山本山本佳宏 yanmo.jp

風とロック コラムアーカイブ

『中○○也 is クリエイティブ』 (2005年6月号掲載)

 

ハロー!僕のプロフィールを紹介するね!

 

身長40メートル。体重7000トン。僕の仕事は、人間をミクロ化し、標本として持ち帰ること!

地球侵略のために、上司に派遣されたんだ!

赤い目のA、青い目のB、黄色い目のC。フフフ、カラコンじゃないよ!僕には三つの顔があるので、人からは『三面怪人』とか呼ばれたりするよ!失礼しちゃうよね!

 

こんにちは。ダダです。ダダイズムの天才詩人、「中原中也」を紹介します。

 

「頭倒(さか)さに手を垂れて

汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」

 

(中原中也『サーカス』より)

 

ゆやゆよん、ゆやゆよん、あ・え・い・う・え・お・あ・お・ゆ・や・ゆ・よ・ん...どれだけハキハキと発音してもハキハキ聞こえないこの語感...

 

中原中也って、やっぱイイですよね。

 

彼は、昭和12年に、30歳という若さで亡くなってしまったで夭折した近代を代表する詩人。

亡くなっちゃったけど、今の日本には、中也の遺伝子は、脈々と受け継がれていること、ダダは知っています。

 

ほら、周りを見渡せば...

 

『中○○也』

 

という名前に、クリエイティブな人、多くありませんか?

「中也の遺伝子が生みだす、現代のクリエイティブ」、ダダがナビゲートしたいと思っているよ。

 

 

『左利き is クリエイティブ』 (2005年5月号掲載)

 

風「クリエイティブって何ですか」

ロック「なんだよ突然」

風「いや、考えてみると、結構不思議な言葉じゃないですか」

ロック「どこが」

風「『けっ、横文字とか使ってチャラチャラしてんじゃねーよ』みたいな斜に構えた意見が...

ロック「...効果的じゃないわな。全方位的に善だよ、クリエイティブは」

風「私は憧れられて当然よ、さあ憧れなさい、という生まれ育ちの良さを感じますね」

ロック「憧れているのか、クリエイティブに」

風「はい」

ロック「どれほどに」

風「身を焦がすほどに」

ロック「例えば」

風「例えば...左利きにはクリエイティブな魅力を感じます」

ロック「ほう。ステレオタイプな意見だな、それは」

風「だからこそ、探ってみたいんです」

ロック「そうか、ならば、気が済むまで探ればいい。左利きとクリエイティブの関係を」

風「わかりました。それでは失礼します、ロック!」

ロック「う、うん...

 

左利きの人間を見た瞬間の、ある種の甘酸っぱさとともに胸焦がす感触...「あー、あいつ何かひらめきそう」。右利きの人間は、誰しも通過する感情である。

果たして、本当に左利きはクリエイティブなのか。ある種のストーカーにも似た衝動を存分に生かして、徹底的に検証してみたたたたたたたい。

 

 

『ツアータイトル is クリエイティブ』 (2005年4月号掲載)

 

『戦争と平和』、『愛と誠』、『花とゆめ』、『アリとキリギリス』、『風とロック』、『ヒゲとボイン』、『罪と罰』、『トムとジェリー』、『おすぎとピーコ』、『ヘドバとダビデ』。見つけた5つ目。決して周囲に埋もれることなく、爽やかな違和感を漂わせる『風とロック』が、ついに始動。自分たちと同じ匂いがする『風』の中に、あるのかないのか分からない答えを捜してみようじゃないか、なあいいじゃないか、そうしようじゃないか。

 

...これは匂うね。

 

【ツアータイトル(tourtitle つあーたいとる)】

 

アーティストやバンドにとっては、LIVEこそが命。全国各地を巡るわけだが、ただ何の考えもなく、NEWアルバムのタイトルをそのまま『ツアータイトル』としてくっつけてしまう人もいる中、よくよく見てみると、『ツアータイトル』はかなり熱い。いや、熱いというよりも、『風のように軽やか』というべきか。マーケティングを始め、オトナたちが吐き出す様々な色の泥にからめ取られて、アルバムやシングルのタイトルは決まっていく。それに比べて、ツアータイトルは軽い。どうせ単発モノだし...と適当に付けているわけでは決してないだろうが、ツアーが終わるのと同時に消えていく、そんな儚さの中に、自分たちの今の思いを注ぎ込むアーティストも多いはずだ。

 

さあ、珠玉のツアータイトルで、キミも『風』を感じてみないか!(肩たたき)

 

TOKYO FMラジオ制作・全記録 (2005年4月号掲載)

 

宗方仁は言った。「岡、鳥はなぜ空を飛べると思う?それは、鳥が飛べることを疑わないからだ。もし疑えば、逆巻く風に飲まれ地に落ちる」。

 

箭内道彦が『エースをねらえ』を読んでいたかどうかは定かじゃないが、彼はコーチの言葉に従い、2004年、来た仕事は、とりあえず何でも受けてみることにしていた。だからってアンタ。ラジオパーソナリティのオファーまで受けてどうするのか。宗方さえもがそう思ったに違いない。TUGBOATの多田琢さんには、雑誌で「どのベクトルの先にラジオがあるのか、全く分からない」と、半笑いで語られる始末(半笑いは推定)。ゲストに来て、喜んで芋焼酎飲んで上機嫌で帰っていったクセに半笑い。

 

そういうわけで箭内は、20053月までの8ヶ月間、自分が飛べることを疑わず、マイクの前で大きく羽ばたいてきた。ヘッドフォンとかしたりして。曲紹介とかしちゃったりして。彼の真意は最後まで明かされぬまま、半蔵門のTOKYO FMから、毎週毎週、小さな台風を発生させてきた。これは、もしかして伝説にならないかなー...と密かに思っているラジオ番組の全記録である。



『風とロック』(TOKYOFM 80.0MHz 2004/8/6?2005/3/25 金曜・深夜26-2630OA

 

 

 



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