入学と同時にJリーグが開幕することもあり、同期の中では、「誰がどのチームを応援するか」の会議が行われました。いわゆる、『推し』を決める会議です。

現在のような、地域密着型の地道なクラブ運営とは違って、当時はバブルの最後っ屁とばかりに、いかにも代理店型のイベント花火が上がり、彼らも当然、その花火に乗せられました。地元のチームを応援しなければならないという気分には全くなりませんでした。

 




推しに重複が生じると、今後、観戦するにあたって面白くなくなるから違うチームを応援したほうが良い、というのが主な理由でしたが、これは後々、サッカーゲームをやるときに、選択チームの奪い合いをしないで済むのに、大変役立ちました。(Jリーグ プライムゴール』というスーパーファミコンソフトが、Jリーグゲームの最初だったと記憶しています。)

 

彼は、競合することなく、清水エスパルスを選択しました。

理由は、長谷川健太・大榎克己・堀池巧という、伝説の『清水東 三羽烏』、Jリーグ発足に伴い前年で消滅した日本サッカーリーグの最後の得点王である読売クラブのトニーニョ、東海大の司令塔・澤登正朗、カズのお兄ちゃんこと、三浦泰年らが入団したことです。いずれも彼のお気に入りの選手たちでした。

言うまでもなく、昔から静岡県清水市は、「日本のブラジル」とも呼ばれる指折りのサッカーどころでした。その清水が、企業を母体とするのではなく、いわゆる市民のクラブとしてJリーグに参加すると聞いて、彼はさらにグッときていました。

 

好きになったから応援するのではなく、応援することに決まったから好きになる。

順番のおかしさもお祭りムードにかきけされ、彼はエスパルスの試合を観に行くことにしました。

エスパルスがどのような魅力を持つチームであるのかを直接確かめたいわけではなく、ただ単に、顔にペイントしてチアホンをプワーと吹き鳴らし、マフラータオルを振り回してみたい、テレビでやっているように。それだけの浅はかな動機です。

 

おそらくガンバ大阪戦だったと思います。アウェーであるエスパルスの応援席はそれほど混雑しておらず、彼と知人たちはオレンジ色に身を包んで試合もロクに観ず騒いで90分を終えました。

ああ楽しかったと帰り支度を始めていると、一人のスーツを着た男性が彼らに近づいてきて声をかけました。

 

「エスパルス、お好きなんですか」

 

男性はどうやら関係者の方のようで、要約すれば、そんなに応援してくれるなら、サポーターズクラブみたいなものに入会しませんかというお誘いでした。

一度大騒ぎして、すっかり満足してしまっていた彼は、オレンジ色で『S』と大きく描かれたマヌケな顔で、「いや、それほどは応援していません」と、男性のお誘いを、身も蓋もなく断ってしまいました。

 

 

ともあれ、Jリーグの打ち上げ花火効果はすさまじく、創設の波に乗っかって新たなサッカーサークルが大学内でも乱立し、翌年には大量の入部希望者が集まって、同好会は総勢80名という最大瞬間風速を計測するほどになったのでした。

そして、バブルの終焉と同時に花火は夜の闇に消えて行き、Jリーグ全体が一気に経営難へと落ち込んでいったことは記憶にも新しい光景です。

 



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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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