俺の歌を聴け!!!! うるせえお前こそ俺の歌を聴け!!!! ケンカすんな二人とも、良いから俺の歌を聴け!!!! いやいやそれはさておきまずは俺の歌を聴け!!!! 何でお前の歌なんか聴かなきゃいけないんだ、だったらララララララー誰だ勝手に歌ってるヤツは!!!! 俺の歌を聴け!!!!
誰も彼もが歌っている。ネットの海で。タイムラインの川で。手のひらでボワリと光る画面の中で。
声を張り上げ暴れる人。か細い声で囁く人。
見てくれ見てくれこっちを見てくれ。構ってくれなきゃ消えちゃうよ。ギャーギャーギャーギャー、チラッチラッチラッ。
いつから僕らは、そんなに寂しくなったのか。
高橋優は、なぜ歌うのか。
3年前、高橋優の『僕らの平成ロックンロール』に初めて触れた。リアルタイム・シンガーソングライター。今日思ったことを今日歌う男。
プロデューサーの箭内さんは言った、「高橋が万が一、将来めちゃくちゃ売れて天狗になって、突然外車のオープンカーとか乗ってカッコつけた曲を歌い始めたとしても、それがその瞬間の高橋優なら、俺たちはその姿も、リアルタイム・シンガーソングライターとして見届けるんだ」と。
どんな歌を歌おうが、僕は高橋優を信用している。外車乗ってパーマかけて金髪のお姉ちゃん連れてブランデーと葉巻の歌を歌ったとしても、僕はそれがリアル高橋優であることを信用している。
誰を信じるのか。
誰が言えば信じるのか。
なぜその人なら信じられるのか。
人を信じるのか。
その言葉の中身を信じるのか。
信じるために何をするのか。
信じないために何をするのか。
昨日と何も変わらない今日。
1年前から変わらない自分。
そんなものは存在しない。
それが自分にとっての幸福であっても不幸であっても。
同じ場所に留まっているように見えて、僕たちはものすごいスピードで動いている。
同じことを繰り返しているように見えて、同心円状に、バウムクーヘンを作るように走っている。
見える景色が同じで、また同じ場所に来てしまったような感覚に襲われるが、
その場所は前の場所とは、少し違う。薄い生地何枚か分、違う。
今、高橋優がいる場所は、3年前のあの瞬間の場所ではない。
『僕らの平成ロックンロール(2)』は、原点回帰ではない。
高橋優は、高橋優ではないものにはなれない。
高橋優は、猛スピードで、剥き出しで最新の高橋優になる。
剥き出しの人間と触れ合えるのは、剥き出しの人間だけだ。
ウソや言い訳や身分や肩書きや世間体で自分を包む者は、抱き合ったって寂しいままだ。
寂しさでさえ装飾品だ。
互いの体温を、鼓動を感じないまま、視線は新たな抱きつき相手を探して彷徨っている。
自分で作った寂しさの隙間を、自分で埋めることはできない。
隙間を埋めるのは、剥き出しであれと歌う、高橋優の剥き出しだ。
僕は高橋優を信用している。
「面倒臭ぇ」と歌い「まぁまぁ」と歌い「孤独だ」と歌う高橋優を信用している。