「ヨシヒロは相当嫌われてるでしょ」

「いやー、めっちゃくちゃ嫌われてますよ」

 

 

みたいな話を、箭内さんとしました、この前のラジオ収録で。

箭内さんは具体的な心当たりがあって発言してるんですけど、心当たりがない方でも「ああ、こいつ人から嫌われてそうだな」って何となくイメージぐらいはつくでしょうし、これをお読みになって「そうだよ、てめーウザい死ね」と実際にお思いの方もいらっしゃるでしょう。こんにちは!←こういうことやってるとそろそろ殺されそうですね。




 

もっと稼いでて、もっと偉くて、もっとリア充で、という人であれば、その過程で競争に敗れたり無視されたり、無関係であっても嫉妬ややっかみを一方的に持たれたり、嫌われるのは良くあることです。

往々にして、そういった方々は、一方では味方もいるわけで、遠吠えに何かを感じる必要が、そもそもありません。

 

それはいいんですけども、別に社会的金銭的に何らかの地位を得ているわけでは全くない僕は、なぜ嫌われるんでしょうか。嫌われたあげく、味方がいないって最悪じゃないですか。どうしたらいいんでしょうか先生。手遅れですか。

 

いや、嫌われてるほうがまだマシなんですよ本当は。相手にもされない、眼中にない、興味がない、存在を知られていない、というほうがよっぽど寂しいですよね。ウサギのように震え死にしてしまいそうです。ふざけている場合ではありません、こっちは困ってるんです。

 

 

多くの人たちの行動原理は、「好かれたい」で、それが少しズレると「嫌われたくない」の穴に入って足首を挫きます。僕はこの「嫌われたくない」を行動原理にしてる人たちを見ていると、「お前が好かれようが嫌われようが俺には関係ないんじゃ、仕事しろ」と思わず言いたくなります。言ってしまうとその方々からも嫌われるというバッドエンディングを迎えることは多々あるわけで、結果として僕がその言葉を飲み込み我慢すれば円満解決なわけですよね。

 

社会で生きていく上で嫌われるっていうのは避けたい。全員に好きとか言われるまでは望んでないけど、嫌われた結果、自分に被害や損害が及ぶのは避けたいから、「好かれる」というよりも、「嫌われないようにする」。

嫌われなきゃ、ひとまずはそれでいいわけですから、「興味を持たれない」「気づかれない」も、まあ良しとする。

イナゴの大群のような人の悪意を、身をかがめて、あるいは背を向けて、あるいは愛想笑いで、やり過ごせば良い。ふーっ、あぶないあぶない。

 

 

「みんなに好かれなくていい、私は大切な人にだけ好かれてればそれで幸せなんです」

とおっしゃる方も、もちろんいらっしゃいますけど、これの肝は「好きな人に好きと言われたい」ということであって、「みんなに好かれたい」を捨てる必要がないはずなんですよね。「みんな好かれておきたいし、好きな人にも好かれたい」というのが成立するなら、全員そっち選ぶでしょうし、現実としてそれは成立しうる。

さんざんイジメられて給湯室で泣いて家に帰ってきた結果、B案として言うセリフですよね、「みんなに好かれなくていい」というのは。A案ではない。

 

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このエントリーは、

ルマガ 山本山本佳宏『二十一世紀の未読』

本日配信分の一部を抜粋したものです。

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