得意なこと
があったことー。 今じゃもー忘れてるのはー。これ以上垂れて流すとお金取られそうなんで紅潮した頬をピカピカに膨らませながら喘ぎながらやめときますけども膨らませながら喘げんのかお前。喘げんのかっつってんの。絶対に熱いうどん冷ますみたいな感じにしかなんないんでしょ?フォフォフフーフォフォフフルーそれで喘いでるつもりなのかっつってんの。絶対アンタなんかよりアタシのほうが上手に喘げるんだからフフォフルルーフォフフルフー一緒!!!!!!!!大体!!!!!!!!
BUMP OF CHICKENの『才悩人応援歌』という曲がありましてすごくいい歌なんですけど歌詞書くとお金取られそうなんで歌詞の内容をランニングワイルドでまとめてみますと、
・得意だと思ってたことが他の人のほうが得意だったっす。
・平凡だからこそ苦しいんす。
・はいはい。あんたらからしたら頑張ってないみたいに見えるんでしょ。
・期待されるような命じゃないから消えてもいいでしょ。
・でも正直消えたくないっす。
才悩人。才に悩む人。幼児性の万能感は社会に触れるごとに喪失していってなんでもかんでも自分が1番じゃないってことをイヤというほど突きつけられて僕らは大人になっていくんだけど最近のオッサンが分析したところによると最近の若者は甘やかされて万能感を保持したまま思春期を迎えてしまって自分が1番じゃないことを免疫のない目ん玉におもっくそグリグリ見せつけられてプチ鬱?みたいな?そんなことになってるらしいですWA。そんな分析はどーでもいいんだけどBUMPのこの曲は時代の川の流れを高みから傍観してキレイに歌いあげたりせずに自分で飛び込んでってる気がして好きでした。orbital
periodっていうアルバムに入ってる曲なんだけどもアルバムの中で1番好きな歌だったんだけども今は違います。
アルバムがリリースされた直後にとある10代の男子が何を思ったのか僕に向かってキラキラとしたまっすぐな目で「この曲ってまさに先生のためにあるような曲ですね」どこがじゃコラアアアアアアアアアアどういう意味じゃコラアアアアアアアアアア誰が才能なくて悩んどんじゃおんどれボゲエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!!!!!!!!!!!!!相手が年端も行かぬ虞犯少年であることを忘れてすっかりメートルが上がり切ってしまった的な勝手な理由で僕は『才悩人応援歌』が一方的に好きじゃなくなってしまいましてBUMPのみんなゴメンナサイ読めばお分かりの通り一切気にしていただかなくて結構な感じの理由ですんが何で僕はこんなにも怒ったのかしら。図星を突かれて猛り狂ったのかしら。可愛いだけじゃダメかしら。
不遜を承知で言うと僕は確かに才能についてここ数年悩んでいてそれは前述のアホ男子のご指摘とは逆噴射で、自分で自分にあると思ってる才能をどうやって捨てたらいいんだろと思っててそれぐらい自分にとって才能って存在が邪魔だった。
小さいしマイナーだし世間の人にとっては取るに足らないノイズでしかないんだけど僕は仕事を積み重ねてきて僕のことをキライな人はたくさんいるけど多分才能があると思われていて自分でも才能があると思っていて思えば思うほど不安が増大した。本当は才能がないんじゃないかという不安。才能だと思っている何らかのものがある日消滅してしまうんじゃないかという不安。
自分にはないと思えばツライ。あると思えば不安。才能って何なの。邪魔じゃね?イヤなことばっかじゃん。アホじゃないの?
広告が作りたい。音楽をやりたい。でも自分には才能が多分ない。センスがない。相手にされないかもしれない。ダサいとか言われるかもしれない。じゃあ何がしたいのと聞かれたら上手に答えられないかもしれない。才能がないという劣化ウラン弾はいつまでも腸に流れず胃液の中にズッショリと浮いたままで胃が重くてナンバ走りを活用しても重心が前に移動しなくて不安っつーか絶望っつーか立ち尽くし。不安を抱えて憧れて。
才能は枯渇するか?
