宗方仁は言った。「岡、鳥はなぜ空を飛べると思う?それは、鳥が飛べることを疑わないからだ。もし疑えば、逆巻く風に飲まれ地に落ちる」。
箭内道彦が『エースをねらえ』を読んでいたかどうかは定かじゃないが、彼はコーチの言葉に従い、2004年、来た仕事は、とりあえず何でも受けてみることにしていた。だからってアンタ。ラジオパーソナリティのオファーまで受けてどうするのか。宗方さえもがそう思ったに違いない。TUGBOATの多田琢さんには、雑誌で「どのベクトルの先にラジオがあるのか、全く分からない」と、半笑いで語られる始末(半笑いは推定)。ゲストに来て、喜んで芋焼酎飲んで上機嫌で帰っていったクセに半笑い。
そういうわけで箭内は、2005年3月までの8ヶ月間、自分が飛べることを疑わず、マイクの前で大きく羽ばたいてきた。ヘッドフォンとかしたりして。曲紹介とかしちゃったりして。彼の真意は最後まで明かされぬまま、半蔵門のTOKYO FMから、毎週毎週、小さな台風を発生させてきた。これは、もしかして伝説にならないかなー...と密かに思っているラジオ番組の全記録である。
『風とロック』(TOKYO
FM 80.0MHz 2004/8/6?2005/3/25 金曜・深夜26時-26時30分OA)
・創刊準備号(2004/8/6OA)『箭内道彦キャンペーン』
何となく、いきなり『どうもコンバンワ?、ボク箭内でーす』...みたいなのは照れくさくて...という空気が、箭内さん及び番組スタッフの周りに充満していた。なので、この回は「ゼロ号」というコトにして、TFM手島アナウンサーにインタビューしてもらうことに。普段はしがらみばかりでできなかったけど、好き勝手に応援したいものだけを応援する『超個人的キャンペーン番組』としてとりあえずスタート。果たして次回からどうなることか...半蔵門に暗雲が立ち込めた。
・第1号(2004/8/13OA)『カツラキャンペーン』 ゲスト:小林信也(スポーツライター&カツラカミングアウトクラブ会長)
番組スタート。肩にチカラの入る箭内さん。夏の甲子園・東東京地区決勝戦を観戦して、アテネ五輪熱の最中、『甲子園キャンペーン』を敢行するコトにした。そして雨で試合中止。船出と共に沈没。大丈夫か箭内号。しかし幸運なことに、話を聞く予定だったスポーツライターの小林信也氏が、実はカツラであるコトが判明。カツラユーザーの心の叫びを聞く『カツラキャンペーン』に切り替え。無礼な事この上なし。しかし小林氏は、箭内さんが提案したゲイバーならぬ『カツラバー』の設立案に、いたく感動された様子。結果オーライ。
・第2号(2004/8/20OA)『樹海キャンペーン』 ゲスト:野口健(アルピニスト)
「野口さんは肌がキレイだったね」...イイ話を山ほど聞いたあとの箭内さんの感想はコレだった。自殺の名所としてのイメージが定着した富士の樹海のイメージを向上させたい...という世界的アルピニストの悩みに答えて、『環境ISO企業対抗 樹海ゴミひろいレース』を提案。是非とも実現したい楽しげなアイデアに、スタジオは盛り上がった。なのに、インタビュー後の感想は「野口さんは肌がキレイだったね」。何でだ箭内よ。
・第3号(2004/8/27OA)『箭内道彦・ラジオトーク向上キャンペーン』 ゲスト:立花裕人・Dr.コパ・香山リカ
第3号にしてこの自虐的キャンペーン。箭内が本当にトークを向上させたいと願っているかどうかは不明だったが、ディレクターはアドバイザーを3人連れてきた。コパさんに「上手くしゃべりたいなら赤い物を身に着けろ」とのアドバイスを、これ以降箭内は、子犬のように忠実に実行することになる。そして精神科医香山先生の「自分の邪悪な部分をひた隠しにしている」との分析に、箭内は「ズバリ当ててんじゃねーよ!」と重いショックを受けることに。
収録に、アジール・デザインの佐藤直樹さんが遊びに来ていた。なぜか、当時発売したばかりの『風とロック 箭内道彦と21世紀広告』のパブ・ナレーションをしゃべらされる羽目に。あのアジール佐藤がパブ原稿を...ある意味21世紀。
