昇ったハシゴは、降りられない。

 

収入がある時を境に減少する。しかし生活レベルを下げることができない。

「そうは言ってもコレは必要」「まあ、たまにはいいじゃないですか」「これだけは譲れない、良い物を使いたい」

金が無いなら無いで、高収入だったときのあれやこれやをキッパリと捨てられればいいが、それはできない。

 

昇ったハシゴは、降りられない。

 

4.7インチ画面のスマホを4インチにすることができない。一度大きくした画面を捨て、小さい画面に戻ることができない。

昇ったハシゴは降りられない。



 

古来ガラケーの時代から、液晶を縦に伸ばし、カラーにし、二つ折りにしてボタンと画面を分離し、ボタンを廃して丸ごと画面にし、必死に画面を大きくしようとしてきた。なぜかと言えば、画面を大きくしたいと、思ったからですよね。当たり前のことを言ってますか僕は?

 

「片手で操作するには大きすぎる」「親指が痛い」「そもそも手で扱うのだから大きいと言ったって適正なサイズというものがあるだろう」

それは全くそうです。全くその通りです。しかしそれは、スマホ、あるいは携帯電話のサイズの話であって、「画面」の話ではありません。

 

画面は、デカければデカいほどいいのです。画面は、どんどんデカく、枠が見えないくらいデカく、画面が画面でなくなる、画面が視界と同等のものになることを指向しています。

 

一度大きくした画面は、小さくできない。

 

画面を手に持つ。画面を手の中に納める、というのは、ビュンビュンと流れゆく過渡期の中のある一瞬の事象です。

画面が手に納まらないほどデカい。ならば手の中に納めなければいい。それだけなのです。

デカいんだから、手で操作しない、手で持たない。画面は一方通行で、そうなります。手の中に納まらないから画面を小さくする、とはなりません。

 

一度大きくなった画面は、小さくできない。

そういうふうに、できている。

 

スマホとかウォッチとかはもういいんで、早く目にチップを埋め込む生活が来るべきだと何度も言ってきましたが、依然、画面の適切なサイズとか言ってゴニョゴニョしてますよね。画面に適切なサイズなんかないんですよ。画面はデカければデカいほどいいんです。枠が見えないぐらいデカいのが適切なサイズなんです。




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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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