ンカッ…コカツ!!!!口の中から水分がすべて奪われようと我は何度でも言うカハッ!!!…えっと、コケシと!!!!!!!!忘れとるがな。枯渇ってホントにカサカサしたワードですよねコッカッツッ。Say!コッカッツッ!!!!(コッカッツッ!!)
日本を代表する放送作家であり同郷の人であり40代半ばにして剥きたてゆでたまご先生のような24時間風呂上がりのような素晴らしい顔のツヤをお持ちでいらっしゃる高須光聖さんをラジオ風とロックのゲストにお招きいたしましてお話をうかがいまして。高須さんがその時話してくれた『才能』の話が僕の脳みそに似た粘土に水を注いでネッチョリしてきた――――これは紙粘土ではなく汚い色でおなじみの油粘土!!!!!水かけたあの感じ大嫌い!!!!!!!!高須さんは油粘土ではなく紙粘土に水を注いでくれて、あの日から才能について考え始めたわけだけども。
高須さんは、すごい才能の持ち主だと感じた人たちが、『才能』というものとどんな風に向き合ってるのかに興味を持って「才能って枯渇しますか?」と聞いて回ったらしい。「俺って才能ある」と一瞬でも思った人は、その瞬間から一方で不安を抱えて生きてかなきゃいけない。「この『才能ある』は永遠に続くのか」っていう不安。
高須さんが聞いて回った結果を超人硬度9のサファイヤ(ロビンマスク)並みのガチンコで引用。キン肉マン29周年おめでとうございます!
【北野武さんと才能】
たけしさんはかつて、テレビ番組の収録中、誰かにツッコミをしようとして、「アレほら…お前アレだよ、あれなんだっけ」ってなってその瞬間、「あーもう笑いはできない。ここでこのスピードの中でキメの一言が出ないなら笑いはできない。だったら、速度を自分で編集しながら操作できる映画に行こう」と思ったらしい。
【坂本龍一さんと才能】
(高)「教授、才能って枯渇しまs…」
(坂)「しないよ(食い気味)」
【糸井重里さんと才能】
昔の糸井さんは、自分のアイデアが石ころなのかダイヤなのか分からずにとにかく磨いて道端に並べてた。今は、アイデアの数はそこまで出せないかもしれないけど、ダイヤモンドをダイヤモンドと分かって、それをデパートの1番良いショーケースに陳列して見せることができる。それが才能の枯渇についての糸井さんの話。
【立川談志さんと才能】
(立)「枯渇はしない。アイデアも出てくる。変わるのは、集中力。作品をピーンと尖らせるまでの全身の集中が持たなくなっていく」
【箭内道彦さんと才能】
(箭)「僕は、才能は枯渇しないと思ってます。自分の中に才能はない。目の前にあるモノだったり出会う人だったりが才能で、それは常に更新されていく。目の前の奇跡や才能が現れる間は、いつまでも遊んでいられる。そういう人たちと一緒に何かをすることによって、コレ考えたの自分かも、みたいな、脳みそごちゃ混ぜな思い込みをしてる。新しい1日があり、新しい人と会い続ける限り、枯渇しない」
自分に才能はあると思うか?
