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 嘘を互いに許しあうことができる社会が優しい社会じゃないかと同僚は言った。嘘をついたことを責めあっても何も生まれない、だから俺は嘘を許す、お前も許せと。

 嘘を互いに許しあうことができる社会は優しいかもしれない、優しいかもしれないがそれは偽薬だ。どんな嘘であっても嘘をつくという行為が心身にどれだけの負担をかけているのかを自覚したことがお前にはないのか。嘘は身体に良くない、偽薬で気分を紛らわせているうちにいつの間にか全身が蝕まれて、あれおかしいなおかしいな痛いイタイイタイと言いながら死んでいくのだ。互いに嘘をつかなくても良い社会こそが優しい社会で、無理か無理でないかを問わずそれを目指すのが優しさだろう。




 そんな社会を目指してもし実現が無理だった時に、ぶっ壊れていく人たちの人生の責任をお前は取ることができるのか、取れないなら次善の策を用意することにいちいち文句言うなよと、同僚は私をたしなめるように言い返す。

 次善じゃないだろう、それとこれは全く別の策だ、全く別の道にある策だ、その次善の策を採用している限り最善には永遠に辿り着かないだろう。つまりそれは、優しさの放棄だ。

 

「優しさ優しさと言うけれど、その嘘の全くない世界というのは本当に優しいのか、本当に幸せなのか。人間は嘘や隠し事なしで本当に、生きていけるのか。お前にだって隠し事はあるだろう、嘘だってついているはずだ、それを今全部捨てろと言われてお前には本当にそれができるのか」

 

 可能だから良くて、不可能だから悪い、という論法に私は納得がいかなかったが同時に、私の生きる世の中がこうした論理によって回転していることには納得してもいた。私の服にはポケットがあって中の物を人から隠している。私の家には壁があって中の様子を人から隠している。私の身体には皮膚があって肉と骨を人から隠していて殊更にそれらを顔見せさせるつもりはない。中身を知りたいという人には嘘をつくかもしれない。それよりも何よりもそれなりの年月を波風立てずに生きてきた私であっても数え切れないほどの嘘を大小問わず散布してきたが禿げていない者にお前は禿げているなどと、そんな優しさ無き嘘を吐いたことは一度もない。ましてや後頭部が伸びたなんて。

 

 酒が身体に染み込まず胸のあたりにガス雲のように漂って視界が晴れず、私は駅前で同僚と別れて少し歩くことにした。

 女性社員の現在最も熱い話題は、私がとにかく気持ち悪いという愚にもつかない中傷で、男性社員も止めればいいのにニタニタと、濡れた笑いで合いの手を入れているらしい。私はできる限り目立たぬように仕事だけを忠実にこなしてきたつもりであるし、男女を問わず誰に対しても優しい笑みで接してきたはずだ、その結果がこれだ、禿げだの後頭部が伸びただの。三十を過ぎてこんな幼稚なことで不快な思いをするとは思いもしなかった。

 夜風が雲を掃う、月とて殊更に顔を出したいわけでも隠れたいわけでもあるまい。

 

 大通り沿い、車の音にまぎれてそっと、頭の後ろに手をやった。

 

 分かった、認めよう。何か所か、どことなく薄くなっている気はするそれは認めざるをえない、しかし伸びているどころか腫れてさえいない、当たり前だ後頭部が伸びるわけがない、私は私自身の禿げすら、自分で見ることができない。



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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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