アシタカ

 

ヤックル!

 

(ヤックル、こっちを振り向き近寄ってくる)

 

ヤックルよく来たな。よし、向こう行ってていいぞ。

 

(ヤックル、向こうへ行く)

 

ヤックル!

 

(ヤックル、こっちを振り向き近寄ってくる)

 

よーしいいぞ、よく来たな。じゃあ向こうで草でも食ってろ。

 

(ヤックル、向こうへ行く)

 

ヤックル!

 

(ヤックル、こっちを振り向き近寄ってくる)

 

よーしよしよし…何だよ。乗らねーよ別に。出かける用事ねーだろ。向こう行っとけ。

 

(ヤックル、こっちを振り向き近寄ってくる)

 

何だよヤックル、ダラダラ歩いてきてんじゃねーよヤックル。やり直しだよやり直し。

 

(ヤックル、向こうへ行く)

 

ヤックル!

 

(ヤックル、無視)

 

ヤックル!

 

(こっちを振り向き近寄ってくる)

(近寄ってくる)

(近寄ってくる)

 




シッタカ

 

子曰く「みんな、すぐに『知ったか』とか言うけど、どれぐらい期間を置いたら『知ったか』じゃなくなるんですか?」孔子どころか長澤まさ子ですらない長澤まさみ様はそうおっしゃった。

 

「私、高校生ぐらいのときにすごい悩んで…どっからが『知ったか』でどっからが『知ったか』じゃないのか……不思議だなって」

 

ラジオ風とロックの収録でまさみちゃんはふとそうこぼして真っ赤な空を見ただろうか。見てないです。ふとそうこぼした。

若いうちはとかくそういう場面にもぶち当たるのかもしんないけど『知ったか』は嫌われるホントに嫌われる顔面に向かって真っすぐ飛んでくる蛾ぐらい嫌われる『知ったか』の言葉の定義とかどっかに放り投げて「あ、こいつ『知ったか』」と思われた瞬間嫌われる顔面に向かって真っすぐ飛んでくる磨製石器ぐらい嫌われる。そして心は小さく縮み上がる。

 

かつて黒澤明監督が言ってたよと裏通りの情報屋がタレこんできたので小5枚を渡して追い返したんだけども黒澤監督曰く「創造とは、記憶のアレンジである」。

 

無から有は作れない。人間は知識の上でしか思考できない。記憶と記憶をいかにくっつけたりちぎったり離したりまとめたりするか。そのアレンジによって、記憶は創造へと進んでいく。

僕は永久歯が虫歯になっていく前レベルの幼いころから自分が左脳人間であることを自覚していて左脳人間はときめき☆ヒラメキっ子クラブみたいな右脳人間に対して憧れと劣等感を持っちゃってその中で黒澤監督のこの言葉は、ガキの僕にとっては超救いだった。世界のクロサワが言ってんだからそうに決まってるみたいなことで。だよねだよね左脳の回転数上げればそれがヒラメキなんだよねアキオちゃんみたいなことでアキラだよ彼。左脳人間だって虫けらだって生きてていいじゃん別に。つーか負けねーぞと。

 

人間は上からプリっとモノを入れてプリっと下に出すだけの巨大なチューブでインプットなくしてアウトプットなし。何かさープリっととか言うんだったらインプットアウトプットと韻踏んでプッととか言ってりゃいいのにさープリっとの語感のカワイさに負けたんでしょ?インプリットなくしてアウトプリットなし。そっち変えんなよ。

 

NO INPUT, NO OUTPUT.

