浅草のウンコビルこと、アサヒビールのスーパードライホールは例に出すことすら憚られるあまりにも有名なウンコですがフィリップ・スタルクというおっさんのデザインだそうですね。フランスの。

 

あそこまで有名になると、他の人たちがウンコウンコ言っているのをどこからか小耳に挟むことが可能になりまして羊のような僕たちはようやく安心して指差すわけですよね、あれはウンコであると。

 

「ならばしかたがない。続けなさい。ただし、一度もウンコしたことのない正しき者だけ、あのウンコビルに石をぶつけなさい」

民衆は、とまどい、やがて一人また一人と浅草を離れ、石をぶつけているのはイエスただ一人だけとなった。

 

届かない。まず。石が。ウンコまで。



 

裸の王様は恥ずかしいですけど、恥ずべきなのは裸であると言えずにエヘエヘ笑ったあげくガキの指摘に群れなして乗っかって下卑た笑いをたった一人の人間に向ける己であると知るが良い。

 

フィリップ・スタルクは躍進するアサヒビールの象徴として炎のオブジェを屋上にくっつけました。フィリップは炎であると言っています。一体何人がウンコであると言えば、あれがウンコになるのですか。10人ですか。100人ですか。1万人ですか。1億人ですか。

 

「受け取り方は人それぞれ。人の数だけ感想はあってよいよね☆」

「ウンコ」

「ウンコ」

「ウンコ」

「私もウンコ」

「……受け取り方は人それぞれ。人の数だけ感想はあってよいよね☆」

 

人の数って何なんですかね。

 

これについては上記の趣旨よりも、権威あるものを陰で揶揄してニヤニヤ笑うという国民的娯楽に、ウンコというモチーフがドンピシャでハマったというニュアンスのほうが大きいんだとは思いますが、アートがどうこうみたいなことを殊更に何度も書くつもりは一切ないのでございます。マジで。

アートなんか分からないとか嘯くのもダサさの極みですし、今から思えば、アーティストとか芸術家とかクリエイターとかに引け目を感じる必要なんて一切ないから卑下するのはやめようと、お伝えするのがそもそもの動機であったのかもしれませんが田舎にも都会にも。あるわけですわ。ワケわからんオブジェが。たくましく花開くタンポポのように、ワケわからんオブジェはアスファルトを割って勝手に生えてきます。何なんですか。オブジェ引っこ抜いて、代わりに椎茸の苗木植えたほうがいいんじゃないでしょうか。義賊ですか。農家です。

これはこれで、「椎茸じゃん!アートじゃん!」とか言うヤツが必ず出現しますのでやりませんけれどもそれはまあ、もうしゃーない。ワケわからんオブジェはしゃーない。アートであれば町の至る所に生やしてもいいのだ、引っこ抜いたのち新鮮なコールタールを流し込む必要はないのだとお思いになる方が当然大多数なわけで、僕も周りをキョロキョロと見渡して、一緒に指を差して笑ってくれる人がいなければ口を閉ざす、生ゴミの一部なのです。

 

 

いやですから、否定する気持ちは一切ないのです、書くのめんどくさくなってきた。申し上げたいことはですね、恵比寿ガーデンプレイスというバブルの残りカスが恵比寿駅近くにまだ掃除されずに残ってるんですが時計台広場っていうんですか? 広場がありまして、広場というものはですね、古今東西、ワケ分からんオブジェが大変繁殖しやすい場所なのでございましてやはり。ここにも。

150×150×高さ500cmぐらいのわりと巨大な直方体の石のオブジェはあちこち良く分かんない感じに削ったり彫ったりしてあって色も白いのか酸化したのか良く分かんない感じで白けていてこれがまあヒトコトで言えば、ワケわからんオブジェ界の中でもかなりワケの分からんブツでした。

ウンコビルを、『悪目立ち型』のワケわからんオブジェだとするならば、こっちは『あってもなくてもいい型』。どっちでもいい感じ。「あれ、大石くん、いたんだ」的な。小学校のときの身体はデカいけど大人しいタイプの男子を大石くんて呼ぶのやめろ。

 

大石くんを、「おお素晴らしい!グッドアート!」と心から褒めることのできる人は本当にすごいと思います。能力者。まさしく。それはもう僕とは身分が全く違う。範囲外。僕が一切何も関知できない道を今後も歩いて行かれるんでしょうきっと。だってこれ。石材切っただけやん。ギザギザっと。中も軽くくり抜いてみますかと。僕がファラオなら鞭でしばいてますよ。何くり抜いとんねんと。

 

ですので、僕はつい最近まで大石くんが教室にいることに気づきませんでした。確かに視界には入っていたはずです、大石くんはその場所から動いたことがないわけですから。5メートルもある大石くんを僕は、いてもいなくてもどっちでもいい存在とみなしていました。視界に入っている大男がクラスメートなのか、どんな人物なのか、そんなことには考えも及びませんでしただから大石くんて呼ぶのやめろ。椎茸菌ケツに埋めるぞ。

 

 

 

先日の深夜、ガーデンプレイスの時計台広場を歩いておりました。

いつものように足早に通り抜けようとしたところ、ひとりの女が広場に立っていることに気づきました。

辺りは当然暗く、店も全て閉まっている。景色の良い場所でも良い雰囲気の出る場所でもありません。

何よりも女は、立っている。ひとりで。何もない広場の真ん中に。

女は、足首まで丈のあるフワフワした白いスカートのワンピースを着て、つばの大きな白い帽子をかぶっています。どことなく浮世離れしたというか、もっと分かりやすく言えば、アニメでしかお目にかかれない『お嬢様』のような出で立ち。

とは言え、年齢も顔も分かりません。僕は遠くから、そのあらぬ方角を見つめて突っ立っている女を眺めているだけです。

なぜ女は、ベンチに腰を下ろすこともなく、街灯に暗く照らされた建築物を見ることもなく、星空を見上げることもなく、あらぬ方角を微動だにせず見つめているのか。

 

彼女の視線の先には、大石くんがいました。

白い石で作られた、歪な柱のような形をした、ワケわからんオブジェ。彼女は、オブジェにまさしく正対して凛々しく立ち、街灯は彼女とオブジェを包み込み、その二つの物体だけをスポットライトのように照らしています。

 

 

ああそうかと。僕は思いました。

 

これは、開くな。

ドアが。

異世界へのドアが。

開くな。

あのオブジェ、真ん中から割れるな。

 

音もなく静かに開いて真っ白な光が溢れだし、女はゆっくりとその光の中に歩みを進めて、行くのだ。または帰るのだ。異世界へ。

 

 

この世の、ワケわからんオブジェ。『あってもなくてもいい型』のワケわからんオブジェは、なぜこの世に存在するのか。

あれは、異世界への扉だ。

誰もが寝静まった頃、人知れずリンクし、何者かがこちらへ、何者かはあちらへ、行き来するのだ。

 

 

僕はオブジェの秘密を知った恐怖で、その場を立ち去りました。

あの女が人間に対して友好的である保証は全くありません。もし見つかってしまったら、僕は連れて行かれるかもしれない、いや、連れて行かれるだけならまだいい、ケツに椎茸菌をねじ込まれたりしたらもうおしまいだ。

 

 

何が言いたいのかと申しますと、いつも大人しい大石くんだって本当に怒ったら怖いんだぞ、ということでございました。



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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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