・第4号(2004/9/3OA)『クリエイティブ姓名判断キャンペーン』 ゲスト:鈴木松美(日本音響研究所)
カ行、タ行、ラ行の3行15音が名前に含まれれば含まれるほど、人間はクリエイティブになれる。箭内さんがイメージだけで掲げる持論を科学的に立証してみようと、日本音響研究所へと突撃取材。松美所長に、最初は軽―くあしらわれたが、「本を出してみようかな...」という話に、所長は俄然ノリノリに。グッド・バイブレーション。本業に支障が出るほどラジオに精を出す箭内さんに、スタッフも少し心配になった頃。
・第5号(2004/9/10OA)『ディズニー嫌いの箭内道彦が行く、東京ディズニーシーの旅』
仕事以外でお出かけするコトが、ここ何年もなかった箭内さん。そんな彼に、取材と称して遊んでもらおうと出かけたTDS。インディー・ジョーンズのアトラクションに無理やり乗らされてビビッたり、メリーゴーランドのベルトがウェストに足りなくてあせったり、、ミニーちゃんの耳付きカチューシャを着けて歩いたりする、金髪の40男の様子を番組リスナーが楽しんだかどうかは定かではない。「箭内さんが遊んでるだけじゃん...どうすんのよコレ...」とディレクターが編集に最も頭を抱えた1本。
・第6号(2004/9/17)『徹底討論!モンチッチを考える 前編』 ゲスト:宇川直宏(メディアレイピスト)&ジェナ夫妻
ついに禁断のゲスト。「クリエイティブ界のペーパー夫妻」とも呼ばれる、ある意味最凶のタッグが、山盛りのモンチッチ・コレクションを持参してやってきた。モンチッチの指吸いが、フロイトが言うところの『口唇期』にあたるかどうか、子供を『肛門期』へと成長させるためのアイテムなのかどうか、という100%どうでもいい話題で軽く盛り上がる。そしてトークは、宇川直宏オンステージへ...全く放送できない単語をシャウトしつつ、時折ジェナ夫人を気遣う様子に思った。「あー、クリエイティブ界のペー・パーだなー」と。
・第7号(2004/9/24OA) 『徹底討論!モンチッチを考える 後編』 ゲスト:宇川直宏(メディアレイピスト)&ジェナ夫妻
宇川直宏オンステージはさらに続き、急遽、2週に渡ってオンエアすることに。日本を代表するモンチッチ・コレクターであるジェナ夫人から、世界中で愛される、バッタもんのモンチッチが披露される。全身の毛が、どピンクの猿に一同驚愕。そして話は、渋谷『パルコ・パート1』で当時開催されていた、『モンチッチ WHAT NOT!!! 世界のモンチッチ・コレクション&リミックス』の話題へ。ちなみに箭内さんは中指をおっ立てた全身鋲だらけのパンクモンチッチ。宇川直宏氏は本物のタヌキ皮をかぶったモンチッチを製作。オンエアするからモンチッチのレコードを貸して欲しいというディレクターの声に耳を貸さず、全部持ち帰ったジェナ夫人の後姿に、モンチッチへの深い愛を感じた。
・第8号(2004/10/1OA)『グラビアアイドル・本音引き出しキャンペーン』 ゲスト:ミスマガジン2003
この週から、静岡のK-MIXでも放送されることに。そんなことより、10代のアイドル4人をいかに操縦するかで、頭がいっぱいの箭内さん。何とか下ネタ的本音を引き出したい。でも実は自分が1番下ネタ苦手だったりする...そんな葛藤を見抜かれたかのように、「40にもなって、そんなコト言ってるからダメなんだよ!」と、お菓子をつまみつつダメ出しをされるハメに。軽く苦い思い出の中、「10代はお菓子があれば喜ぶ」という定説を確認。
・第9号(2004/10/8OA)『運動音痴キャンペーン』 ゲスト:スネオヘアー
