今でも僕の心から決して離れない。

テレビを見る僕の背中に向かって、父親が言った言葉。

「ヨシヒロは頭がデカイからテレビが見えない」

笑う母。

僕は頭がデカイ。

デカくて親の邪魔をしている。

邪魔になるぐらいデカイ。

今から思えば、別に僕の頭はデカくも小さくもなかった。

でも、当時の僕は自分の頭がデカイと信じこみ、

自分の頭のデカさを恥じた。

今でも忘れられない。

僕の頭を見て笑う父と母。

全国の親の皆様。子供の頭がヨネスケのシャモジぐらいデカくても、

笑わないであげてください。

意外と30歳を過ぎても気にする危険性があります。



 

幼い頃からそこそこ勉強もできて頭も良かった僕は、

何をしてもそこそこ上手にできた。

全部そこそこだったけど。自分のそこそこな感じが最低に嫌いだった。

世の中で一番面白いことを探すことを仕事にしよう、と決めた後か、

決める前かは忘れたけど、そのときに僕は、

面白いことに対して、事前に計算することをやめた。

間合い、テンポ、言葉のチョイス。

理詰めで考えていけば、僕は頭がいいので、きっとある程度の正解的なモノが出る。

でも、それはやめようと思った。

自分で自分の人生の楽しみを奪うのはやめようと思った。

今から思えば、ハタチすぎの俺ナイス!! さすが高偏差値!!!!

 

以前、とあるアーティストの方と雑談をしていて、

その人はお笑いにすげー詳しいとか言って、

自分は笑いについて自信がある的なことを話し始めた。

まあ、そういう人は世の中に多いし、そう思うのは個人の自由だから、

はあそうっすかと思いながら、何となく聞いていた。

その人は、天丼が最高にハマるリズムとタイミングというのを、

最初あって、次何秒後、その次は何秒後、みたいな感じで計算したらしい。

『天丼』って分かりますか。業界用語知ってるぜみたいな人も多いと思いますけど、

一応ご説明すると、同じギャグを二度三度と繰り返すって意味です。

天丼をどんなタイミングで発射すると面白いかの統計グラフ。

僕は、死ぬまでそれをしない。

失敗も多いだろう。到達できたはずの『上手な感じ』も味わうことがないだろう。

でも、代わりにドキドキだけは奪われずに済んだ。

 

作家という肩書きで仕事をして10年程度たつ。

そんなんで金もらってええんかい、というツッコミも全方位的にあるかもしれない。

でも、僕の脳みそは、それを要求しています。


http://blog.magabon.jp/radio/2008/03/post_2.html