先日、ある打ち合わせが終わって駅まで移動する際、歩きながらの仕事の話がややこぼれて解散地点で終わらなかったため、仕事相手は、タバコでも吸いながら、と喫煙ルームへと入って行きました。

僕はタバコ臭い密閉空間は好きではないですが、だからといって鬼婆みたいに包丁持って暴れるほど嫌いなわけではなく、だからといって喫茶店に改めて入るほど彼と長く一緒にいたいわけでもないため、彼に続きました。

 

一人の見知らぬ男が近づいてきます。肩から小さなショルダーバッグを提げ、手にはクリップボードを持っていました。

 




「あのー、ただいま、iQOSのアンケートの…ご協力をお願いしているんですが…」

今めちゃくちゃ売れているとかいう、煙の出ない、湯気が出る、電子蒸しタバコのことです。アイコス。

あれの販促の人なんでしょうか、声をかけてきました。

この喫煙ルームには今10人くらいいます。一斉にこちらを黙って注視しています。なぜ、よりにもよって僕に声をかけるのか。

 

みなさんは全くご存知ないかもしれませんが、僕は人から注目されることが非常に嫌いであると同時に、他人に対して非常に気を遣ってしまう、みなさんを全員束にしても敵わないくらいの常識人なんです。ご存知ないと思いますけど。

分かりますか。どこの誰かも分からない赤の他人の視線を浴びる密閉空間、逃れることもできず、明らかに仕事の話をしている真っ最中の僕に話しかけてくる失礼極まりない赤の他人のおっさんを、しかし無視するのもどうかと思い苦悶する、大変かわいらしい僕のこの胸の内を。ていうかお前も「今ちょっと僕ら仕事の話してるんで」とか助け舟出せよ。おい。お前。おい。

 

それは当然そうで、僕としても、「今ちょっと大事な話をしてるんですみません」と答えればよかったんです、むしろ答えるべきだったんです。

 

「今…すみません少しだけ…おおお時間いただけますでしょう…か…」

 

半そでYシャツの首元を濡らす汗は、明らかに暑さのためではありません。iQOSの男は、こちらが怖くなるほどにブルブルと震えていました。脂汗ですこれは。ビシャビシャやないかお前。

失礼ながら、喫煙所で適当に声かけてアンケートに答えてもらうだけ、断られたら失礼しましたで終わればいいだけの仕事に、彼はおそらく異常に緊張しています。良い年したおっさんがブルブル震えるさまに、憐憫の情すら湧いてくるではありませんか。僕は断れませんでした。

 

「よかったら、iQOS、試してみませんか…?」ブルブルブルブルブル震えてる!!!手に持ってるiQOSがめっちゃ震えてる!!!危ない危ない! 俺の指がiQOSでぺチぺチぺチってなる!!!

 

…どんだけ震えてるんですか。

 

おそらくは広告代理店が下請けに発注した、その会社の派遣の人だと思うんですけど。全然慣れてないじゃないですか。他人に話しかけるの、めっちゃ苦手じゃないですか。

 

おそらく彼は本当にイヤなんでしょうね、この業務。心の底からやりたくないと思いながらやってるんだろうと推察します。で、そういう思いで仕事をしている405060代の人って、めちゃくちゃ多いと思うんですよ。もう人生も折り返してここからは下り坂だというところまで来ているのにも関わらず。いまだに、死ぬほど嫌なことに自分の人生の一部を売って、幾ばくかのお金に代えている。

本当に偉い!とも言える。養うべき家族や、目的のためにぐっとこらえて金を稼ごうとしている姿を応援したい、とも思える。

一方では、良い年して何しとんねんおっさん、とも思う。もうすぐ死ぬのに、まだ嫌なことのために貴重な人生の残り時間を使ってるのか、もったいなさすぎるだろ、喜びとまでは言わないがせめてあんまり嫌じゃないことで金稼ぎなよ、と言いたくなる。

 

 

僕は家庭を持っていないゴミクズなので好き勝手なことが言えるし好き勝手なことができます。

家族を持てば、そんな自由はないのだと、嫌だからと言ってホイホイと仕事を辞めたり変えたりはできないのだと、いうのも分かります。

 

僕を見るにつけ、みなさんは、お前らの業界はお前みたいなゴミばっかりなのだろうと、うっかり思っておしまいになるかもしれませんが、実際はそんなこともありません。クズは僕一人くらいのもので、多くは企業に所属する真っ当な社会人です。

せっかくのポテンシャルを持ちながら、家庭を持つことで皮がむけきれず、この世界に何も刻まない人物で終わってしまった人も見たことがあります。余計なお世話ですけど。

 

一方で、家庭を持ちながら権力の道を邁進する。出世街道といっても差し支えはないかもしれませんが、そういう方はたくさんいらっしゃいますよね。その二つは、厳密に言えば表裏の関係にはないのかもしれない。夫の地位が高まることを第一に望む妻や子供も当然いるでしょうし。

 

 

家庭第一、家族第一の信条を携えて、真に新しく面白いものを追求し道なき道を進むというのには、無理があります。悪意はありません。僕だって奥さんや子供がいれば、僕だって奥さんや子供がいればっていう書き出しは最低に気持ち悪いですね。それはともかく、家族のためにお金がたくさんもらえるクソみたいな仕事を進んで請け負う可能性は十分あるだろうと容易に想像できます。

 

何かを犠牲にしないと何かを手に入れることができない、と言っているわけではありません。

「一番」を選ぶことのできない人は、いつ訪れるか分からない大切な一瞬、待ったなしの瞬間に、何も守ることができない、と言っています。

どれも好きだから選べない、というのは、何も愛していないのと、同義です。





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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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