どうでも良い自分語りをしてみたものの、結局のところは僕が、「道具を上手に操る」スポーツが下手くそだから嫌いであるという、実は酸っぱいブドウ的な結論なのかもしれません。

身長と同じほどもある板を足に付けたり、せっかく平らな靴の底に鋭い刃を付けたりして、自分をわざわざ不自由な状態に縛る競技が苦手。下手。楽しくない。華麗に操れる気が全くしない。

野球についても、といっても野球なんて小学生の頃の遊び以外でやったことないですが、投げるのは好きです、楽しいです。が、バットを持って打つほうについては全く自信がありません。子供の遊び的に手打ち野球だったら手のひらでパチコーンとヒット打つ自信あるんですけどねえ、バットには基本当たりません。



 

以前に書いたかもしれませんが、僕にもかつて就職活動をしていた学生時代が存在しました。同期の中では内定が出るのがわりと遅かったほうです、確かゴールデンウィーク明けまで持ち越しましたので。とかいって就職していないのはご承知のとおりですけど。

何かこう、就活が上手く行かないというか長引いていてストレスが溜まりそれを発散する自分、みたいなものを演出したかったのでしょう、僕はリクルートスーツ姿でバッティングセンターに向かいました。梅田だったかな。

ありがちな感じ。昭和ドラマの観すぎじゃないでしょうか。こんなことで欲求不満の解消はできません、というか、こんなことやっている時点で、別に大したストレスなど抱えていないことが良く分かりますよね。

 

平日昼間のバッティングセンター。上着を脱いで腕まくりし、ネクタイの先を胸ポケットにねじこんで時速120キロのケージに入りバットを構える。ブリーン!ブリーン!ブリーン!ブリーン!アホか!

当たるわけないですよ、下手くそなくせに、マンキンで振りに行ってるわけですから。

仕方がないので一番右端の60キロとかいうダサいケージにすごすごと移動しリトルリーグのような山なりの球を良い年したスーツ姿の学生が意気揚々と打ち返していきます、さすがに60キロなら当たりますよ、アホじゃないんですから。

ブリーン!ブリーン!ブリーン!ブリーン!ブチーン!ベルトの!バックル!飛んだ!どんだけ本気で振ってるんでしょうか。

 

何だかアホらしくなって、壊れたベルトをゴミ箱に捨て、時代を先取ったやや腰パン気味のズボンを手で押さえながら帰宅したのを覚えております。

 

 

バッティングセンターの話なんかどうでもいいのです、僕はシーズンスポーツのみならず、「何かを足された状態」「何かを枠にはめ込まれた状態」が苦手なのではないかということが言いたかったのです。

 

生身の身体ではなくて道具を持たされる。器具を付けられる。苦手。バカバカしいとは思いません、傍観している分には楽しい、ただ自分でやる分には全く上手くできないし、楽しくありません。

 

 

僕は弁当が嫌いです。「嫌いな食べ物:幕の内弁当」と言っていいぐらい弁当が嫌い、嫌いというか苦手です。あの小さく間仕切りされたおかずが嫌いです。息苦しく蓋をされて顔が潰れているご飯が嫌いです。区分けに失敗して横のおかずに汁が滲み出し垂れかかるのが嫌いです。寒気がします。絶対に食べたくない。それが母親の愛情弁当であったとしても、僕は愛情を食欲に変える術を知らない。母親は母親、弁当は弁当。母親は弁当ではない。僕が中高生の頃から痩せていた理由は、弁当かもしれない。

どんぶりも嫌いです。まぜごはんやおこわ、その他白米に加工を施したご飯も嫌いです。混ぜたい場合は自分でやるから、どうせやるなら別々に出してほしい。いや、出してほしいなんて物乞いのような願いは持ちません、そういう店には行かない、そういうものはできるだけ食べないというだけです。

 

ハンバーグやつくねのように、一度バラバラにして再度まとめたものが嫌いです。味に深みとか舌触りとか言われても、口の中に生ゴムがぶら下がっているだけの僕には分かりません。食べるならハンバーグと同じ大きさの肉の塊を食べます。玉ねぎを食べるかどうかは気分で決めます。一回バラバラにしてまたまとめるとか、その二工程の意味が良く分からない。

 

これは社会にアホみたいな一石を投じているわけでは全くなくて、隅っこの方で自分の好みをボソボソとしゃべっているだけですので、皆様には賛成も反対も表明して頂かなくて結構なんですが混ぜるなと。言いたい。松茸ご飯なんかいらんねん、俺は大空の下でのびのびと焼かれた松茸と、大草原に湯気を漂わせる白いご飯を食べる。騎馬民族かな?

 

 

食べ物の話がしたいわけでもなかったんです。僕が食べ物の話をしたくなることは基本的にありません。

僕、同じ物ずーっと食べてても全く平気なんです。好きなものであれば。例えばブドウを3房食べ続けるのが食事でも全く構いません。スルメを1キロなくなるまで食べ続けろと言われてもわりと平気で完遂すると思います。

 

足したり混ぜたり枠にはめたりされているものを見ているとイライラしてきます。そのまんまで味わいたいしそのまんまで楽しみたい。できれば。

足でボール蹴って走るだけ、あとは自由、という作業のほうが楽しい。板がどうとか竿がどうとかストックがどうとかバットがどうとか、本体と関係なくなればなくなるほど、本体を誰かの意志による枠にはめられればはめられるほど、僕は興味を失っていきます。まあそういうことなのかなと。

 

好みの話の流れで言えば、前にもお話をしましたように、かつての僕は一切編集なんてしたくなかったんですよ。素材に手を入れたくなかった。あるまじきことでしたけど。

そのような指向は、後天的な、大人になって仕事をする上で獲得したものだと思っていましたが、ここまでの話からすると、わりと昔からだったのかもしれません。



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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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