「写真・動画の撮影を一切禁止します」と言われて、あなたは旅行に出かけますか?

写メも、ムービーも、ダメです。出かけますか?

 




一定数、「じゃあ行かない」と答える方がいるだろうと思うんですよ。一方で多くの方は、この問いに殊更大きな声で、YESとお答えになるだろうとも推察するんです。そっちのほうが得点が高い、人間としての格が高いだろうと踏んで。しかしこれは心理テストでも就活の面接でもありません。ただの質問です。どれくらい行かないんだろうな。興味あります。

 

 

アンケートやテスト、こういった質問の「結果」が信頼に足るものかどうか、というのは、例えばそれが大手の調査会社や新聞社や政府など、いわゆる権威ある者によって行われたものかどうか、というのには、あまり依存してないですよね。だって僕もあなたも、嘘をつきますから。すぐに。簡単に。相手が誰であろうと。どんなに些細な内容であろうと。

 

初体験の年齢やちんこのでかさアンケートが、まともに機能すると思いますか?

「川で年寄りが溺れている、あなたは助けますか?」という質問の答えが、世の倫理観を真っ当に反映すると思いますか?

 

僕もあなたも、容易に嘘をつく。他者からどう見られたいか、どう見られると自分が気持ちいいか、という個々の意思は、その対象となる社会集団の性質に従って、偏ります。強いことがカッコイイとされる集団に所属しているなら、強く見られるような嘘を。気が狂ってることがイケてるとされる集団なら、気が触れているような嘘をつく。

アンケートの結果は、そういった意味では社会情勢を反映します。

 

 

“おとなはウソつきではないのです。まちがいをするだけなのです……。”

 

というのは元々、ジョジョの作者、荒木飛呂彦先生のお言葉ですが、昨今は一人歩きすることも多い文章です。

ツェペリというおっさんの、天涯孤独の身であるという設定をうっかり忘れて、その孫(シィィザーァァァッ)を登場させて子供たちが騒いだため、お詫びを書いた、その詫び文の最後の部分ですね。元々は。

 

言葉は嘘をつかない。嘘をつくのは、人間です。

 

この言葉にも嘘はない。「言葉」には。

問題は、この言葉を、大人が大人のために使う、ということです。

自分たちが自分たちの行為を取り繕い言い訳するために、自分たちに向けて使い、後ろめたさを解消する。

言葉の相手であるはずの子供に向けて発した言葉ではない。

 

大人はウソつきです。子供と同様に、ウソつきです。

子供と同様に、自分の欲求を満足させるためだけに生きている。

 

ツェペリに孫がいたからって、作者に、「だましたな」「お前は嘘つきだ」なんて送る子供が、いるんですよ。実際に。

それを聞いて、純真だ、作品に愛着を持っている、微笑ましい。とお思いになりますか?

 

僕は、ガキだろうとおっさんおばはんだろうと、一生変わらずこういうことする奴が一定数いる、との思いを新たにしただけでした。

 

 

 

……っていうのは、トランプ当選とかとは無関係に書いてたやつだったんですが。なぜ書いたんでしたっけ。ブレグジットでした。イギリスのEU離脱の国民投票の件。みなさんはご興味ないだろうとは思いますが。あのブレグジットの時に書いてたメモが上記の文章でした。

 

 

嘘をつくこと。

事実ではないことを言えば、自分を守ることができると、思ってしまいます。

なぜ、事実ではないことを言えば、自分を守ることができるんでしょうか。

 

 


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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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