人の一生っつーのは分からんもんだとプールの授業中に女子が座ってたとこに出来たケツ型の茹であがるような水たまり見てチンコ勃ててた中学生の僕にタイムリープして伝えてやりたいことはnつある(n3以上の整数)

思春期を存分に過ごす人たちを妬み嫉んでその場でうずくまって、あいつらみたいにはきっと生きていけないしあいつらと僕が関わることは一生ないだろうと思ってた中学生の僕へ。出会うべき人には、いつか必ず出会う。僕と誰かの道は、同じ星を見つめて歩いている限り、必ず交差する。

 

横川涼という男は、僕が持っていない全てのモノを持っている気がした。

温和でオシャレで芯が強く、バンド活動に明け暮れたあげく上京して夜な夜なクラブでDJをやり、カッコイイオシャレ男子とカワイイオシャレ女子に囲まれて毎日を過ごすくせに、オモチャやガラクタにも少年のような瞳を輝かせる文字通りのリア充。彼は僕がたどってこなかった、たどれなかった道を歩いてきた男だった。僕が持っていないものを持っているくせに僕が持っているものも持っている気がした。共通点は、同い年であることと、同じ瞬間に、ラジオを全部やめようと思ってたことぐらいだった。出会いはしたが、こんなキラキラした人と僕の道が交差することなんてあるわけがないと思った。

 

音を扱う仕事に携わる人は世の中にたくさんいる。僕も仕事上、そういった人たちとたくさん出会った。

僕の専門は音楽でも音でもないので、そういう人たちに対しては、「音楽詳しいんですね」「耳がいいんですね」以上の感想を持たなかった。彼らが壁を超えて僕の世界に入ってくることはなかったし、僕も彼らの世界に立ち入ろうとはしなかった。深い溝は深いままで、それぞれの岸で100メートル離れた豆粒ほどの人間の性格だの外見だのを勝手に想像して批評し合ってる。プロアマ一般問わず溝に向かって精液飛ばして満足するようなヤツばっかりだ世の中。

 

横川涼は、僕の世界を音でなぞる。誰かのカタチを音でなぞる。なぞる指が目に見える。それは彼の優しさであり、彼の主張であり、彼の命がけだ。命がけだ、なぜなら下は深い溝だからだ。

あなたは今、こんな姿を、こんなカタチをしています。誰かにそう言ってもらわない限り、僕たちは自分のカタチも分からない。自分のカタチが分からない人は、世界のカタチも分からない。

僕は言葉で、それをしようとする。彼は音で、それをしようとする。道は交差した。

 

どんな道をたどってきたから、そうするのか。そんなことはどうでも良くて今この瞬間、この交差点でそれをしていることだけが僕にとっては重要で、彼が音楽に詳しいのか機材に詳しいのか耳が良いのか才能があるのか、そんなことはやはりどうでも良くて、僕は彼の勇気に嫉妬して、嫉妬と同時に信用する。彼は口下手なりに言葉でも懸命に伝えようとして、言葉でも世界をなぞろうとしていて、僕はそれにも嫉妬して信用する。

そう遠くないうちに僕たちの道はまた分岐して、違う場所へと歩いていくだろう。僕はオナニー後のティッシュ臭漂う、やけっぱちの負け組であり続けるし、彼はどんな場所に行ってもキラキラと輝き続けるだろう。僕がそういうふうに彼のカタチを言葉で今なぞったんだから、そうなるんです。

 

クソダセー寂しがりの僕が、返事を求めず大好きだとラブレターを書ける人は少ない。

そしてこれはラブレターですクリスマスおめでとう。