■■ 優しい子 ■■

 

日曜日は、風とロック神戸 LIVE福島 CARAVAN日本のトークショーにお邪魔致しました。

ご参加いただいたみなさま、誠にありがとうございました。失礼いたしました。

久しぶりにたくさんの人の前でおしゃべりをして緊張しましたが、楽しかったです。こんな小学生並みの感想要らないですか()

 



 

例えば、高齢者の孤独死とか、阪神大震災の時もたくさんありました。こんなの正確に統計とれるような類のものではないですから、発表されている以上の方が孤独のうちに亡くなったと思います。

 

地震後から34年たっても、まだ仮設に住んでいるおじいおばあはたくさんいました。ちょうど僕はその頃、配送のバイトをしていたので、毎日のように仮設住宅の中を軽トラで走ったりもしていました。長く居たい場所ではない。見下しているわけじゃなく、怖いからです。自分がこのコミュニティにとってKYな闖入者であると白い目を向けられているような感じに囚われて。

 

薄汚れた四角いプレハブの箱がズラズラと立ち並ぶ一角は、「ここは長く住む場所ではありません」という空気が沈殿していましたし、「好きで住んどるんちゃうんじゃ」という人もそりゃいる。しかし一方では多くの高齢者が、仮設を出て行きたくない、マンションになんか住みたくないと言って残ったわけですよね。ここにさえ、仮設住宅にさえ、コミュニティはあった。

 

しかし最終的には仮設は仮設でしかなくて、みんな復興住宅を始め、あちこちに散って行きました。

 

コミュニティの崩壊。そして高齢者の孤独死。

 

これらは震災があったから引き起こされた悲しい災害であるのと同時に、地震来なくてもそもそも日本てそういうふうになっていってたがな、ということでもあります。

 

 

東北だって、地震がくる前から確実に衰退していたわけで、復興とは何なのか、元に戻すことなのか、元に戻したら、また順調な衰退フェーズが再開しますけどどうしますか、という話にもなっていきます。こういう話も、個人的には大事だと思う。

 

さらに言えば、東日本人は神戸になんか興味なかったし、西日本人は東北になんか興味もなかった。それが元通りの日常です。でも、僕たちは元通りの生活に戻ることは、絶対にできない。これは良い意味でもです。

 

 

僕たちはどうしたって、新しい生き方をしていかざるをえない。

僕たちはどうしたって、新しい生を続けなければならない。

 

LIFE は、GOES ON してしまうのです。ある日ENDするまで。

 

 

亡くなった人のために生きることはできない。

亡くなった人の分まで生きることはできない。

僕たちは、生きている人のためにしか生きることができない。

生きている自分と、生きている大好きな人のためにしか、生きることが。


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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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