駅の近く、高架下に細長く広がる駐車場で、中学生と父親を見た。

学校の体操服を着た少年の坊主頭と白いハイソックスと白いスニーカーは薄曇りの空気の中で初々しく光り、彼は父親を相手に野球のピッチング練習をしていた。

ミットを構えて仁王立ちする父に向かって、セットポジションからの投球を繰り返す息子。何かもっともらしいアドバイスを一言二言添えて球を投げ返す父親。僕は大変うらやましくて、周囲も顧みずに立ち止まって駐車場の投球をしばらく眺めた。

 

 

僕は父とキャッチボールをするのが大嫌いだった。



 

野球をしているかしていないかを問わず、僕の子供の頃の家庭にはたいてい野球のグローブと軟式のボールがあり、僕も家の壁にボールを投げつけたりしていた。

時には公園のブロック塀に、自分でストライクゾーンを四角く描いて、ピッチャーの真似事をしたりもした。当時の駄菓子屋ではローセキと呼ばれる道や壁への落書き用の硬いチョークが売られていて、そのローセキでガリガリと書いたのだった。

 

そんなことをしていれば誰かとキャッチボールをしたくなるのが自然な成り行きだが、僕は自分の欲求を親に伝えることが全くできない子供だったので、ある休みの日、父がキャッチボールでもするかと声をかけてくれた時にはとても嬉しかった。

 

道に出た彼は前置きもなく、僕に座るように言った。事情が飲み込めないながらも言いつけを守り座る僕から、子供にとってはずいぶん遠くに感じる距離をとって、父はさらに付け加えた。「キャッチャーやれ」

 

キャッチャーなど一度もしたことがない僕に、彼は容赦なく直球を投げ込んできた。肩慣らし程度のボールであっても、大人が投げる球はとても速く、怖く、痛かった。グローブの中の手はじんじんと痺れ、こぼしたボールが肩に内腿にぶち当たり、こわばる身体は何度となく後逸して、僕は泣きたくなるのを我慢してボールを拾いに走った。そして僕は、もう嫌だからやめたいと、僕はピッチャーがやりたいんだと、自分の欲求を彼に伝えることはできず、彼が飽きるまでキャッチャーをやらされた。

 

クラブや部活動に入って野球をしたことも、入りたいと思ったことも言ったことも一度もない。僕は楽しくキャッチボールがしたいだけなのだ。何だったら気の向くままにピッチングを披露し、父に褒められたかっただけなのだ。

どこの国に、子供とのキャッチボールでひたすらキャッチャーをやらせる親がいるのだろう。父は気でも狂っているのかしら。子供心にあまりにも理不尽だと思った。何らかの精神修養のつもりであるならば、他の、もっと僕の興味のないジャンルで命令してほしかった。

 

今となっては、社会的完璧超人であった父の一つのエピソードとして面白おかしくネタにもできるが、地獄のキャッチボールは数度に渡って行われ、僕は父とキャッチボールをするのが大嫌いになったし、野球をもっとやりたいなどとは決して思わなくなった。そしてそれを彼に対して言い出すことは、もちろんできなかった。

 

もし仮に僕に息子がいたならば、僕は息子に、キャッチャーやれと言って思うままに直球を投げ込んでいただろうか。

 

駐車場では、踏み込みが浅い、もっと上下動を意識しろと厳かに指示する父親と、一向にアドバイスを聞く気配のない息子のキャッチボールがまだ続いていた。




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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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