「友達などいらない」とうそぶく箭内さん。どうやら、仕事でもプライベートでも、仲良しを作るつもりはサラサラないらしい。そんな彼が雑談を交わす、数少ないアーティスト、スネオヘアー。なのに、呼んでおいて頼むことは、「運動音痴、ウンチの歌を一緒に作れ」。苦笑いしかできないだろう、スネオヘアーも。しかし、このためにギターを新調し、自分で作詞作曲してくるあたりに、箭内さんの運動音痴に賭ける想いの強さが強く表れていた。しかし、クリエイティブ・ディレクター箭内道彦。まさかラジオで生歌を1曲披露するとは。怖いものナシ。
・第10号(2004/10/15OA)『芸術M様・広告Y様』 ゲスト:村上隆(アーティスト)
TOKYO FMの番組『村上隆のエフエム芸術道場』とのコラボ企画。半蔵門のTOKYO FMを飛び出し、原宿『風とロック・レボリューションズ』での収録。「アートを、もっと身近な存在にしたい」という共通の悩みについてしばし語る。2人とも多浪の末、東京藝術大学入学という共通点を持ち出すも、「箭内さんはエリートですよ!俺とは比べモンにならない!」とひたすら持ち上げられて恐縮しきりだった。充実の内容ながら、スタッフはその間、店の中で立ちっぱなし。目まいを感じてよろめきタイム。
・第11号(2004/10/22OA)『広告座談会 前編』 ゲスト:多田琢(TUGBOAT)・佐藤可士和(サムライ)
そういえば、これまで広告の話を全くしてない。ちょっと好き勝手やりすぎたかな、というオトナな発想から、クリエイティブ界の2トップをゲストに招待して、広告ど真ん中なトークを展開。「箭内がDJか?」とのっけから失礼にもニヤニヤしっぱなしの2人を前に、淡々と進行するDJ YANAI。多田氏は、用意した芋焼酎を、『タダタクに紙コップで酒を飲ますのか』と言いつつ、グイグイお替わり。可士和氏は、まるで司会者のようにキビキビと仕切りまくった。そして箭内さんは、相変わらず自分の話を全くせず、無理やり裏話をさせられた2人から激しいブーイング。しかしそ知らぬ顔。
・第12号(2004/10/29OA)『広告座談会 後編』 ゲスト:多田琢(TUGBOAT)・佐藤可士和(サムライ)
多田さんの酒はさらに進み、いよいよヘベレケ(死語)に。もう何言ってるかほとんど分かりません。そして明らかに同じことを何回も言っています。そんな中、「...で、箭内はどうなのよ?」と司会業に徹する可士和氏。ゲストのように質問に答える箭内さん。広告の未来を本当に良くしようとしている3人の熱いトークは、酒の匂いがプンプンする中、深夜まで続いた。
・第13号(2004/11/5OA)『次世代アイドルキャンペーン』 ゲスト:辛酸なめ子(エッセイスト)
実は、辛酸さんをゲストに呼ぶプランは、番組開始当初からスタッフの間で浮上していた。お伺いメールへの箭内さんからの返信は、「苦手かも...」。1度は流れたこの企画、ようやくここで花開く。海外のアイドル・セレブに詳しい辛酸さんの、意外なほどハッピーなバイブレーションに、箭内の心は解きほぐされた模様。しかしそれも表面だけ。
・第14号(2004/11/12OA)『辛酸さんと打ち解けてみようキャンペーン』 ゲスト:辛酸なめ子(エッセイスト)
お互いに、「友達がほとんどいない」コトが共通点だと気づいた2人は、試験的に「お見合い」をしてみることに。しかし、辛酸さんが武蔵野美術大学短大卒ということが分かり、かつて予備校講師として鳴らした箭内さんは、うっかり生徒に接するような先生口調へと変化していく。結局、食事の約束も軽くいなされ、辛酸さんは帰っていった。箭内後日談「俺、辛酸さんのこと結構好きかも」。何を今さら。
・第15号(2004/11/19OA)『忌野清志郎キャンペーン 前編』 ゲスト:忌野清志郎
番組スタートに当たって、「オープニングのタイトルコールをどんな感じにしようか」という話をしていたとき、降って沸いたように持ち上がったのが、「清志郎さんがシャウトしてくれるかも」という夢のような話。以後トントン拍子に話は進み、実現したが、頼んでおいて、なんと3ヶ月もゲストにお呼びしないというノンビリ加減。ようやく実現した清志郎さんとのトークに、緊張しきりの箭内さん&スタッフ。「あ、俺が昔から清志郎ファンだって言わなけりゃ緊張しないかも」という良く分からない発想から、以降、ファンっぽい発言を一切しなくなった箭内さんであった。