すでに社会的に成功したいかにも才能ありそうで周りからも「才能ありますよね」って言われてる人たちの話を聞いたって全然響かない。私の心はイシイのミートボールのよう。あ、ミートボールかと思って食べたらばくだん岩でした。硬いよねばくだん岩。響かない。いいよね才能あるっぽい人は。そんなうら若き悩みをおかかかかか抱えなご様子の一般の人たちにも敢えて聞いてみた。聞かれたくない質問だと思うけど。あなた自分に才能あると思いますか。
【Aくん 22歳 大学生 男 放送作家見習い3年目】
放送作家見習いとか1番自分の才能を抱き枕にして眠れぬ夜を悶々と過ごしてそうな人種ですね。そもそも放送作家みたいな職業はみんなが「自分が1番面白い」とか1人で思ってるような気持ち悪いヤツの集合体ですから余計にそうなんだけども。
「Aくん、自分に才能あると思いますか?」
「んー…」
「自分に作家としての才能あると思う?」
「作家として才能あるかどうかを考えるのは、時期的にまだ早いんじゃないかと思ってます」
「じゃあ、作家としてじゃなくて。自分にはどんな才能があると思う?」
「コミュニケーション能力は、ありますね。自信あります」
何。まだ22歳のくせに超具体的で落ち着いてる。僕の22歳と比べ物にならん。
Aくんは幼稚園のころから両親に英才教育を受け、塾にも通った。親戚には子供がおらず大人に囲まれて育ったAくんは知らず知らずのうちに大人を観察し、しゃべってるニュアンスを理解し、大人が望む空気を敏感に察知するようになった。大人に気に入られるような行動をとり続けた結果、差し出されるお菓子を断ることができず結果として現在150kgオーバーの超デブになってしまったが、その大人の空気読み能力を生かして、Aくんは小4で、小学校すべてを掌握した、と豪語した。
「何、掌握って。マンガ?」
「頭もよかったんで、先生に好かれて、生徒会を事実上掌握しました。小5で生徒会長です」
「すげー…でもそういうのって友達からは嫌がられたりしねーの?」
「いや、そっちに関しても上手に付き合ってたんで」
「コミュニケーション能力ってさー…具体的には何なわけ?フワッとしてるけど」
「今は、分かりやすいところでいうと、外見太ってるのを生かしてます。どれだけ早く、イジって遊んでいいデブだってことをアピールできるかってことですね。自ら自虐ネタを振ってみたりとか」
「傷つかない?」
「傷つかないすね」
頭のいいAくんがどれくらい頭のいいAくんなのかというと中学受験で日本一偏差値高い私立中学に入ったぐらい頭がいい。そしてそのからの判断も含めて頭がいい。
「学校入ってすぐに分かりました。自分なんかより完全に頭いい、キチガイみたいな天才ばっかりだったんで」
「まあ日本一勉強できる子供たちが集まるわけだしなー…」
「英語なんかもはや勉強する必要ないとか言って授業中にフランス語の内職してたり」
「中学生で?狂ってんなー」
「だから勉強できるとかできないとかはとっくに捨てました」
Aくんは自分の大人とのコミュニケーション能力にすべてを注ぎ、またも先生を抱き込んでいった。ただベッタリするんじゃなく、「こういう大人にはなりたくないなー」とか冷静な判断をしながら。そして彼は、その学校の偏差値からすると想像もできないような私大に入り、作家見習いをスタートした。
「作家って、ある種自分の才能と向き合わないとやってけないというか始められない職業かなーとも思うんだけど。何で作家やってみようと思った?」
「高校の頃から、自分でコントのネタ書いて文化祭の出し物とかで人にやらせるの好きだったんです。で、作家講座とか受けてみて今に至るんですけど…作家の才能があるかどうかは、今は分かりません。でも、やっててツライことを全くツライと思わないし、そう思えるってことは天職なんじゃないかと」
「天職!すげーワード出たなー…じゃあ、コミュニケーション能力の才能を仕事に生かしたりはしてんの?」
「たとえば同い年ぐらいの見習いが他にもいたとしたら…先に、大人と仲良くなるように手を打ちます。才能とかじゃなくて、そのほうが結果として今、僕のほうが仕事をもらえてるんで」
「お前頭いいなー…」
「だから、デブが嫌いです。キャラかぶるんで」
【Bさん 20歳 大学生 女】
どうやら放送業界に興味があるとのことでちょこちょこ雑用バイトみたいなことをし始めた女子がいたんで、あ、わりとこの雑誌読んでる人と近いかなーと思って話を聞いてみた。
「Bちゃん、才能について聞きたいんだけど…」
「んー…私、才能っていうもの自体が、そもそもこの世に存在しないんじゃないかと思ってて…」
超超超!めんどくせー!超超超超めんどくせー!
