15の夜

 

「15の夜!」

「ビクッ!」

「15のゴールデンウィークの夜!!」

「ビクビクッ!!」

「15のゴールデンウィークに誰も遊ぶ相手がいなかった夜!!!」

「ビクビクビクッ!!!」

「15のゴールデンウィークに誰か誘ってくんないかなーとかヌルいコト考えてたら周りはどんどんデートしたり遊園地遊びに行ったりしてた夜!!!!」

「ビクビクビクッビクッ!!!!」

「15のゴールデンウィークに誰も遊ぶ相手がいなくて結局家で三国志やってた夜!!!!!」

「…ふぅ…」

「いつ射精するタイミングあった!!!!15のゴールデンウィークに誰も遊ぶ相手がいなくて結局家で三国志やってて孔明を登用したくて君主が自ら赴いたら袁術とかに捕まって首落とされて程普が君主になってスーファミの電源切った夜―-------―――――!!!!!!!」

「さよなら孫策――――――――――――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

三国志を知らない人はすいませんでしたと思う僕と三国志ぐらい知っとけよと思う劉備とそんな15歳のゴールデンウィークの夜を過ごした曹操が覇権を争うストーリー。正確には14歳だったかしら。とにかく中3。

 




人生中3で終了説

 

15の夜も15の昼も僕にとっては糖衣糖衣過去のタンスの棚にしまわれているつもりになっていて大人を気取って子供の心を持つ大人を気取って体は衰えて心は腐ったままで生きてきましたけども。♪心は腐ったまーまーで?。青春パンクかお前は。自分は腐ってるとか自分は弱いとか自分はダメ人間とかそういう自己PR聞き飽きたわもう。

15歳の記憶は中3の記憶は完全にアーカイブ化されてハードディスクの奥のほうにしまわれているもんだと思ってたけども、箭内道彦曰く、

「人生は中3で終了」

 

中3までに見たもの聴いたもの感じたものを、人はずっと引きずって生きていく。

時には証明しようとし、時にはなぞり、時には否定し、時には逃げ回って、生きていく。

15歳以降の人生は、長大なアンコールである。

 

箭内さんはそう言い続けている。中3に何を考え何を吸収したかがその後の人生の軸。逃げるという意味においても。そう言い続けてる。なので自分の中3をジジイが伸ばした小指の爪で耳クソほじくり出すようなニュアンスでほじくり出してみたよ。ちょっと血が出たよ。大人になると出血するのは予想を超える倍率でヘコむもんでこの前仕事中に鼻血が止まらなくなって死ぬんじゃないか俺と思いながら手とか血まみれでティッシュを探したらティッシュがなくて仕方なく近くにたまたまあった紙ナプキンを首元に突っ込んで垂らすように鼻に突っ込んで垂らしてみたら紙ナプキンが藁半紙クラスのゴワッゴワペーパーでヒリッヒリしたんだけど中3の時は何にもしてなくても鼻血がドバッドバ出たよ。

 

思春期のせいなのか別のせいなのかは分からないけど僕は対人恐怖症でそれをごまかすために近づくとケガするぜみたいなオーラを出してみたりしてた。ロクに友達もできないし彼女なんてできるわけないしだって女子としゃべるのとか超緊張したし。そんな何者でもない中3の僕は何をしてたのか。何を考えて何を吸収してたのか。ずーっと忘れてたしほっとんど思い出せないけど思い出せないってことはきっとどーでもいいことで、唯一思い出せることと言ったらダウンタウン。恥ずかしいわーこれ。最近あっちこっちで言ってる気がするけどずーっと隠してたのに。

隠して逃げて。僕の15歳以降のアンコール人生はそれだった。僕の中学3年間はダウンタウン一色だった。出てるテレビも全部観てラジオも全部録音してダウンタウンの全てを吸収しようとしてこんな面白いもんが世の中にあるのかと思って僕と同世代っ子、特に関西人は大なり中なり小なりそうなんだろうけどもそう思ったし中3のときのことで覚えてることと言ったらそれぐらいしかない。恥ずかしいわーこれ。結局こういう仕事を始める根っこの動機はダウンタウン的なものを作りたいダウンタウン的なことをしたいってところだったのにも関わらず仕事を始めた瞬間ダウンタウンから逃げるように仕事をして近づきたいとは1度も思わなくて一緒に仕事をしたいとは1度も思わなくて同じところにいったら自分は彼らを超えられないような気がして違う場所で違うやり方をしないと超えられないような気がして逃げて逃げて逃げ続けて彼らのいない場所やってないことを探し続ける10年間だった。中学3年から続く長大なアンコール。またはカーテンコール。またはカコナール。カコナールのカコって葛根湯のカコだってことを最近知って何かすっげー裏切られた気がして薄曇りの空に向かって叫んだ「だったらカッコンナールだろーが―――――――――――――――――――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

確かに僕の人生は中3で終了してた気がする。何だ。あの頃から結果何にも変わってないんじゃん。だとしたらその長大なアンコールは無視してまさに今15歳まさに今中3のヤツはすげーフレッシュなクリエイティブを秘めてるんじゃないかしら。

