前回は、どんな日記であろうと、人は『人に見せる自分』を意識して書いている、という話でしたね。

誰だってセルフプロデュース、セルフブランディングの芽みたいなものは持ってんじゃないかと。

 

それを踏まえた上で、なぜ、人は日記を書くか。

 

ってとこまで。

偉そうにしゃべってますけど、全部検分なしの憶測ですんで、それは違うだろとお思いの方は、お教えいただければ幸いです。うつむいて上目づかいでニヤニヤしたいと思います。

 

まだ僕たちがインターネットを手に入れていなかった頃。

交換日記ってもんがございましたね。まあ今でもやってる小学生とかいるかもしんないけど。

僕も小学生…6年かなー…のころにやった記憶があります。男子3人女子3人とか。

思い出すのも恥ずかしいですね。ウソですもはや全然恥ずかしくもなんともない。



 

何で始めたのかを忘れてしまいました。たぶん男子も女子も異性を意識し始めて、とは言え何をしたらいいのか分かんないのでそういう軽いタッチのイチャイチャをしたかったんだと思いますけど。

あっという間に書くことがなくなりました。そりゃそうです毎日教室で会ってるわけですから。

小学生の事件の9割は教室で起こるわけだし。

さらに言うと、お前らに言いたくないから黙ってることを日記に書いちゃったらバレるじゃん。

言いふらすじゃん。書くわけないじゃん。ってことですよね。

 

 

セカチューのアレみたいに、直接目を見て言えないようなことが言えたりするメリットが、交換日記にはあったりします。それはそれで甘酸っぱくていいですけど小学生の僕には分かんなかった。

一方、デメリットはさっきも言いましたが、すでに人となりを知っている人物の日記であるため、フィルターがかかったりネタ切れがあっという間にやってきたりします。

 

 

僕、3回目から意味なく4コマ漫画とか書いてたし。確か、ゲジマユくんとかいう、眉毛ボーボーの男の子のマンガだった気がします。

 

 

SNSにおける『友人まで公開』の日記や、アメンバー限定みたいなブログエントリーも、一部これに当たるのかもしれません。

特定多数、あるいは特定少数、というリミッターをかけるのが、最初からなのか、あるいは不特定多数に公開するというイベントを越えて落ち着いた場所なのか、それによって話は若干変わってくると思いますけども。

 

 

ともあれ、『日記』の閲覧をするのが、特定の人たちから不特定の人たちに移行していく。

その間には大きな溝があります。

 

なぜ僕たちは、不特定多数の人たちに、日記を公開し始めたのか。

日記でたくさんの人とつながる、あるいはコミュニケーションを図るというのは、一体どういうことなのか。

 

 

さあ、この辺までは前段ですね。

次回からは、いよいよ新日記時代。不特定多数が見る日記とコミュニケーションについて、です。


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