同窓会的なのがあったんです。大学の。

お前みたいなやつに同窓会のお知らせなんか届くわけないだろ! いやほんとその通りですよね。

 

何度かお話をしたことがありますとおり、僕はいわゆる前時代の遺物的な大学生活を送っておりましてつまり、ほとんど大学に行っていません。誰かにノートをコピーさせてもらって一晩暗記してテストだけ受けに行くっていうやつでした。

つまり学部には顔見知りも友達もいないわけです。…言っててさすがに寂しくなりました。19歳の時点でこんなんかよ。

そんなことはどうでもよく、僕の学生時代は主にバイトかサークルでサッカーかのどちらかで、集まってどうこうするというのはサークルの同期しかおりません。



 

僕がこういった集まりに参加するのは5年ぶりぐらいでした。

彼らも定例で開催しているわけではないと思うんですが、同期のうち二人がしばらく海外勤務になるらしく、その送別会というか壮行会というか、そういう感じでした今回。

 

やばくないですか。海外勤務ですよ海外勤務。そんなことで騒いでる僕もたいがい幼稚ですけど。

同期のみなさんは、それなりのメジャー業種のそれなりに大きい企業でそれなりに頑張って働いている、それなりのエリートです。それなりの大学を出ていますので、だいたいそういうことになります。

 

毎日のようにいちゃいちゃと過ごしてきた友達も働き始めるとあっという間に疎遠になります。

忙しさや距離的な問題もそうですが、何より共通の話題をどんどん失っていくということに一番の寂しさはあります。互いに全く違う世界で生きていくことになるわけですから。同業種であったり、もしくは少なくとも会社員であったりすれば、まだ何がしかの比較軸があるので話もしやすい。しかし僕のような人生の落伍者が混ざると、そういうわけにはいかなくなります。

 

この話は以前にもしましたね。つまり今回もそういう気分は味わいました。

僕が混ざると、いつもの昔話にしかならない。僕はそれを心中では嫌がっているけど、裏を返せば彼らが僕と何を話せばいいのか分からず困っているということでもあります。気を遣われているんですよね。それも嫌な理由でもある。

 

こういった気遣いが生まれてしまうこと自体が疎遠になってしまった証拠でもあって、悪循環です。

何のしがらみも持たずアホみたいな顔して適当に生きて、もうイヤだから仕事辞めたとか言い始める。そんなこいつは必死に働き続ける自分のことをバカにし見下しているかもしれない。気を遣うどころか、誰だって嫌ですよね、そんなヤツ。

 

 

もう就職して20年近くが経ちました。経ちましたとかカッコつけてますけど僕以外のやつのことです、僕はしてないんで。

彼らはすっかり企業社会の仕組みを理解した立派な大人であるはずなのに、頑張ってくだらない話ばかりをしてくれます。

その気遣いを無駄にしないよう、僕は懸命にくだらない話をします。

 

気遣いが断崖の淵を優しくなぞる。

 

20歳にもなれば、集団の中での自分の位置を、どうしたって強く意識して行動するわけで、何もかもをさらけ出して付き合うということは本当は難しい。

何かを分かったようなツラをしてしまうバカ大学生はまさに、ゴテゴテと自分を鎧で着飾ることを覚える年齢です。そして今、40を越えて無知と無力の波に溺れ、鎧の重みで沈みそうになっている。

 

彼らのことを本当の意味で知ったことは、日々顔を合わせていたあの数年間の中でも、きっとなかった。これからもないでしょう。しかし僕は、こうして適切な距離から届く彼らの優しさを受け取ることができています。




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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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