僕の周りはぐるり360度青い芝で囲まれていてどこを見てもうらやましい。
あっちの仕事は楽しそうだし、向こうの業界は面白いことやってて悔しい。
後ろを見たらキラキラと華があって憧れる。
広告の人たちもそうで、やっぱし社会からの長年の刷り込み効果は絶大で、リエイティブディレクターとか言われたら問答無用でカッコイイとか反応しちゃうし、
お金いっぱいもらってるんだろうなーとか、芸能人とパーティとかしてるんだろうなーとか、面白いアイデアマンが周りにいっぱいいて刺激と活気にあふれた環境なんだろうなーとか、まあそういうイメージで。
こういう外部からのイメージは広告業界放送業界に限らず半分は豪快に外れてますけど半分はまんざらでもなかったりして、なぜかというとこういうイメージを抱いたままその業界に入ってって、自らにターボ自己演出をかけていく人も一定数いるからです。
そうやってイメージは具象化されてイメージを再生産していきます。
根本的に違うんだけど個人的には根本的に同じだと思ってることが僕にはあって、
それは広告作りと番組作りです。
オリエンを受けてプレゼンして企画を通して出演者ブッキングして撮影してポスター刷ってテレビCMを編集して何ヶ月もかけて広告は世に出ていったりして、広告は企業利益を拡大するための業務の一環であるのが本来だと分からないなりに思うんだけど、
やっぱり作品というか世の中に対してのメッセージという観点からも評価されるわけです。
キラキラしたイメージを持つ業界が、キラキラした評価を受けているのを見ていると、やっぱり心のどこかでは超悔しいわけで、隣の芝が青くてまぶしくて目がつぶれそうになるわけです。
そして一方では、何ヶ月も何ヶ月もかけて作る広告と同じかそれ以上のメッセージを、僕は毎日毎日新しく生み出していてそれは作品という観点からしても全く引けをとってないという、反発的自負も、一方では当然あるわけです。『わけです』締めも飽きてきました。
まぶしいとか悔しいとか負けてないとか、そういう心の動きが指し示すところは、王の復活を告げる呪文を唱えた後の飛行石のごとくただ一点で、根本的に同じだから、だと思います。
同じなんだ、という意味では、広告だろうがマスコミだろうが出版だろうが商社だろうが金融だろうが、
製造だろうが農業だろうが、同じです。
職業が何であろうと、自分もやってみたい面白いこととかカッコイイことをやってると、
悔しいしうらやましいし憧れるし。
ひねくれてスネて、その人たちのことをキライだと言って片付けてしまうのか、
だったらその人たちと入り混じって一緒に新しいものを作りたいと思うのか、
それは人それぞれだと思いますけど、僕は前者的な思考でずいぶん時間をムダにしました。
そしてそのムダにした時間に意味を与えるために、今日を過ごしております。
もう結構飽きるほど言い続けてて、それでもまだ飽きずに言い続けてますが、
職業選び、肩書き選び、就職活動は、単なる入口です。
東京ドームに、22番ゲートから入るか、40番ゲートから入るか。
その程度の差でしかありません。語弊があるかもしれませんが多分ありません。
例えば僕にとっては東京ドームに来ることがゴールなわけじゃなくて、
日ハム対オリックスでイチローが猛打賞かますところを目撃してイチロー好きすぎて死ぬー!!!…って叫ぶのがゴールなわけです。
イチロー大好きと言いたくて来た人は、どのゲートから入ろうがドームの中で必ず僕に会います。そして一緒に応援します。
例えが古くてすいません。イチローがいなくなって、僕は日本のプロ野球を見なくなりましたので。
先日、箭内さんによる人生相談ということで相談メールを募集して、
結局ほとんどが進路相談、就職相談だったので、ラジオをお楽しみいただいてる方は、その辺りの年齢が多かったりするのかなーと思ってまして、いつか時間ができたら僕のどうしようもないウンコみたいな就活の話とかしたら、あ、こんなクソみたいなやつでも生きてていいんだという勇気を持っていただけるかと思ってましたんですけども、なかなか機会もなくてここまで来てしまいました。
昔々というか去年の話ですが、番組のSNSを作ったことがあって、
僕らに先見の明がなかった結果、ロクなもんじゃなくて閉鎖しちゃったんですが、
そこで僕は日記というか思い出を綴ってたことがありまして、その中には僕の就活体験についてのエントリーもありましたんで、今度、それを転載してお茶を濁そうかなと、今ボンヤリ思ってます。