「…うん。それで?」
「結局、才能なんて他人があってこその言葉で、みんな才能という言葉に踊らされて、埋没しちゃってるんじゃないかと思ってます」
才能レボリューション21ー♪ 語呂悪かった歌わなきゃよかった。
「じゃあ、才能なんてないなら、そこにあるのは何なのかな」
「自信に代わる何か…すべて経験によるものじゃないですかね」
中学高校時代。Bちゃんにとってはすべてが他人との勝ち負けで、成績でもそうだし外見もそうだった。「あいつは私よりブス」。つまり才能に関してもそうだったんだろう。そんなとき学校に太った女子が転校してきた。Bさんは、太ってて自己管理ができなくてダラシねー女だなと思った。バカにした。イジメた。初めて1対1で話したら、完全に人生観変えられた。間違ってることは間違ってると芯持って言える子だった。何か目が覚めた。
「私、父に虐待受けてたんです」
「え、はい」
「で高校のときはそれが理由で、親と離れて生活してたんですけど、高2の時に父が自殺しました」
「はい」
「事情で、5月25日から私の学費が払えません、ってことになったんですけど、その直前に自殺して。自分って何だろう、と思いました。才能とかそんなのどころか自分ってホントになんでもないんじゃないかと」
そんな事があって家で涙に暮れているBちゃんの元に学校の校長から電話があって、泣いてる暇があったら勉強しろと言われこいつ最低だなと思って。自分って何者でもないんじゃないか。
「自分って何者でもない、ってことは、自分が何かを思わないと何も始まらない、というか、自分が思うことですべてが始まるなーと思いました」
哲学の森ですね。もはや。茶化す気にもならんけど。
「じゃあ、何でこういう業界に興味持ったの?」
「私、お菓子作りが好きでレシピを書くのが大好きなんです」
「…はい」
「頭の中で食べてる人の顔を想像したりするのが好きです」
「それとこういう業界に何か関係あんの?パティシエとかじゃなくて」
「物体そのものじゃなくて、相手に何かを通じて伝えることも、モノづくりなんじゃないかと思って。きっかけがあったんですけど、サントリーウィスキーの響のラジオCM聴いて、ゾクゾクしました」
「あー…すごい賞いっぱい獲ったヤツだ」
「自分だけの世界に閉じこもることが多かったんですけど、こういうモノづくりもあるのかーと思って、視野を広げるために大学に入りました」
才能があるとかないとか、それ以前の、何か人間の根源的な心の動きに触れた気がしてこんな連載に載せるような話でもないんじゃないかとも思ったけど書いてみた。僕の見てない世界をBちゃんは見てて、Bちゃんは僕の見てきた世界を見ていない。ただそれだけのことだけど。
【Cさん 26歳 女 放送作家】
あー…この人ね。26歳です。大学出て作家として仕事を始めて結構たってます。僕は何度か直接、「お前、こういう仕事に向いてないから間に合わなくなる前に違う仕事探したほうがいい」と言ったことがあります。本人的にも、毎日きっとその迷いの中で生きてると思います。そんな女の子です。
「自分に才能あると思う?」
「ゼロだと思います」
「だよねー。特技って何すか?」
「何もないです。特技はナシです」
「だよねー。なのに何で作家になった」
「やりたいことが、このメディアの中で1番実現できると思ったからです」
「やりたいことあったんだ。一切聞いたことないけど」
学生時代、Cさんの友達には、みんなやりたいことがあった。特技があった。花が好き、洋服が好き、映画が好き…自分には好きなものすらない。だから普通にOLになって働こうと思った。稼がなくちゃ生きていけないから。就職活動をした。「志望動機は何ですか?」「自己PRがあったら教えてください」何も答えられなかった。だって、そんなもんないから。就職して金を稼ぐためには、まず何をしたいかを考えないといけない。ゴールから考える。職種を考えるのはやめた。自分がどうしたいかを考える。
