よく、無感情であるとか、無感動であるとか、無表情であるとか、何考えてるのか分からないとか、そういう新人類()的なご指摘をいまだに受けがちです。いつもむっつりつまらなそうな顔をしていると。

それはですね、何を考えてるのか分からないのではなくて、本当につまらないと思ってるんです。

僕は感情が態度にあからさまに出ます。不機嫌そうに見えるのは、不機嫌そうに見えるのではなく、本当に不機嫌なんです。面白くないのに笑ったりしないんです。悲しくもないのに泣いたりしないんです。何考えてるのか分からないように見えるときは、あなたとは全く関係のない別のことを考えてるんです。

 

こんなに分かりやすい人間が他にありますか。いばることじゃないですね。

 



 

相も変わらず世間では、光と闇とか、表と裏とか、二面あるよと言えば、「深い」とか言ってもらえます。人間の二面性を、とか言うだけで芸術とか名乗っていいことになっています。楽勝ですよね。たったの二面で「深い」ですよ?

 

裏の顔、とは一体何なんでしょうか。よく使われる言葉ですけど。

お考えになったことはありますか。

自分には裏の顔がある、とお考えでしょうか。

表は嘘で、裏は真実、なのでしょうか。

 

 

人間に面などない。繰り返す、人間に面などない。

 

 

この「二面性ごときでありがたがる風潮」というのは、もちろん、記号にしか反応できなくなった現代社会の特徴の一つです。ありのままを丸呑みで受け入れても咀嚼できない。「つまりこれは、どういう味?」「つまりこれは…甘いです」「甘いのか。分かりました、これは甘い!で、こっちは?」「甘さの中に苦みがあります」「甘くて苦い?2個も味あるの?複雑!すごい!最高!」

 

「あの人はデブで貧乳で大人しくてジャニーズが好きで猫飼ってて関西弁で蟹座O型」

自分が知っている記号の枠に押し込んで類型化し、人間の何かを分かったような気分になる。はみ出た部分はヘラでギャッとこそぎ落として素知らぬ顔です。それは、そうすれば気分が良いからそうしているわけではなく、それ以上の咀嚼が、できなくなってしまったからです。記号以上の意味は、既知の枠を超える部分は、疲れるからもう考えたくない。

 

 

人間は、未知を恐れる。夜を恐れ、森を恐れ、死を恐れた。

火を燃やし、木を伐り、宗教にすがった。未知をなくすのは、探求心とは、恐怖心とは、すなわち恐怖から逃げることに他ならない。

 

人間は、人間を恐れる。




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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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