人間は情報を外部から入力するところからスタートして外部に出力してまた入力してを繰り返すんだけども知ったか。知ったかぶる。その出力は知ったKAKA。1年黙ってれば知ったかじゃないのか。『聞いたんだけどさー…』って付けたら知ったかじゃないのか。ノースダコタに行ってUFO目撃すれば知ったかじゃないのか。朝起きたらペットの牛が内臓くりぬかれて死んでたら知ったかじゃないのか。個人的にイケスカネーから知ったか呼ばわりか。はけ口求めて知ったか呼ばわりか。何だよ自分なりの解釈って咀嚼ってって。そんなもん主観とバランスの問題でしかねーだろ。人間なんかすべからく知ったかじゃねーのか。誰かに聞いてハッとしたこと誰かに話しちゃいけねーのかよ。おい。おい。おい。おい。おい。おい。おい。おい。おい。おい。京子。おい。長澤まさみちゃんに肩入れし過ぎた結果うっかり女子レスリングに肩入れしてしまいまして申し訳ありません。

 

僕は今まで知ったかをしなかったかしら。したと思う。つーか今もしてるんじゃないかと不安になってきた。経験に裏打ちされてるとか思いながら自信満々にしゃべってる話がまさかの知ったかっていう可能性も全然あるんじゃねーのか。経験そのものがINPUTであって、話を聞くことと実際に経験することの垣根はどこにあるんだ。

 

知ったかぶったっていいんじゃね?そもそも『○○ぶる』ってことへの拒否反応が盲目的じゃね?ダメなの?○○ぶったら。

箭内道彦が提唱し続ける『クリエイティブ整形』。大事なことは外側から。大切なことは表面から。金髪も派手な服も好きな言葉も、口に出し身に纏い実践することによってどんどん自分にターボをかける。好きが大好きに変化していく。楽しい色が脳をクリエイティブに刺激する。『○○ぶる』って、その第一歩じゃねーのか。

 

 

 

カワイコぶる

 

キャハか。それはキャハなのか。僕がキャハ笑いをリアリー体験したのは学生時代のバイトで知り合った7割がたヤクザみたいなどっかの社長に連れてってもらったキャバクラのおネエちゃんたちで貧乏学生が遊び方を知ってるはずもなくて何か女子と一緒にいたら場を盛り上げなきゃいけないみたいな強迫観念にとらわれて必死で猪木がしゃべること全部忘れた時のエヘヘ笑いを教えてのモノマネを教えてキャバ嬢はキャハーめっちゃオモロイ?キャハハハ?みたいなことで営業スマイルであることに全く気付かない僕は調子乗ってさらにエヘヘ猪木を続けてキャバ嬢はキャハ嬢となってキャハハハハエヘヘヘヘヘキャハハハハエヘヘヘヘキャハハエヘヘキャハパ∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ ? / ??お前ら誰の金で飲んどる思とんじゃ――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ヤクザにすごい怒られました夜の神戸。金もらった分だけ楽しませんかいと。仕事って何かを社長に学びました。あれ以来、僕はキャハ笑いをちゃんと聞いた記憶がございませんでキャハはカワイコぶってんのか。そうか。

 

ランキングとか発表するヤツもするヤツで参加するヤツもするヤツで僕は見るヤツでgooランキングを見ました。

『なぜと思う男性の行動ランキング』というのがございまして、僕は人間は性差より個体差の方が圧倒的にデカイと思ってる派閥に所属してるけどでも見た。gooランキングっていいよね。

 

ランキングの3位”バレバレのうそをつく”ほうほう。 2位”くだらないモノにお金を使う”なるほどね。 そして栄えある第1位は………“道ばたにつばを吐く”ツバて!!!!こんだけ引っ張って1位ツバて!!!!!!!!すごいモヤモヤするわこのアンケート!!!男と女の間に横たわるのはツバの川!!!!!一級河川!!!!

そんなことどーでも良くてやっぱり5位には”ブリッコを「カワイイ」と思ってしまう”が入ってるわけでこれこれこーいうヤツっすよ求めてるのは。男だって女だってバレバレのウソばっかつくしくだらんもんに金使うしそんなもん個体差でしょ。ペッ。ザッバ――――ン。そんなにもか。ツバの川は。

「なぜかわいこぶってることを男は見抜けないのか」という女の意見も、「そんなこと分かっててあえてだまされてやってんだよ」という男の意見も同様に若干ズレてて、男の前で女がかわいこぶるのは、王道的に当たり前なんじゃないすか。男もだまされるとか見透かすとかじゃなくて、当たり前として王道的に受け入れてるんじゃないすか。同様に男が女の前で虚勢張るのも当たり前じゃないすか。その当たり前が厳然とあるからこそカウンターとして、『ありのままの私』だの『背伸びしない恋愛』だの『愛とは気がつけばそこにあーるもの?』が一定の地位を確保できるわけで。