「で?何で作家になったの」
「作家というか、私はラジオなんですけど。1対1が1対100のコミュニケーションであるってとこに魅力を感じて…」
「わー全然響かない。やっぱ作家向いてないなお前」
「…ラジオだと思ったんですけど、思った時には、ラジオ局の募集は終わってたんです。あー社員にはなれないなーと思って」
「なれないすね」
「で、そのとき、たまたま行った飲み会に業界の人がいて、何かしゃべんなきゃと思ってとりあえず『ラジオ作りたい』って口走ったんです。そしたら『作りたいって、具体的には何になりたいの』って言われたんで、とりあえず思いつくまま『作家』って言いました。そしたらすぐに制作会社を紹介してもらえたんで、あ、これは運命だと勝手に思って」
「へー…決まるまでは早かったんだなー」
「ラジオだ、と思ってから事務所が決まるまで1カ月もたってないんです。これは運命だと思いました」
「運命って言葉に乗っかって、ここまで流れ着いてしまったわけですな」
「とりあえず3年間全力でやったら、向いてるか向いてないか分かるんじゃないか、それまでは何も考えずやってみようと思ってます」
「あなたもうすぐ3年たつっしょ。とりあえず3年、が終わりに向かってますよ。答え出たの?」
「自分には才能がないことは分かってるし、すごく才能がある人は世の中にいるってことも分かりました。でも、
才能あるかないかは、いろんなことに対して、あんまり関係ないのかなーとも思ってます」
「へー…そういう答えですか」
「才能とは他人が決めることで、自分が決めることは、好きなこと、だと思います」
「で、好きなことって何?」
「…………」
「決まってねーのかよ…」
渦中ですね渦中。ある意味すげーと思う。尊敬する。僕は自分に才能があると信じ込むことでしかここにいる存在意義を見いだせなかったし、何もできないやつはここにいちゃダメなんだと思って自分を追い込んで仕事してきたんで、新鮮だった。何もできないけど、いていいんだ、と思えるメンタルがうらやましい。ある意味、僕よりも進んだステージにいる。
才能とは
「天才ってのは、自分を信じる、自分の力を信じるってことなんだ」と、ゴーリキーは『どん底』の中で言っておりましていかにも名言臭いですけどまあそういうことなんじゃねーかなーと最近思いまして。僕らは天才じゃない。天才じゃないと自分で思った時点で天才じゃない。がんばったって天才を演じる凡人にしかなれない。疲れるだけ。若い凡人には途方もなく長い人生が待っていて目まいがする。
伝説的建築家、フランク=ロイド=ライトが最高の仕事をしたと言われるのは、70歳になってから。ヒッチコックがようやく軌道に乗り始めたころには60になってた。ベートーベンが第九を作ったのは50代。当たり前のことだけど、才能と実績も、何の関係もない。才能があるある大事典と呼ばれたいだけなのか、何かを残して刻んで結果を残したいのか、望むのはどっちなんだってことで。
Cさんが言うように、才能って言葉は、他人が自分を計るための物差しで、自分で自分を計るもんじゃない。自分が何を好きで、何をやりたいのか。自分を計る物差しは、それしかない。
映像編集技術に、限界はある。CMディレクション能力にも限界はある。届かないかもしれないけど、目指すその先に限界があるのは分かってる。でも、何かを誰かを好きだって気持ちにだけは限界がない。限界が来たら心臓が破裂して死ぬだけだから気にする必要がない。
何かを誰にも負けないぐらい好きになる才能だけは、誰にだって育てて伸ばすことができる。誰にだって平等に伸ばすことができるものじゃないと意味がない。