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 誰にでもなれる。努力も才能も運もコミュニケーション能力も必要なし。そんな夢のような職業、放送作家になりましょう。

 才能もない、努力もできない、人付き合いも下手で、我が身に降りかかる災厄への呪詛を世界に向かって吐き散らかしがちな、そんなあなたにこそピッタリなお仕事、それが放送作家です。



 放送作家は、何者にもなれなかった人たちの吹き溜まりとしては、まさにうってつけの場所と言えるでしょう。斜陽とはいえまだまだ金と力を持っている華やかな業界で、大した努力も奮起もせずに美味しい思いができる可能性がささやかながらあるのです、短い人生、何も考えずに一枚噛んでおいて何の損もありません。もともと失敗した負け組人生ではありませんか。放送作家業がダメなら、また元通りの生活に戻れば良いのです。

 

 かの天才、レオナルド・ダ・ヴィンチにさえ「若いうちに努力せよ」と言われてしまい、そんなことを言われたって何の努力もしないで10代終わっちゃったよと憤懣やるかたない方も、中二病をこじらせた引きこもりの方も、サブカルの亡霊に憑りつかれた非生産的な方も、薄い本でブヒブヒ言っているオタクや腐女子の方も、お金がない、チヤホヤされないとお嘆きになる前に、是非みなさん、放送作家になって頂きたい。

 

 かつて放送業界は何か新しいことをしたい、面白いことをやりたいとウズウズしている人たちにとって、大変魅力的な場所でありました。今まででは決して考えられなかった新しい場所と新しい道具。今までモヤモヤと頭の中だけで燻っていた煙のようなイメージを、次々と試し具現化できる。そういう場所であったはずです。

 15年ほど前から放送業界は本格的に、『ファンの集い』の様相を呈し始めました。これは他のどの集団にでも起こりうることです。好きである。いつも見ている。ファンである。自分のその一員になりたい。混ざりたい。同じようなものを作りたい。放送に携わることがスタートではなくゴールである。そういう人の割合は多くなりました。今までになかった新しいものの実現化を目指して集まった先人たちが作るものを観て育った人たちです。彼らの姿勢に感化されたのではなく、ただファンとして受信し憧れた停滞者たちです。

 一方で、特に好きでもなく嫌いでもなく、ただ淡々と食い扶持としての業務をこなす人たちも少なくありません。仕事というものの捉え方は人それぞれですが、この場合においては、「新しい道具を使って新しいことを実現する、面白いものを作る」場所では、もはやなくなったのだということを意味します。

 そんな昨今ですから、何者にもなれなかった人たちにとっては、非常に都合の良い場所なのです。鬱陶しい情熱や、新奇の才能をぶつけられたり、求められたりすることは、もはやないと言っていいでしょう。何となく潜り込み、それらしい顔をして座っていれば、何となくお金がもらえている。そんな理想の環境が待っています。



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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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