 

男は女に媚びないで誰に媚びるのか。女は男に媚びないで誰に媚びるのか。本当の自分とやらを守ることを大義名分にして欲しいものが目の前を通過していくのを黙って見過ごすことを『素敵な男女関係』と呼びたいだけじゃね?知らないけど。ニャーニャーボイスでもクネクネでも金持ってるぜアピールも体鍛えるのも、どーやったら異性がこっちに好意を向けるのかについての原始的なチャレンジングなんじゃないですか。そーいうのが好きとか嫌いとかヤラシイとかメス猫とかオス猿とか言う以前にクリエイティブだと思いますけど。考えりゃ考えるほど複雑化してってカウンター取るの難しくなるけどさ。ペッ。ザッバ―――――――ン。

 

 

 

ロックぶる

 

箭内さんはロックじゃないし僕もロックじゃない。これ言うと箭内さんは「あんましロックじゃないって言わないで」と言うけどロックじゃなくて音楽的なことでいうとフォークの人。そしてあえて言うならば、現代の『ロックぶってる人』の代表格だと思う。

 

ラジオ風とロックはおかげさまをもちまして10月で2年目に突入しまして2年目かー何やろっかな、ってことで箭内さんにラジオ局の男子便所で言うとウンコするところ、女子便所で言うとオシッコもウンコもするところの男子便所のほうにCDとラジカセとマイクを持って1人で入っていただきましてリアルタイムトイレ収録をいたしまして。オッサンが入れ替わり立ち替わり用を足しに来る中、大音量で東京事変をトイレに響き渡らせてすげー楽しかったんですけども収録が終わって個室のドアがクイーっと開いて箭内さんはこうおっしゃいました。

「これ単にロックぶってるだけだよね。トイレから放送とか。何も破壊してないもんね」

 

そうなんす。ロックぶってるだけなんでございます。ロックというものの定義はさておいてロックのスピリットにかすりもしない上っ面のマネゴト。ロックぶってみました。

マジョリティにアンチを掲げる。何か暴れる。奇抜なカッコする。ボソボソしゃべる。むやみに威嚇する。散財する。だらしなく酒を飲む。ツバを吐く。ペッ。ザッバ――――――――ン。なんか水かさ増えてきたな一級河川。それやこれやが直接的にロックのスピリットに触れるとは思わないけども。

私事で大変恐縮してるくせに何度も書いてたりして大変恐れて縮みますが僕は全くロックではなくて音楽的なことで言ってもロックを全く通過していなくてロックとかむしろ嫌いなほうでロックとはとか考えたこともなくて尿幼児の間違えた乳幼児の火遊び程度の悪さをしてビビってるようなダサい10代を過ごしたマジメっ子なわけでそういえば箭内さんも学校をズル休みしたことがないって言ってたな。そんなやつが今ロックにまみれる理由って何だろうか。

 

この月刊風とロックは創刊号からリレーコラムofロックが掲載されてて様々なアーティストやクリエイターのみなさまが思い思いにロックを題材にコラムをお書きになってるんですけども僕の考えるロックとは『永遠の憧れ』です。僕がロックを好きじゃなかった理由はロック的なものから逃げてたわけでなぜならロックスピリットが自分の中にはないんだと思ってたから。自分にはないものを持ってる人に憧れて同じことしてみたいとか同じ服着てみたいとか同じように暴れてみたいとか壊してみるような感じってカッコイイとか、で実際に同じようにしてみて上っ面なのは脳みそのどこかで理解しつつもドキドキする。俺一瞬ロックだったかも。ちがうけどな。でもドキドキする。そういう意味で本気のロックな人には味わえないドキドキを味わえるって意味でロックぶるっていうのは素敵なことなんじゃねーかと俺思うわ。なあ母さん。母さん?母さん…母さ―――――――――――ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!こういうこと書くとすぐにマザコンなんですねとか子供たちに言われたりするんで父さ―――――――――ん!!!!!!!ファザコンなんですね。

