十三(じゅうそう)のマクドナルドのバイトは簡単にヤレる。中学生の時の同級生が当時、武勇伝として語っていたのを遠く思い出しました。大阪には十三という、治安がガバガバの街があって、風俗店が立ち並ぶ駅前の道の入口辺りにマクドナルドがありました。店に入るとめちゃくちゃカワイイ女の子がレジに立っていたので話しかけ、今日はバイト何時で終わるのか聞くと8時までだと。じゃあ待ってるから終わったら遊びに行こうと誘うと、笑ってくれたのでコレはいけると本当に8時まで待ったところ、その女の子が店を出てきた。「そのあとはどうしたん?」「そらホテル直行よ」。
何もかもが僕の毎日とは違いすぎて眩暈と興奮を覚えました。僕だっていつかは大人になって、街で女の子に声をかけたりセックスしたりするんだろうという、淡い色の妄想は持っていたけど、今目の前で、同い年の男がその夢物語を易々と手に入れている。僕はそれを物語として聞く。マクドのバイトはヤレる。マクドのバイトはヤレる。いつか大人になれば僕も。
大人になろうとおっさんになろうとそんな日は訪れるはずがなく、その同級生はたけし軍団に入ると言って高校を中退して上京し、そしてマクドのバイトはヤレない。
今でこそマクドナルドは、ズルズルと赤字を垂れ流す底辺のたまり場みたいな存在になっていますが、かつてはキラキラした楽しい存在でした。学校帰りに友達と立ち寄り、ポテトをバニラシェイクで流し込みながら、他愛もない話をして過ごす、そんな場所。あそこのマクド、南野陽子が学校帰りに良くおったらしいで。ウソやんスゴイな。そんな場所。友達もおらず、寄り道なんて親に怒られるような虞犯行動をとる勇気もない僕には、駅前のおとぎ話のような、近くて遠いものでした。
あれから何十年かの時を経て、別の街の別のマクドナルドで、僕は恐ろしいものを目にしました。傷一つない珠、ほつれのない絹、純白の紙から透けて見える太陽、全てがその居場所とは異質な、異質である結果、周囲の空間を歪めてしまうような、恐ろしい若い女。レジの前に立った僕は、きっと怪訝な顔をしていたことでしょう。興奮と同時に猜疑心も生まれていたのです。この女がここにいるのはどう考えてもおかしいと。
彼女はニコリともせずに僕から195円を受け取り、バニラシェイクにストローを刺して渡してくれました。道すがらシェイクを啜って、僕は考えました。また来たら彼女に会うことができるだろうか。それともやっぱり、これは世界線のバグか何かで、そんな人は元々いなかったのだろうか。
だらだらと長い人生で、かわいい店員、美人な店員と出会ったことは数えきれないほどあります。その時に僕は、果たして声をかけたり仲良くなろうとしたりしたことがあったでしょうか。決してありませんでした。僕は、どんなにかわいくても店員なんかと仲良くなりたくはなかったのです。顔見知りとして特別扱いを受けたり、常連となって店で買い物とは無関係の会話をしたりするようなことは、僕が最も忌避する行為の一つでした。お店では匿名の、顔の無い人間として静かに買い物をし、即座に食事を済ませ、できる限り早く立ち去る。顔を覚えられてしまって店員に微笑みかけられたりしてしまったら、ため息をついて、もう二度とその店には足を運ばない。僕には他人から特別扱いを受けるような資格などないし、用もないのに長居をするような邪魔者にはなりたくない。いや、たとえなりたくともなることなんてできなかったのです。見ず知らずの人に声をかける勇気なんて、そもそもこれっぽっちも持ち合わせてはいませんでした。