部分から出てくる欲だと思うし逆に「えっ?私だけ?うそーやっぱり?私変わってるってよく言われるんだよねー」とかいまだに言っちゃう人がいるのも分からないではないで寿司。

「私、切った爪の匂いクンクンしちゃうんだよねー」あるあるある!!!!!そんなもん中国人と同じ数ぐらいのヤツがやっとる!!!!!!

「俺、学校の先生を間違って『お母さん』って呼んじゃったことがあってさー」あるあるあ、るあるあ、るある!!!!!!!そんなもん左利きのヤツと同じ数ぐらいのヤツがやっとる!!!!!!いちいち問いかけんでよし!!!!!!!!!!!

 

一方で、共感ほしいとか抜きで不安になるような出来事が起こってしまうこともあります。

僕物心ついてからずっとなんですけどエレベーターが来るのををドアの前で待つじゃないですか、あの前に立った瞬間、体がグイーンと揺れて浮揚する感覚に陥るんです毎回。待ってるだけなのに乗ってる感覚。足元からグイーンと来ます毎回。どのビルのどのエレベーターでもなります。ちょっとヨロけるぐらいの。10代の頃から不安というか謎というか、エレベーターが出してる電磁波みたいなものを受信してんのかとかずっと思ってて、大学で建築工学みたいなのを専攻してるヤツのスネをビール瓶で殴りながら聞きました「こういう感覚が常にあるんですけどコレって科学的に解明されてるんですよね?」「いや、気のせいちゃうか」マジか。あるあるネタであることを望んだのにないないネタか。マジか。ホントに他にはいないのか。俺は死ぬまでエレベーターを待ちながらグワーンってなりつづけないといけないのか。共感とか科学的根拠とかほしかった。しかも広告にもなってないどうしよう「じゃあ、今日転校してきたみんなの新しい友達を紹介するよー山本佳宏くんです」「ははははじめまして山本といいます。エレベーターを待っているときいつも足元がグワーンとなって立ってられません」ないわー。陰惨なイジメにあうわー。上靴の中にマヨネーズ塗られるわー。どなたか科学的にもしくはエセ科学的に証明していただけないでしょうか。

 

物心ついたときから系で言うともう1個あって、僕物心ついてからずっとなんですけど、電車に乗って外の景色を眺めてると必ず忍者が現れて屋根から屋根をスポンスポン飛び跳ねながら電車と完全に並走しててその身のこなしの見事さにずーっと忍者を見てしまってて誰か他に電車忍者を見たことある人いねーがーと思って包丁振り回して不法侵入して探してたんだけどいなくて、ちょっと怖いなーと思い始めてたんだけど編集家の竹熊健太郎さんが電車と激しく並走する忍者を妄想して暇をまぎらわすと書いてたのであー僕のも妄想だったのか。見えてたんだけどなー。三頭身ぐらいの。深い藍色の装束の。どこか幼さを残しながらも鋭い目つきの。あいつ速かったなー足。妄想かー。安心と同時に僕の大事な忍者が掌から砂金のようになってこぼれていってしまった寂しさもありますが妄想かー。電車忍者。




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