・第16号(2004/11/26OA)『忌野清志郎キャンペーン 前編』 ゲスト:忌野清志郎
清志郎さんがシャイなのと、箭内さんの緊張で、トークは異常な緊張感の中進んでいく。「お菓子あるね。食べてイイっすか」と照れながら手を伸ばす清志郎さんの姿を見た瞬間、張り詰めた空気が、一気に緩んで緩んで緩みきってしまった。もう無理。あのキヨシロウををゲストに迎えて話をした。その事だけを胸に生きていけばいい。箭内さんの後ろ向きな決断と共に収録終了。箭内の無精ひげは、キヨシロウのマネなんだぜBABY!ファンクラブも入ってたぜBABY!...と、清志郎さんがコレを読んでいないことを祈りつつ告白。
・第17号(2004/12/3OA)『Do!純愛キャンペーン 前編』 ゲスト:スキマスイッチ
純愛ブームとか言って、所詮見て騒いでるだけじゃねーか。どうせなら実践しろ実践!...というひねくれた切り口でスタートしたキャンペーン。恋愛相談とか乗ってみたい気分だけど、そんなメール届いているワケもなく、秋元康さんの番組からメールをパクって、勝手に恋愛相談。メールを読んで悩みに答えるという古典的ラジオパーソナリティ・スタイルが非常に気に入ったらしく、珍しく前のめりになって話し出す。しかし、決して自分の恋愛話はしない。それが箭内道彦。
・第18号(2004/12/10OA) 『Do!純愛キャンペーン 後編』 ゲスト:スキマスイッチ
勝手に恋愛相談はさらに続き、スキマスイッチのアフロ担当・常田くんは、ナゼか、秋元康先生へのライバル意識をズルムケ過ぎるほどむき出しに。とにかく恋愛には熱い男だった。そしてトークは、お互いの共通点、「賞に縁がない」へ...賞なんか要らない!自分で「スキマスイッチ賞」を作って毎年あげちゃえ!...という提案に、スキマスイッチは、「じゃあ、ノッポとチビのコンビにあげようか」...外見であげていいのか?中身のある賞にしなさい!...と他人事ながら思う。
・第19号(2004/12/17OA)『No Music, No Life座談会』 ゲスト:平間至(写真家)
ついにタワーレコードの『No Music, No Life』が写真集になる!...ということで、盟友の平間氏がゲスト。しかし、いきなり平間氏から、「97年から一緒にやってるけど、ほとんどまともに話したコトがない」と暴露される。いつものことだが。どうやら、あまりの『箭内スタイル』な仕事っぷりに、1番困っているのは平間さんらしい。きっとこれからも永久に語り継がれるであろう『No Music, No Life』の、とんでもない裏話が淡々と続いていく。きっとこの2人は、いつまでたっても、こんなテンションで、あの素晴らしいキャンペーンをライフワークにしていくんだろうなあ...と、うらやましくなった。
・第20号(2004/12/24OA) 『クリスマスを子どもの手に取り戻す30分』 ゲスト:KIDS3人
クリスマスイブなのに、目の前にいるのは、子役として芸能活動をする小学生の男の子たち。自分にこの年齢の子供がいてもおかしくない...と思うと、何ともいえない感情がこみ上げてくる。そんな3人が、余裕でサンタを信じているという事実に軽くショック。全然スレてない。可愛らしすぎる。そしてそんな子供たちと全く同じ目線で語るという素晴らしい能力を発揮した箭内さん。そして、『10代はお菓子があれば喜ぶ』の定説を再確認。カリカリ梅が大好きな小学生であった。
・新春特別号(2005/1/2 K-MIXのみOA)『新春!リスナー感謝祭』