ロックであることよりもロックぶってるほうがドキドキする。本当は向こう岸の人たちがどう思ってるのかも知らないと書けないんだけどこればっかりは向こう岸には行けないから分かんない。永遠に憧れて生きていきます。

 

 

 

クリエイティブぶる

 

ここに来て何か分かんなくなってきたんで夕暮れの河川敷でツバを吐きながら辞書を引いてみましたところ『?ぶる』とは、”いかにもそれらしい様子をする、そのように振る舞う”ってことだそうです。そうですか。そうですよね。

ここまで、『○○ぶる』っていうのはそれそのものがクリエイティブにつながるんじゃねーのかってことでブサブサ考えてみたりしましたけども、そういえば何で刃物を刺すときの擬音語って『ブサーッ』って言うんですか。アレ大好きなんですけど。方言?東京は『グサーッ』って言うのかしら。ブサーのほうがいいのにね。

クリエイティブぶる。難しいテリトリーに侵入してしまいました。ぶること自体がクリエイティブと言っときながらクリエイティブぶる。部屋に呼ぶ・もてあそぶ・よがるでおなじみの観光ガイドブック、ぶぶる。

 

どんな感じすかね。ささやくような、それでいて倍音の効いた低い声でしゃべるとか?足組んでアゴに手をやってみるとか?そんなんどーでもいいか。洒落た手帳持ち歩いてアイデアなのか白昼夢なのか良く分からんことをオープンカフェのテーブルでメモってみるとか?そんな手帳は風でドブまで飛ばされとけ。メモはメモでしかねーよ。書いただけで満足以上の誰かのアイデアメモを僕が見たことは10年で2回ぐらいしかなくて僕もアイデアメモとか頑張って持ち歩いてみたりして1年で2回なくした上になくさなかった手帳をその後1回も見ないで仕事してるしアイデアメモの実現賞味期限は2週間か長くて1カ月ぐらいだと思うしそれ過ぎたら次は10年後。ただのBB弾程度の経験談ですけど。

 

何かアイデア会議とか企画会議とかで、クリエイティブぶる人がなかなかいなくてちょっとつまんないなーとか思ってる。クリエイティブな人じゃなくてクリエイティブぶる人。黙って座ってるだけ。話を振ってもしゃべってくんない。考え中ですとか言われたりして。考え中って何。しゃべってくんないとこっちの脳みそも半分動かない。僕しゃべりにきてるのに。それぞれが黙って考えるんならさっさと解散しませんか。

アイデアが湯水のごとく湧いてくるなんてことが万人にできるわけないし僕だって当然そうで完全にカラッポの瞬間っつーか何も考えたくない瞬間なんてザラにあるけど僕はアイデアを出すために呼ばれててアイデアを出すからお金をもらっててつまりはギャラ分だけクリエイティブを期待されてて出るとか出ないとか関係なく出すしかない。何も浮かばないのは僕だって一緒。凡人なので。でも出すしかない。クリエイティブぶるしかない。

まず誰かと同意見ならものすごい勢いで同意する。彼のアイデアに…賛成です…とか言うと何お前自分の意見とかないの?みたいな空気が会議のエンジン回転数を下げるんで、ちゃんとぶっちぎりに褒める。すげーいい!!!!!もうそれしかないわ!!!!何コレかっけ―――!!!!!!

いいと思ったことを素直に褒めていくことをあんまししなくなって斜に構えてんのかと思ったら怯えてるだけだったりして、そういうのってわりと見透かされるっつーか、自分が思う評価すら評価されるんじゃないかという恐怖っつーか、こんな仕事してるのにも関わらず人に評価されることを拒絶するっつーか。アイデアを俎上に乗せることをためらうっつーか。何か愚痴っぽくなってる?すんません。でもこれが僕を取り巻く現状だったりもいたしますんで。あー…そういえば作家って名乗ったもん勝ちのフリーパス肩書きだったなーって再認識みたいな。

 

