嫌なら見るな、というのはおかしい。見たから嫌なんですよ。例えばね。

 

明けましておめでとうございます。

 

テレビ放送は一種の公共物であり、「嫌なら見るな」は通用しない、だって誰でもうっかり見てしまうじゃないか、だって燦然と輝く国民的娯楽、テレビ様だぞ!見てしまうじゃないか!だからこの批判は正義なんだぞ!

一方でネットは「嫌なら見るな」が通用する、全て自分で選択してクリックし閲覧しに来ているわけだから自己責任なんだ、嫌なら見るな、さっさとブラウザ閉じろ!嫌なら見るな!



 

2016年現在、やば、2016年ですねもう、2016年現在、インターネットをまともに、まともにという表現が不適切ならば、ごく一般的に利用していて思うことは、嫌なものって山ほど目にするじゃないですか。もはや、「ネットの嫌な物」イコール、怪しいエログロサイトとか2ch、みたいなそういうのは一昔前の例え話ですよね。

常識人として普通に使っているだけで、毎日ものすごい数の、嫌なもの、嫌な人、頭の狂った人に出会います。

 

もう、全てのクリックが能動的で自発的な、自分で責任をもって管理し選択できる範疇にあるという時代は、ネットにおいてもとっくに終了してしまっているわけですよね。その壁を大きく乗り越えて、嫌な物の奔流は僕たちを飲みこんでしまっている。

嫌なものもあるが良いものも同じようにたくさんあって、自分の責任と判断で上手に利用しさえすればインターネットは素晴らしいツールだよ、などというオカマみたいな指導は、もはやuselessです。もう僕たちは現に、この奔流に飲み込まれて流されている以上、若い人たちはジジババ世代、おっさんおばはん世代の想像を絶する質の、嫌なものに囲まれて生きていかなければならない、その世界でのサバイブの仕方こそ、おばあちゃんのぽたぽた焼きの包みの裏に書かれていなきゃいけない知識です。

 

今日のネットとは、気違いにとっての、「刃物と、どこでもドア」だと、かつて僕は申し上げました。

刃物を持った狂人に、これは比喩ですよ、刃物を持った狂人に出くわさないようにする方法は、いくつかあります。それはぽたぽた焼きの裏にもすでに書いてある。しかし刃物と「どこでもドア」を持った狂人に出くわさない方法は、果たしてあるんでしょうか。

ネットがなかった時代において、会いたくない人、関係を持ちたくない人、ヤバそうな人とは、からまないようにしようと思えばある程度は実現していました。生活において気をつけるポイントをいくつかおさえていれば。

僕は、世の中にこんなにも数多くの、頭のおかしい人、気持ち悪い人がいると知って、ここ5年ほどの間、毎日毎日めちゃくちゃ驚いています。想像をはるかに上回る数です。あそこにも、そこにも、すぐここにも。次々と突然現れた「どこでもドア」を開けて顔を覗かせる。ナイトメアじゃないですか。

 

一方では、明らかな狂人、どこからどう見ても精神に疾患のある人を、証拠がないことと、自分の身分を隠せるのをいいことに、「狂人ではないが、社会的・人間的に整合性の取れないおかしなことを言うヤツ」ということにして血祭りにあげたり、指差して笑ったりする。めちゃくちゃ良く見ます。

ネットの「匿名性」によって相手がどんな人間であるか、認定が難しいのを逆手にとった、新手の遊びなんでしょうか。精神疾患のある人なのか、それともただの教育や教養の足りないバカなのか、断定ができないのをいいことに、ただのバカだということにしてバカにして遊ぶ。最先端ですよね。

 

 

ここまで書いておいてなんなんですけど、僕、匿名でSNSやった経験がないんでした。SNSと言ったってTwitterFacebookinstagramぐらいしかないですけど。そういえば。だから多くの方々がそうであるような、名前と身分を隠してネットに書き込むというのをやったことがないんでした。そういえば。

友達が一人もいないせいで懐かしのmixiに招待されるのもめちゃくちゃ遅かったですし。いやなこと思い出させますねみなさん。そういう意味では何か、僕にとっての実名SNSというのは堂々としているというよりも、「俺は業界で仕事してるぜキャーキャー言ってフォローしろや低級国民どもが」的なSNSの使用法、とも言えなくもないですよね。残念なことに。でもそうでもしないとSNSを利用するなんて恥ずかしくてできなかったわけですから。もともと徹頭徹尾、腐った利用法以外に道がなかったというわけです。

 

匿名という仮面を被れば、普段できないことができ、普段言えないことが言える、というのは、一見ダサくてキモいようにも思われます。いざ目の前に来て「何だよお前」と言われた途端、冷蔵庫の下にカサカサと隠れてしまうような言動をとっている、と自覚がある方も、ひょっとしたらいらっしゃるかもしれません。

匿名だからこそ気安く汚い言葉も吐けるし、手軽に嫌いな奴を傷つけられる。匿名だから気持ちの悪い欲望も露わにできる。そもそも自分はきらびやかな金持ち有名人とは無縁の、毛が絡まった綿ぼこりのような存在のくせに、個人情報をさらけ出して何をアピールするんだと。名前晒して金が稼ぐ方法を思いつけるほど頭が良いわけでもなし、せいぜい、「隣の農家の嫁が年甲斐もなく恥を晒してるぞ」とJAで後ろ指をさされる程度の結末しかないじゃないですか。身分を隠さない理由がない。

 

僕はそういう方々が羨ましいんです。

 

実際匿名アカウントを作ってSNSをやった場合、ネット上で何か言いたいこと、書きたいことがあるかと問われたら、僕には、まっっっっっっったく、なんっっっっっっにも、ないんですよ。ビックリするぐらい。

仮面をかぶった瞬間、視界もシャッダン、シャットダウンしてしまうんです。内に眠るもう一つの人格もなく、お酒を飲めば現れる本性もなく、ただただ空っぽの人間なんです。肩書きとか仕事とか、そういう飾りの力を借りるというよりむしろ、名前や、肩書きや地位や仕事という仮面そのものが何かを主張するために、僕の虚ろな身体が使われているに過ぎないのかもしれません。飾り無しでは何もできないどころではなく、飾りしかない存在。

みなさんすごいです。僕には匿名だから語りたい好きな芸能人も、匿名だから書き込みたい2chのスレッドも、匿名だからモノ申したい番組やマンガも、匿名だから闇討ちしたい人物も、匿名だからこそ能動的に情報を収集したい趣味も、何にもないんですよ。

あるのは、仕事上必要だから、とか、こういうことを発信することによって社会的にはこう見られるから、とかの、仮面が持つ理由だけです。僕が持っている理由じゃない。「僕だってチヤホヤ特別扱いされたいもん!」という最大の欲さえ、名前や身分を隠して発露させることが、そもそもできないじゃありませんか。匿名性によって自らを解放する、その解放されたものの良し悪しに関わらず、それができる人たちを僕は尊敬しています。いいなあって思う。僕は名前すら捨てられない。




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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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