オッサンとかオバハンとか年寄りとか先輩とか上司とかが
偉そうに腹と乳を揺らして言ってくることは基本的に聞く意味がなくて、
彼らが正しいと思って押し付けてくることの大半は、
「かつて正しかったこと」だからです。
昨日の真実は、今日の嘘。
昨日の正解は、今日の不正解。
今の匂い。
今の音。
今の輝き。
それは時代と同じスピードで今走っているやつにしか分かりません。
だから、答えは自分で見つけなきゃいけない。
ある種の人々にとって、それは苦痛です。
先輩に言われたことを言われたからという理由だけで正解だと思い込んで、
思考停止すればその瞬間は楽です。
そしてそれをあたかも自分で考えた答えかのように暴力的に後輩に押し付ける。
それは、一種の罪悪です。
そして僕たちは、その罪悪から必死で逃げなくちゃいけない。
自分で考える。自分でやってみる。失敗する。反省する。やり直してみる。
その過程の1つとして、先人の教えを取り入れたいなら取り入れればいいし、
無視して通り過ぎたいならそれでもいい。好きなことを好きなようにやればいい。
先日も言いましたように、僕はコピペ死ねと思ってます。
僕が仕事を始めたときは、まだワープロ文化の末期ぐらいで、
パソコンを使っている人はごく少数でした。
僕は常々、先輩たちから
「お前がワープロとかパソコン使って原稿書くなんて10年早い」と言われ続け、
手書きで原稿を書いていました。
手書きで原稿を書くことによるメリットは2つ。
1:人が読みやすく、読んで楽しい原稿であることを常に意識する。(ビジュアルデザイン)
2:ルーティーンに陥らないように常にその都度新しいことを考える。(コピペによる思考停止)
放送原稿は、書き終わった瞬間がゴールなのではなくて、スタートです。
そこが小説とは完全に違うものだし、誇るべきところだとも思います。
演者が読んで、おもしろさを共有して、テンションが上がって、スタッフを信頼して、
自由に遊ぶことができる。
そのためには、字が汚くても判読できる字の書き方を研究したり、
わざとちっちゃい字で書いて読めなくして遊んでみたり、
工夫するわけです、いろいろ。
手書きだとコピペはできません。
同じようなことを何度も言わなきゃいけないシーンは必ずあって、
さっきと同じ言い回しでいいじゃんと言って、今の20代のウンコ作家どもは、
すぐにウンコみたいにつまらない言い回しをウンコのような右手でコピペして、
ウンコのような顔をして満足しています。
そういう人たちは10万回輪廻転生しても、僕の尻尾さえ見ることができません。
残念ですよね。努力すれば尻尾ぐらいは見れたかもしれないのに。
「アドレスはこちらから。www.tfm.co.jp.........」
みたいな、どこにでもある呼び込みを、いかに印象づけて、いかにフレッシュに、
いかに飽きさせないように楽しめるか。
パソコン使ったってできます。でも、あいつらはコピペします。
MS明朝みたいな何のひねりもないフォントで書いたウンコみたいな文章を。
せっかく自分の面白さを表現できる場があるのに、それを放棄している。
つまんないことの責任を取らされるのは、視聴者であり、出演者です。
人に責任を押し付けてウンコみたいな顔して今日も業界にのさばってるやつらは、
作家とかえらそうな肩書きぶらさげるのをやめて、
EUにでも行ってブドウを樽の中で踏んづけてればいいと思います。
絶対そのワイン飲まないけど。だってどーせ手抜きするだろうから。
さて。これは、僕という33歳以下の方にとっては先輩にあたるオッサンが述べる戯言です。
昨日まで僕が正しいと思っていたことです。
今日は正しいかどうか、分からない。
だから、それが正しいかどうかは、みなさんご自分でお確かめください。
「お前あんときああ言ってたから鵜呑みにしてやってみたら失敗したやんけ!!!!」
って言われても、責任は負いかねます。