シブヤの街が、丸ごとキャンパスになる。
それがシブヤ大学

 

 

「日本の教育ってどうなんだろう」という想い、
「シブヤって、ホント面白い人がたくさんいるなぁ」という想い。
ふたつの想いは、それぞれバラバラにあったけど、
このふたつをくっつけてみると・・。
地域密着型の新しい教育のカタチは、各地で少しづつ生まれているけれど、
これをやるならシブヤほど可能性を秘めた街はないんじゃない?
シブヤ大学の構想は、その気づきからスタートしました。
(
オフィシャルサイトより)

 

箭内さんはシブヤ大学の発起人の1人でもあり、
コミュニケーション・クリエイティブ学科の学科長でもあります。

 

 

クリエイティブとは、才能のある一部の限られた人の特殊な技能ではなく、
普通に暮らす我々一人ひとりの毎日の中にだって、きっと、それを活かすことができるはず。
そんなコンセプトから、我々の日常における様々なコミュニケーションの機会を
クリエイティブという視点から捉え直していく学科です。
(
オフィシャルサイトより)

 

 

そんなコミュニケーション・クリエイティブ学科で、僕は箭内さんと一緒に講義したことがあります。
『コミュニケーションする日記』
というテーマの特別講義。

 




「これやっといたら肩書きに"大学特別講師"っていうの書けるよー」
という箭内さんの誘い文句にエヘヘヘヘとか言いながら引き受けてしまったわけで、あれは2006年の12月でした。
前日から完全に徹夜のヘロヘロな状態のまま臨んだ講義は、個人的にはわりとイマイチな感じでしたけど、そんなコト言ってるとたくさんお集まりいただいた方に失礼ですよね。
僕としては頑張りましてわりとイイこと言ってたはずです。ありがとうございました。

 

『コミュニケーションする日記』。
それはまさに、ウェブサイト上で展開する日記。ブログ。
そのことだと思いまして。

 

講義参加者を受け付けるにあたって、箭内さんはこんなコメントを残してました。

 

 

昔、日記は、誰にも見せることのない
自分だけの密やかなものでした。
人には言えない気持ちを悶々切々と綴ったり、
明日の自分自身を励ますための手紙だったり。

 

そういえば交換日記っていうのもありましたね。
大好きな親友や交際中の相手と
その日の出来事や感情を交互に記しあい伝えあう。

 

引き出しの奥にしまった大切な自分の日記を
親に見られて顔を真っ赤にして大ゲンカした人も少なくないのではないでしょうか。

 

時は流れ時代は変わり、インターネットが普及して、
日記は、ブログやSNSとして
複数の人たちにリアルタイムで見てもらうことを前提とするものになりました。
誰かの目を意識して日記を書く。
誰かに何かを伝えるために日記を書く。
累々と続いてきた「日記」の歴史の中で、これは180度の劇的な変化かも知れません。

 

たくさんの人に向かって「自分」を「発信」する「日記」。
セルフプロデュースによる自己ブランディングのヒントがここにもあります。
現在における「日記」というメディアの中で、コミュニケーションをクリエイティブすることをみなさんといっしょに考えてみたいと思います。

(オフィシャルサイトより)

 

どんな内容の講義をしたのかは、僕実はあんまし覚えてないので、シブヤ大学のサイトのレポートでご確認いただければと思いますが、2009年の今この瞬間。『コミュニケーションする日記』について思うことを述べてみようかなと。
たぶん2年前とあんまし変わってないかもしんないですけど。

 

 

日記の歴史には2つあって、その2つを、『旧日記時代』 『新日記時代』と、勝手に名付けました。

 

『旧日記時代』とは、
・自分だけが見る日記
・特定の数名が見る日記(交換日記)
の時代。

 

『新日記時代』とは、
・不特定多数が見る日記
・不特定多数が参加する日記
の時代。

 

一概に、新日記時代がすべてウェブやブログにつながってるとは言えません。
僕の知っている高校生の女子とかは、誰にも見られないようにパスワードで鍵をかけた、ケータイサイト日記に、自分の思ったことをバンバンUPしてたりもします。

 

でもまあ、インターネットの普及で、新日記時代にガチコーンと突入したことは、間違いないんで。

 

 

かつて日記は、引きだしに鍵をかけて親にも見られないようにして日記帳に書くものでした。
僕は書いた覚えがないし、もし書いたとしても2日坊主で飽きてたはずなので、いずれにしても縁のないものなんですが。
そんな鍵付き日記であっても。
読者がゼロ人ではありません。
読者ゼロ人の日記は、今も昔も存在しない。

 

どんな日記にも、少なくとも読者は、必ず1人います。

 

それは自分です。

 

日記は必ず、自分で読み返すことを前提に書きます。
書いた瞬間に目に飛び込んできます。
それが単なるキモチのはけ口でアウトプットのつもりでも、書きながら、直しながら、目からインプット。
情報として再確認してしまうんですよね。
再確認したいから書く、みたいな。

 

日記に書かれているのは、『本当の自分』ではなく、
『自分はこういうことを思ってる人間だと誰か(自分を含む)に思わせたい自分』。
究極的に言うと、そうなんじゃないかと思ってます。

 

誰にでも、『人に見せる自分』を意識して書いた経験がある。
つまりは、誰だってセルフプロデュース、セルフブランディングの芽みたいなものは持ってて、あとは矢印の向け方なんですよね。

 

「俺は誰の目も気にしねえ!俺は俺だけの意思で生きていく!!!
っていうのは、カッコイイけど、物理的には絶対に無理です。

 

それを踏まえた上で、日記を書く。

 

なぜ、書くか。

 

…っていうのをですね、また続きものになっちゃいますが、続きってことでひとつ。
ここはブログなのでブログそのものの話とかしといたほうがいいかなーって思ったんで。

 

よろしくお願いします。

 

http://blog.magabon.jp/radio/2009/01/20091.html