なぜ、面識のない赤の他人に自分の日記を公開するのか。
『新日記時代』は、その答えが当たり前のように分かっているようで分かってないような、そんな問いと常に向き合いながら進んで行きます。
何のことかお分かりにならないみなさま、今回のは続きものになっておりまして、このエントリーが第3回となっております。
前回は、どんな日記であろうと、人は『人に見せる自分』を意識して書いている、という話でしたね。
誰だってセルフプロデュース、セルフブランディングの芽みたいなものは持ってんじゃないかと。
それを踏まえた上で、なぜ、人は日記を書くか。
ってとこまで。
偉そうにしゃべってますけど、全部検分なしの憶測ですんで、それは違うだろとお思いの方は、お教えいただければ幸いです。うつむいて上目づかいでニヤニヤしたいと思います。
まだ僕たちがインターネットを手に入れていなかった頃。
交換日記ってもんがございましたね。まあ今でもやってる小学生とかいるかもしんないけど。
僕も小学生…6年かなー…のころにやった記憶があります。男子3人女子3人とか。
思い出すのも恥ずかしいですね。ウソですもはや全然恥ずかしくもなんともない。
シブヤの街が、丸ごとキャンパスになる。
それがシブヤ大学。
「日本の教育ってどうなんだろう」という想い、
「シブヤって、ホント面白い人がたくさんいるなぁ」という想い。
ふたつの想いは、それぞれバラバラにあったけど、
このふたつをくっつけてみると・・。
地域密着型の新しい教育のカタチは、各地で少しづつ生まれているけれど、
これをやるならシブヤほど可能性を秘めた街はないんじゃない?
シブヤ大学の構想は、その気づきからスタートしました。
(オフィシャルサイトより)
箭内さんはシブヤ大学の発起人の1人でもあり、
コミュニケーション・クリエイティブ学科の学科長でもあります。
クリエイティブとは、才能のある一部の限られた人の特殊な技能ではなく、
普通に暮らす我々一人ひとりの毎日の中にだって、きっと、それを活かすことができるはず。
そんなコンセプトから、我々の日常における様々なコミュニケーションの機会を
クリエイティブという視点から捉え直していく学科です。
(オフィシャルサイトより)
そんなコミュニケーション・クリエイティブ学科で、僕は箭内さんと一緒に講義したことがあります。
『コミュニケーションする日記』というテーマの特別講義。
生まれ育った地元の市にはあるのかないのか分からない女の小指の爪ほどの愛着もないんですけど、なぜかというと思春期にあんまし地元をウロウロしてないからですね。
大阪の学校に通ってた中学高校時代は旧時代的な校則の中途半端な進学校の内気な少年だったこともあり、下校中に梅田とか心斎橋とかで青い春を満喫した記憶もないわけで、そうなると自然に、なにがしかの愛着があるのは、大学生時代にウロついていた神戸、ということになります。
アンチ・アニバーサリーとは何なんだろうかと大みそかに考えてみてたりしてますが。
『第2回』をエスペシャリーに扱ってるのがイヤなんじゃないかと思ってもみてます。
すべてのことは『第1回』。
人生のすべてのイベントは『第1回』の連続で、第2回は来ない。永遠に。
今日は昨日と同じような1日で、明日もきっとそう。
それは、そう思いこみたいから、ってだけで、実際は違う。
目をそらしている。もしくは目をこらすのをめんどくさがっている。
箭内さんがかつて言った、
「僕が万が一、仮に天才だとすれば(実際はちがいますけど)、『奇跡を目撃する天才』だと思う」
奇跡は毎日毎時間毎分毎秒、ものすごい勢いで目の前で起こっている。
『未来』という言葉は甘い蜜で、カッコよく聞こえるし、何かキラキラ輝いて見えるし、
イイこと尽くめでチヤホヤされてますけど、僕はそもそも、『未来』について、そんなにいい印象は持ってません。
『未来』っていうのは漢語的に言うと「未だ来たらず」。まだ来ないと。言う意味ですよね。
未来は、永遠にやって来ないものです。未来は未来。未来が今になったり過去になったりは、しない。
未来の鍵を握る学校、とか言って3年やって来ましたけど、
未来の鍵なんて、そもそもどこにもないし、そんなものは幻想にすぎないと、
僕はずっと言い続けてずっと煙たがられてきましたが、考えが変わるわけでもなくここまで至りました。
過去の記憶にすがりついてぶら下がって生きている人は分かりやすく非難されがちですけど、
未来の夢だの希望だのを見て生きている人は、むしろ称賛されるというか、
素敵な人生ねとご婦人がたに微笑まれるというか。
山本くんからパスられました、
ラジオ業界ではディレクターという肩書きで生きています、横川涼と申します。
ナウマン象の化石発掘で有名な、長野県の「野尻湖」近くで産まれまして。
それで番組ではナウマン、というニックネームをいただきまして。
実家で親に「お前はラジオの何をやってるんだ」と言われると
説明がメンドクサイので、いつも適当に答えてまして、
仕事の大枠は (というかほとんどは) 山本くんのエントリー参照なのですが
せっかくの機会ですので、僕的にはちょっと踏み込んだ話を。
続きました。
続きものってなかなか大変で、なぜかというと、やっぱし、昨日書いたもの、おととい書いたもの、1週間前に書いたものって、今日、興味ないんす(笑)
すいませんぬ!!!! ぬとか付けてすいませんぬ!!!!!
でもその瞬間にオラオラオラオラオラとスタープラチナ的に書き殴っておしまい。みたいな。
もはや社会人とは思えぬような体たらくですけども、でもやっぱ、昨日書いたものには興味がない。
下手したら忘れてたりして、読み返すと新鮮ですね。へー、この人ってこんなこと考えてるんだー。浅はかー。みたいな。
とはいえお約束通り。がんばって続きを書きます。
続きです。
ラジオディレクター。
言うなれば、現場監督。
そりゃやっぱ、番組的に一番エライのは、プロデューサーなんですけども。
資金面や営業面も含めて、一手に管轄しなきゃなんないんで、現場どっぷりってワケにはいきません。
現場監督は、ディレクターです。
広告にはCMディレクターっていう肩書きもありますね。中島信也さんは確かそう名乗ってらっしゃいました。
CMディレクターがどういう立ち位置でのお仕事なのかは直接見たことがないので推察するしかありませんけども。
今日は夢の職業シリーズ第9弾(笑)
『ラジオディレクター』という仕事について。です。
とか言ってね。もはやラジオディレクターが憧れの職業だった時代は、
"北京原人 Who are you?"と共にはるか彼方へ去ってしまいました。
もはや、誰もラジオディレクターになんか憧れてない。それどころか視野にすら入ってない。
そう言いきってしまっていいぐらいの今日現在。