「静岡のみなさん、明けましておめでとうございます」。どうやら静岡県民に親しげに呼びかけたかったようだが、意外と普通の年明けに終わる。スキマスイッチの回の、メールで恋愛相談というのが忘れられない箭内さん。番組史上初、届いたメールを次々と紹介する、オーソドックスなスタイルで放送。しかし、寄せられた悩みに素で考え込み、意外と普通の答えしかできないという失態。生き生きとプレゼンでの難問を解決していく「風とロック」社長の姿は、そこにはなかった。
・第21号(2005/1/7OA)『アートキャンペーン』 ゲスト:福井江太郎(日本画家)
ダチョウをモチーフに日本画を書き続けるという不思議な芸術家をゲストに。一般には知ることのできない、アートの値段のつけ方を聞いてビックリ。村上隆氏の時にも語った、芸術を生活に密着させる方法について2人で思い悩みながら、無理やり、『風とロック』という書き初めをリスナープレゼント用にしてもらったが、失敗作のほうをリスナーに送り付けて清書を箭内さんがもらって帰ったのは、絶対に誰にもいえない秘密。みなさーん、『レボリューションズ』に飾ってあるのは、箭内がガメた書き初めですよー。
・第22号(2005/1/14OA)『オトナのたしなみ 言い訳キャンペーン』 ゲスト:伊藤洋介(東京プリン)
東京プリンというか、箭内さんにとってのクライアントをゲストに呼んでみた。伊藤氏の著書『効いた言い訳』のプロモーション活動でもあったわけだが、内容はともかく、こういった知り合いをゲストに呼んで、必ず言われること。「ほとんど雑談もしたことがない」「まさか箭内がラジオDJを(ニヤニヤニヤ...)」この2つ。もう本編終わったから帰っていいと言っているのに、「俺は箭内の1人しゃべりが見たい」と居座り続けた伊藤さん。知り合いのニヤニヤ目線ほど殺傷力の高い光線はなかなかない。おかげでエンディングはガチャガチャだった。
・第23号(2005/1/21OA)『占い上手キャンペーン』 ゲスト:伊藤憂(フォーチュンカウンセラー)
占いを、まあまあどころか相当気にする男・箭内。いまだに、Dr.コパの言いつけを守って、赤い服を身にまとい収録に現れる。占いと上手に付き合っていくための術を、伊藤先生から聞く。...ついでに当然占ってもらうが、「金髪をやめろ」「和のテイストを取り入れろ」とのアドバイス。ヘラヘラと聞いていた箭内さんだったが、この数週間後、スタッフは驚愕の光景を目にすすることに。
・第24号(2005/1/28OA)『生命の放射キャンペーン』 ゲスト:サンボマスター
呼びたい呼びたいと長年言い続けながら、ディレクターに無視され続けてきた、フェイバリット・バンド、サンボマスターがついに番組に登場。サンボ山口くんはヒドイ風邪。鼻水すすりっぱなしの中、相変わらずのハイテンションで飛ばしまくる。「モテない話だったら、何時間でもしゃべれますよ、アハハハハ、ズズズーッ!」...そんなにしゃべれるんですか...収録終了後、「風とロック」Tシャツを3人にプレゼント。「コレ着てミュージックステーション出ます!」と宣言していたが、果たして「風とロック」ロゴは、全国に露出したんだろうか...頑張れサンボ。
・第25号(2005/2/4OA)『公開録音@原宿 EX'REALM』 ゲスト:THE BACK HORN
『No Music No Life』写真展開催に合わせて企画された、番組初の公開録音。100人を超える人が集まってしまった。箭内さんの緊張をほぐすべく、スタッフが声をかけるが、その努力もむなしく、箭内の緊張度は右肩上がり。しかし始まってしまえば、素晴らしくアットホームな、雰囲気のいい公開録音となった。それにしてもTHE BACK HORNの訛りは、ホントに素晴らしい。心が温まる。『東京バンザイ』がモットーの箭内さんさえ、すっかり「ふぐすま弁」がフラッシュバック。
・第26号(2005/2/11OA)『おまわりさん応援キャンペーン』 ゲスト:北芝健(元・警視庁刑事)