瞬発的にブチギレたアイデア出せる人なんてほとんどいないないんだけど、かと言って「いやー…なんか…まだ…フワフワとしてて……」みたいなこと言ってたってしょーがないからクリエイティブぶるしかないんです。「クリスマスで思いだしたんですけどーこの前めっちゃ面白いオッサンがいてー(笑)」クリスマス特番とは無関係だろうが何だろうが面白い話を必死に思い出してしゃべったりとか。わりとどーしようもないですけど、もはやそれでも十分。こっちのテンションはそれだけで上がるしそこからうっかり誰かが拾ってくれる可能性だってゼロじゃないしダメだとしてもオモロイ話をしてたやつって印象だけは残せるし何よりも今伝えたいことをちゃんと伝えようと頑張ってる姿はクリエイティブぶってる人として僕は認識するし全然マイナス評価じゃない。

「それはですねー、企画の構造上、2つの選択肢しかなくてですねー…」みたいな話はオッサンになって脳みそがオカラみたいになってからすりゃいいんであって。いやその一点を射抜く指摘はまさにクリエイティブそのものなのかもしれないけど正直クリエイティブぶって頑張ってるほうが楽しいんすよ。でも若手のみなさんたちはそのメガネの奥キラリみたいなのにばっか憧れてエスカレータ式にその位置に行こうとしちゃうんですよねー。メガネキラリをマネすることがクリエイティブぶることだと思ってるのかもしれないけど、そんな技術的なことマネしてつまんない上に間違ってる、みたいなわりとどーしようもない結果しか待ってないですのにね。もったいないわー。あれ言ってる当の本人、みんなが思ってるほど楽しくないすよ。僕もそろそろ「それはですねー、企画の構造上、2つの選択肢しかなくてですねー…」みたいなことを時には言わなきゃいけなくなってまいりましたけども言ってるとき全然楽しくないもん。「徹子の部屋のゲストがモナリザでしかも隠れ巨乳のことばっか徹子に聞かれるとかどーすか!いや俺これ絶対やります、絶対面白いもんこれ、絶対やる」とか言って、絶対やらない!!!!って怒られてる時のほうが100倍楽しい。

 

元々何も実績ないヤツが失うものなんて何もないのに何を守ろうとしてるんですかね彼らは。必死に抱いてる箱の中身はカラですよ。これから詰め込むんですよ大事なものを。箱開けないと何も入れられませんよ。

 

わー何か狭い話になってきたな。広告とかどーなんすかね。しっかりとクリエイティブぶれる人がたくさんいるのかしら。

 

 

 

『ぶる』からの矢印

 

なんで『○○ぶる』に魅力を感じるのか。なんで『ぶってる』ことこそがクリエイティブへの道だと思うのか。

それは矛盾力にもつながるチカラなんだとは思う。なりたい自分と、現状の自分。その2つが1つになることは永遠になくて、その距離を毎日変えながらずーっと矛盾は存在してる。矛盾こそが人生だと思うし、なりたい自分へ向かう矢印の力で僕らは動いてるとも思う。それこそが『○○ぶる』なんじゃねーかなーと。ぶることでスタートすることがたくさんある。それが1個。

あともう1個あるとすれば、やっぱぶってみるのって自分に対してもそうなんだろうけど他人とか世の中にたいしての発信なんじゃねーかなーと。「俺はこんな風になりてーんだ」「私はこんな風に思ってんだ」っていう。それをアザトイとかダセーとかチセツとかでシャットアウトすることは簡単だけど自分の思いを必死で伝えようとしてる姿を誰かが確認したってことは第一陣は伝わってるってことだと思うし、それはメッセージとしてはすごく大事だと。

 

僕は大人ぶってきたし賢ぶってきたし才能あるぶってきたし知ったかぶってきたし一方ではそれが不安でもあった。なぜならその姿が現実の姿とは違うことは自分で分かってたから。背伸びすることが現状肯定で立ちつくすことよりもまだマシなんじゃないかと思ってたから。ありのままの自分っつーのは、『○○になりたくて○○ぶってる自分』っていうのもちゃんと込みにしとかないと、むしろ大事な自分の一部を切り落としちゃうんで。