僕のような腐れ外道であっても自らのiPhoneには『LINE』がインストールされていたりして大変お恥ずかしい限りなんですが、そこはやはりアレでございまして、インストールしてはいるものの誰かからメッセージが飛んでくることなど滅多にございません。

LINE』は、かつてケータイの番号を交換させて頂いた皆様は有無を言わさず「ともだち」として自動登録されてしまいますので、名前だけはズラズラと並びながらもピクリとも震えない、電話帳以下の存在となっております。

使わないんなら削除してしまえばいいんですのに、並んだ名前を見つめながら、僕もかつてはまがいなりにも人とのつながりがあったのだと懐古したいのでしょう、下品な感情です。



 

先日、『LINE』の新しいともだちの欄に、知人女性の名前が現れました。

あれ、この人、すでに登録済みだったはずなんだけどと思いクリックしてみるとピチピチのタンクトップを着たインド人がこちらを見て微笑んでいます。ラジ・ヤダフ。誰やねん。

 

 

“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。” 『方丈記』

 

 

水はずっとそこにある。しかし一瞬たりとも、その水は同じ水であったことがない。僕たちが日々同じように見ているつもりの同じ風景は、同じように接している同じ人は、一瞬たりとも同じものであったことはない。

そこにあるものは、すでにそこにはないのだ。そして、その流れを見つめ続けているつもりになっていた僕たちにも例外なく、滝の音は段々と近づき、そして突然落ちる。

 

互いに連絡を取らなくなって、いつしか番号やアドレスが変わったりして、「まあこいつには教えなくっていいか」と思ったりして、だんだんとフェードアウトしていく。存在も忘れていく。季節は流れ景色も流れ人もまた、流れていく。

 

木の葉の色が遷ろうように知り合いだった女の子のケータイ番号が変わる。変わったことさえ知らずに、彼女がいつの間にか視界から消えてしまったことさえ知らずに生きていく。それでいいではないか。なのに教えてもらえなかったことをピチピチの見知らぬインド人ヤダフが僕に笑顔で伝える時代。さあみんなでLINEの株を買おう!

 

 

ヤダフごめん、ブロックしたよ。ごめんねヤダフ。そちらは暑いですか?




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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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