まずは、収録に現れた箭内を見てスタッフ驚愕。金髪のままだが、後ろ髪にエクステンションをつけて結わえている。「和のテイストを取り入れました」...占いに影響されること、風の如し。そんな金髪ちょんまげ男の前に座ったのは、眼光鋭い元刑事。過去の悪事を洗いざらい白状したい気分をグッと抑えて、『月刊おまわりさん』創刊のプランを提案。まあ結局、創刊したのは『月刊おまわりさん』じゃなく『月刊風とロック』だったわけだが。
・第27号(2005/2/18OA)『中年男子・ダイエットキャンペーン』 ゲスト:大川隆裕(大川クリニック院長)
箭内がなぜ「やせたい」と思っているのか。その真意は良く分からないが、正月以降、あからさまにプックリしたのは事実。「風」も「ロック」も、「プックリ」とは縁遠い。看板に偽りアリ。そんなことでダイエットに励む箭内を激しく叱るダイエットの権威。この年にして、人から叱られるのはどうしても避けたい。しかし、この番組では、やり手の女性ディレクターに叱られっぱなし。「叱られっぱなし」も「風とロック」には似合わない。ただ、それが最近心地よい自分がいるらしい。この辺りから、番組周辺にインフルエンザの香りが立ち込めてくる。まずは放送作家ダウン。
・第28号(2005/2/25OA)『自己プロデュースキャンペーン』 ゲスト:城咲仁(「クラブ愛・本店」No.1ホスト)
続いてディレクターもダウン。そしてインフルさんは箭内のノドもノックした。微熱が続くとボヤく箭内さんは、熱のせいなのかなんなのか良く分からない潤んだ瞳で、カリスマホストの夢の話を、うなずきながら聞いていた。終わってヒトコト、『俺、やっぱり風邪だわ。話が全然聞こえなかった』...箭内さん...もうピンポン感染はやめましょうね。ウチら、TOKYO FMで1番カラダが弱いチームだと思われてますよ。
・第29号(2005/3/4OA)『プロ野球人気向上キャンペーン』 ゲスト:岡康道(TUGBOAT代表)
岡氏のダンディー度を「100」と表すと、箭内さんのダンディー度は「イカ燻」。それくらい2人のダンディー度はねじれの位置にある。しかし、完全に30万円をオーバーしていると思われるコートをナチュラルに着こなす岡氏の...岡氏の...あえて言おう、『野球オタク』っぷりに一同愕然。スピードガンを持って高校野球地区予選めぐりをしたいと、憧れを静かに語る「広告界のスター」の姿は、最高にカッコよかった。しかしやっぱり、スピードガンはヤリ過ぎだと思う。
・第30号(2005/3/11OA)『第2弾・広告どまんなか座談会』 ゲスト:岡康道(TUGBOAT代表)
広告業界にとって、最悪のシナリオは「今のまま変わらないこと」と岡氏は語った。ベクトルはどっちに向いていてもいい。変わらなきゃいけない。しかし、今の広告業界は人の足ばっかり引っ張りあって最悪だ!...と箭内さんは珍しく熱く語った。箭内は『俺はTUGBOAT応援団長』だと胸を張る。TUGBOATを応援しつつ、リスペクトを込めてマネをすることも大事だと。そういえば、岡さんは入社1年目、デパートの中で流れるアナウンスの原稿を書いていたコトがあるらしい。箭内さん、それしたことないでしょ。初心に帰ってやりませんか、デパートのアナウンス原稿。
・第31号(2005/3/18OA)『ふぐすまキャンペーン』 ゲスト:箭内健一(SOUL SOURCE PRODUCTION)
箭内さんが、これだけ広告界で大暴れしながらも、あんまり恨みつらみを買ってない理由の1つに、「なんとなく暖かい福島弁」が挙げられると思う。本人は、標準語をパーフェクトに操っていると思い込んで涼しい顔をしているが、そう思っているのは彼だけであろう。あふれ出す福島の香りに、周囲は思わずニッコリしてしまう。しかし、ここまで言っておいて身も蓋もないが、あえて発表。「箭内道彦は、福島に何の思い入れもありませんよみなさん」。青山に墓を買います、とまで宣言。聞いてないから。それでも、同じ苗字、同じ出身の箭内健一さんを迎えて、やたら饒舌になる道彦を見ていて、「同郷っていいな」とちょっと思った。ウソです。そんなに思ってません。