山本山本佳宏 yanmo.jp

コラム

ちょっと焼きスルメ


■■ 身体の話 ■■

 

この身体の話って、ある種の、雑学書いて遊ぼうコーナーでもあったはずなのですが自分の最近の話を書くことになるとは思いもしませんでした。

 

僕は仕事中、スルメをずっと噛んでいます。

口寂しいのと、ガチガチと噛むことによって、何らかのα波的な集中力UP的なものを狙っているのかもしれませんが、本当はこの手の珍味が好きなんだと思います。まあガチガチ噛みます。



コラムアーカイブと今後につきまして。

 

コラムアーカイブに関してはこんなもんかな。

他にも色々書き散らかしている気もしますが、許可とか権利とかが面倒なので、転載再掲はこの辺りにさせていただきます。

 

書き物については、かつての放送業務よりも制約が少ないため、比較的自由に書かせていただきました。というよりも、誰にも頼まれずに書いていますしウェブ系の書き物であれば規制も検閲も自分次第ですので、自由というか何というかアレですけども。


「クリエイティブ」について (月刊風とロック連載を振り返る)


ここまで、月刊風とロックでの連載コラムをアーカイブとして久しぶりに引っ張り出してまいりました。

まとめての注釈となりますが、これらのコラムは当時の僕の考えていたことで、

今は全く違う考えであることも多数ございます。

日付も書きました通り、最新のものでも、もう2年前のものです。

 

もちろん、過去であろうと現在であろうと、自分の言ったことには責任を持ちますが、

今も一貫して同じ意見であれというご指摘には残念ながら沿うことはできません。

同時に、ご批判には素直に反省いたしますが、書いたものの訂正は一切いたしません。

なにとぞご了承ください。

 

 

なんとなく、『クリエイティブ』という緩やかなテーマで書かれているようにも見受けられますが、

僕個人としては『クリエイティブ』ということにあまり興味がありません。ないんかい。ないんです。

ただ、こういった、連載ものには、無理やりにでもいいのでテーマがないとなかなか続かないので、何らかの縛りを設定したほうが書きやすいのは事実です。

連載をするにあたって、「何かクリエイティブみたいなことについて面白いの書いて」と編集長の箭内さんに言われた気もしますが、それももう忘れてしまいました。

 


高橋優 『僕らの平成ロックンロール(2)』によせて

 

俺の歌を聴け!!!! うるせえお前こそ俺の歌を聴け!!!! ケンカすんな二人とも、良いから俺の歌を聴け!!!! いやいやそれはさておきまずは俺の歌を聴け!!!! 何でお前の歌なんか聴かなきゃいけないんだ、だったらララララララー誰だ勝手に歌ってるヤツは!!!! 俺の歌を聴け!!!!

 

誰も彼もが歌っている。ネットの海で。タイムラインの川で。手のひらでボワリと光る画面の中で。

声を張り上げ暴れる人。か細い声で囁く人。

見てくれ見てくれこっちを見てくれ。構ってくれなきゃ消えちゃうよ。ギャーギャーギャーギャー、チラッチラッチラッ。

いつから僕らは、そんなに寂しくなったのか。

 

高橋優は、なぜ歌うのか。

 

3年前、高橋優の『僕らの平成ロックンロール』に初めて触れた。リアルタイム・シンガーソングライター。今日思ったことを今日歌う男。

プロデューサーの箭内さんは言った、「高橋が万が一、将来めちゃくちゃ売れて天狗になって、突然外車のオープンカーとか乗ってカッコつけた曲を歌い始めたとしても、それがその瞬間の高橋優なら、俺たちはその姿も、リアルタイム・シンガーソングライターとして見届けるんだ」と。

どんな歌を歌おうが、僕は高橋優を信用している。外車乗ってパーマかけて金髪のお姉ちゃん連れてブランデーと葉巻の歌を歌ったとしても、僕はそれがリアル高橋優であることを信用している。

 

誰を信じるのか。

誰が言えば信じるのか。

なぜその人なら信じられるのか。

 

人を信じるのか。

その言葉の中身を信じるのか。

信じるために何をするのか。

信じないために何をするのか。

 

 

昨日と何も変わらない今日。

1年前から変わらない自分。

そんなものは存在しない。

それが自分にとっての幸福であっても不幸であっても。

 

同じ場所に留まっているように見えて、僕たちはものすごいスピードで動いている。

同じことを繰り返しているように見えて、同心円状に、バウムクーヘンを作るように走っている。

見える景色が同じで、また同じ場所に来てしまったような感覚に襲われるが、

その場所は前の場所とは、少し違う。薄い生地何枚か分、違う。

 

今、高橋優がいる場所は、3年前のあの瞬間の場所ではない。

『僕らの平成ロックンロール(2)』は、原点回帰ではない。

 

高橋優は、高橋優ではないものにはなれない。

高橋優は、猛スピードで、剥き出しで最新の高橋優になる。

 

 

剥き出しの人間と触れ合えるのは、剥き出しの人間だけだ。

ウソや言い訳や身分や肩書きや世間体で自分を包む者は、抱き合ったって寂しいままだ。

寂しさでさえ装飾品だ。

互いの体温を、鼓動を感じないまま、視線は新たな抱きつき相手を探して彷徨っている。

 

自分で作った寂しさの隙間を、自分で埋めることはできない。

隙間を埋めるのは、剥き出しであれと歌う、高橋優の剥き出しだ。

 

僕は高橋優を信用している。

「面倒臭ぇ」と歌い「まぁまぁ」と歌い「孤独だ」と歌う高橋優を信用している。


 



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