日比谷野音では何度かライブイベントをお仕事でやらせていただきました。

音楽業界、イベント業界には、みなさんのようには詳しくない僕は、当然日比谷野音の偉大なる歴史への造詣が浅いというか持っておらず、周囲の方々は、「野音と言えば尾崎豊」「野音と言えば清志郎」「野音と言えばジョンとヨーコ」「野音と言えばキャロルと永ちゃん」と、口々にその歴史への敬意を表するわけですけども、僕はそれらを聴きながら、なるほどそうですかとただ頷くばかりでした。

日比谷野外音楽堂90周年ですか。良い場所ですよね、周りは公園だし。

今年の46日は、野音で、「風とロック東京 LIVE福島 CARAVAN日本 ?俺ら東京さ行ぐだョおっかさん?」がございますね。みなさま是非お誘い合わせの上、ご参加くださいませ。

 




初めての野音は、僕にとって初めての製作総指揮でしたので、気負いやプレッシャー、初耳なことばかりのイベント製作のイロハなどに囲まれ、相当追い込まれておりました。まあ、自分で勝手に追い込んでいただけですし、結局は周囲のプロフェッショナルの皆様に助けられて何とか前に進んでいただけでございました。

番組という名の他人のふんどしを履いて、さらには周囲の大先輩のプロフェッショナルに頼りっぱなしのイベントであるにも関わらず、なぜ僕が製作総指揮とかエラそうに名乗ることができていたのかと言うとですね、答えはカンタンで、まがいなりにも僕がやりたいことをやるイベントだからです。

どれだけ駆け出しのペーペーであっても、まあそこまではペーペーでもなかったですけども、どんなセットを組んで、どんな時間で、誰がどんなことをして、どんなふうにお客さんに楽しんでいただくか。こんな若造に何ができるのか、と鼻で笑いながらも、みなさんが僕に、「幕はどのあたりに作りますか」「お客さんにこれを配りたいんですがどうですか」などなど聞きにきて、僕の返事が指示となりその通りに製作は進行します。なぜなら、『ここで何をしたいのか』を知っているのは僕だけだからです。

 

 

「やりたいことがある人」が一番偉い。

あとの人は、やりたいことがある人のやりたいことが実現するように動けばよいのです。

肩書きや職種ではなく、みんなが納得できる、乗っかれる、巻き込まれる「やりたいこと」を提示できた人が、その都度偉い。

 

そのプロジェクトチームのトップが「やりたいことがある人」であるのが自然なはずなのですが、残念なことにそうでないチームは意外とたくさんあります。スポンサーだから偉い、プロデューサーという肩書きだから偉い、放送局の社員だから偉い。何の疑問もなくそのように思い込んでいる人は本当にたくさんいます。これは権力批判でもありますし、同時に、体育会系伝統の後輩イジメのごとく、いつかは肩書きを得て彼らのように威張り散らしたいと思っている若手への批判でもあります。


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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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