山本山本佳宏 yanmo.jp

コラム


2.0が何とか見えないものかと毎年頑張ってみたが、小学校ではいつ計っても1.5だった。目が良いことはほんの少し自慢でもあった。

学年にひとりかふたりは、まさに牛乳瓶の底のような分厚いレンズのメガネをかけている子がいて、彼らはそれをバカにされていた。僕も、あんなカッコの悪い姿にはなりたくなかった。

中学生に入るか入らないかの頃になって、自宅の改築が終わり僕は初めて自分の部屋をあてがわれた。誰に気兼ねすることもなく夜な夜な、ベッドの明かりだけを灯して本やマンガを読んだ。中学での最初の視力検査の結果は0.7だった。

目が悪くなっている自覚はなかったので驚いたし、何より自分の数少ないささやかな自慢のひとつを失ってしまったような気がした。

視力の低下はそれからも止まらなかった。0.7から0.3へ、そして0.1へ。たった数年でズルズルと目は悪くなり、僕はメガネを買うことになった。


バブ(ゆずの香り)


平日の朝早くから、細い歩道を占領して行列がこちらに向かってきた。

大人が行列で歩くことは稀だ。

 

僕たちは誰かに先導してもらわなくとも、友達とじゃれ合って車道にはみ出しはね殺されたりはしないし、目的地を誰かに任せなければならないこともない。大人の行列は、それだけで奇異に見える。


キャッチボール大嫌い


駅の近く、高架下に細長く広がる駐車場で、中学生と父親を見た。

学校の体操服を着た少年の坊主頭と白いハイソックスと白いスニーカーは薄曇りの空気の中で初々しく光り、彼は父親を相手に野球のピッチング練習をしていた。

ミットを構えて仁王立ちする父に向かって、セットポジションからの投球を繰り返す息子。何かもっともらしいアドバイスを一言二言添えて球を投げ返す父親。僕は大変うらやましくて、周囲も顧みずに立ち止まって駐車場の投球をしばらく眺めた。

 

 

僕は父とキャッチボールをするのが大嫌いだった。


時事ネタ

 

最近の流行りはなんですか、あれですか。

笑っていいともをダシにしてマイストーリーを開陳するあれですか。自分語りも大変ですね。

よーし、パパもいいともをダシにしてメルマガの文字数埋めちゃうぞー。

 

僕が小中学生のころは、いや高校ぐらいまでかな、笑っていいともは名実ともに国民的番組でした。何と言ったって、平日の真昼間にテレビを観られる人なんて限られているのにも関わらず、そこでどんなことが起こったのか誰もが気になって仕方ないという前提で世の中が動いているわけですから。日曜日のいいとも増刊号はそういう意味ですよね。こんな大事な番組を観られなかった可哀そうな人たちへの救済措置。見てたなー。小さい頃は。誰が誰を紹介するのか知っとかなくちゃと。


エレベーター前感覚


台風一過、澄み切った秋の空は高くて怖い。

僕は空を見上げるといつも、天地が逆転して落ちていきそうになります。秋空は、底が果てしない深淵のようだ。怖い。

 

国語のテストで、ですます調と、だである調を混ぜて書くとアホだと思われて減点されますから気をつけろ。

 

知らなかったよー空がこんなにあおーいとーはー

 

怖いから空はちゃんと見れない。


ハレとケ2013


「ネット回線の先にも同じ生身の人間がいるということを、なぜ想像できないのだろう」

 

想像できないのではありません。むしろ、想像できるからこそ、です。

自分に直接的な危害損害が及ばないなら、多くの人間は喜んで嫌いな他人を攻撃します。それはネットがなかった時代から、そうです。インターネットはただの道具。僕もあなたも、生身の人間と直接顔を合わせずに済むからラッキーだなあと思いながら、やっているんです。

想像できずにやっているのは、ただの狂人です。論じる必要がありません。

 

直接的な危害の中には、「私だけがこいつを攻撃しているんじゃないか」という不安も含まれていますよね。

つまり、「あいつもこいつも私と同じように考えている、つまり彼を攻撃しているのは私だけではない、むしろこれは聖戦なのだ」という逃げ道があるのなら、なおさら喜んで攻撃します。

 


赤い内定


くっさいくっさいエッセイ風に言えば、101日、内定式が終わって、赤ら顔で飲み会からの帰路につく黒や紺のスーツ姿の大学四年生を見かけるたびに、僕は相も変わらず、ぼんやりとした輪郭で自分の過去を思い出す。

 

あの日の僕は何を思ったか。

 

ほんの数日前までは出席するはずだった内定式を、自室で迎えた、あの日の僕は何を思ったか。


大きな岐路に立ち、選ぶとも選ばずとも、僕はどれかひとつの道に踏み出さざるを得ない。人生はレトロゲームのスクロールだ。じわじわ、じわじわ、画面は遷移して、通り過ぎた場所へ戻ることはできない。テレビ画面の外には帰れない。画面の端はじりじりと、僕たちの尻を前へ前へと押し出していく。どこへ押し出すのか。死に向かって押し出すのだ。


replaceable


誰にだってできる、代わりがいくらでもいるような事を、誰にでもできるレベルで行うことに、誇りとか喜びを感じることは難しいのかなと、ずっと考えておりました。

 

みなさんも薄々勘付いていらっしゃるとおり、僕たちは替えが利く存在です。自分でなくてはならないことはない。自分にできることは、他の誰かもできる。代わりはいくらでもいる。突然いなくなったって特に困らないし、何とかなる。

替えが利く、利かない、という感覚は、他人と関わりを持ちながら生きていく限りは付いて回ります。

とは言え、「自分は替えの利かない、特別な存在であると他人から認められたい、可能であればできるだけ多くの人に」という欲求から離れることはなかなかできない。そして人生の大半を、その矛盾、その乖離に心を奪われて過ごします。


5℃で死ぬ


上に一枚薄手のものを羽織り厨が湧く季節になりました。皆様におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

 

上に一枚薄手のものを羽織り厨は季節を問わず事あるごとに一枚羽織る一枚羽織ると言いたがって非常に耳障りなのですが、真夏の間だけは相手にされないので渋々黙っています。秋口に入れば今までの鬱憤を晴らすかのように上に一枚羽織る季節上に一枚羽織る季節と押し付けがましく鳴き始めますのでお気を付け下さいませ。お前の重ね着の枚数なんか知るか。ナンチャッテ重ね着の編み上げ英字Tシャツでも着とけと。

 


五輪


メールいくつか頂きましたので足早にお答えしておこうかと思います。

皆様いつもご感想ありがとうございます。拝読しております。

 

2020年東京オリンピック開催決定しましたね。

「やんもさんは東京でオリンピックを開催して欲しいと思いますか?」とのご質問も頂戴しました。

 

今日の僕たちは主に、『リアクションのみ』で生きています。寝転んでいる巣の中に、ゲロ状の栄養物がドバドバと引っ切り無しに降り注ぐ状態。腹が減ったら寝転んだままで口を開ければ事足りて、満腹になればまた口を閉じて寝る。

 

太郎を眠らせ、太郎の屋根にゲロふりつむ。

 

近いうちに僕たちはこのニュースのこともすっかり忘れます。何年も何年も前から、原発爆発以前も以後も、誘致活動は続いていた。そして僕たちはずっと寝ていた。ゲロの照射を受けながら。

 




山本山本佳宏 『二十世紀の未読』 完全版(pdf/epub)

メルマガ登録・解除
powered by まぐまぐ!
 


このページの上部へ