 



U-15

 

ロリコンも糞もなく人間の男は一定の年齢以降基本的に若干ロリコンなんだけどそれにしたって日本は世界に冠たるロリコン大国でU-15とか言って中学生がタコ糸みたいなビキニでケツ丸出しのDVDが普通に流通したりして9歳とかあんのか!!!!!!!今ネット見たら!!!!!9歳がタコ糸ビキニ着てマンスジ晒してオッサンがチンスジいじるか!!!!!!チンスジをいじるな!!!!!!すげーな日本!!!!!すげーな日本!!!!!あの15歳の女子たちは女優になりたいとかテレビに出たいとか言ってオーディション受けに来て女優になりたいならこういう水着の仕事もこなしてかなきゃダメとかオッサンに言われたらダー(ロシア語)としか言いようがないわけでニェット(ロシア語)とは言えないわけで。15歳の記憶がタコ糸ビキニきてケツ振る毎日だとしたら彼女たちのその後のアンコール人生はどうなっていくんだろうか。そのまま水着を着てローションまみれでケツを振り続ける人生もあるかもしれない。男に肌を見せるのがイヤになってジーパンしかはけない女になるかもしんない。究極のトロみを見つけたくてローション職人になるのかもしれない。間違いなくU-15アイドルたちはカメラ構えたオッサンに囲まれてケツを振ったあの日で人生を終了している。箭内さんによればそういうことになっている。でも「ガキがあんな仕事やっちゃって人生終わってんなオッサンにヤリ捨てられるに決まってる」の人生終わってるとはちょっとっていうか全然違う。

 

 


やないとあんべ

 

2月末。箭内さんからメールが届いた。

--------------------

リスナーや、

自分以外にとってはまったく

間違いなくどうでもいいんですが

1.

あんべ光俊さん

2.

山梨りょう(変換不能:金へんに社員寮の寮のうかんむり抜き)平さんに

それぞれラジオでお会いしたく。

もし可能であれば月曜の次の収録で動いてもらえます?

まずあんべさんから。

NO AMBE,NO YANAI.

であることは間違いないので。

ちなみに3.は松山千春さん

4.は吉田拓郎さん

:天使

5.松本隆さん6.筒美京平さん

--------------------

 

KORAKORAKORADEKAIDEKAIDEKAI3ぐらいから話がむやみにデカくなってる――――――――――!!!!!!!!!だいたい松本隆さんとかホントに来たところで箭内さん絶対緊張して何にも話せないでしょーが。何このオトナとは思えないメール。酔っ払っとんのか。酔っ払ってました。

 

なぜ、箭内道彦は、あんべ光俊さんに会おうと思ったのか。

 

岩手県釜石市出身。宮城県仙台市在住。大学在学中に四人組のグループ『飛行船』としてデビュー。解散後、1978年に"風は知っている"でソロデビュー。

あんべ光俊さん。その名前、その姿、その歌に、箭内さんは、15歳の自分を見ている。箭内少年の中学の卒業アルバムには、卒業式の日に偶然福島県郡山市の道で見かけて駆け寄った、憧れのあんべ光俊のサインが刻まれてる。

箭内さんにとっての15歳の記憶は、あんべさんであり、ある瞬間の箭内少年にとっては、あんべさんの存在が全てだった。

あんべさんがいたから、今の箭内さんがある。あんべさんの歌があったから、風とロックがある。

今、箭内さんのCMを見ている人たち、トップランナーで箭内さんを見ている人たち。ラジオを聴いている人たち。今、この月刊風とロックを読んでいる人たち。

あなたたちは箭内道彦を通じて、きっと存在さえも知らなかったであろうあんべ光俊を今見ている。

 

今やU-15は結構なパーセンティッジでバコバコ共和国なんだろうけど僕の中3の頃にちゃんとセックスしてたやつは今よりは少なかったし中3の箭内少年も何が恋で何が愛で女子と付き合うって何ですかデートって何するんですかセックスと付き合うは何か違うんですかオナニーは毎日してますけどもみたいな感じだったはずで買ったばかりのスポンジのような存在の箭内スポンジは、あんべさんの、あまりにも達観した、あまりにもオトナっぽい、あまりにも風に吹かれた恋の歌詞を意味も分からずどんどん吸収するしかなかった。何だこの歌詞。意味が全く分からん。分からんけど何かカッコよすぎてドキドキするから全部正解なハズだから全部正解として100%吸収するんだけども分からんけども正解としてゴールとしてそっちに向かって走っていくしかにゃい。

 

あなたにとっては聞いたこともない名前かもしれない。

有名人大好きな10代、20代の人たちにとっては、得意の「…誰。」かもしれない。

しかし、それは箭内さんがみなさんに伝える『広告』として、

無意識のうちに、受け取っている記憶。体験。

 

箭内さんはあんべさんに会うことにした。

15歳の自分。『人生が終わった』瞬間の自分と向き合うことにした。

中学の卒業アルバムに、あんべさんのサインをもらったあの時の自分に。

 

スタジオで箭内さんは、あんべさんに歌ってくださいと子供のような無邪気さでリクエストし続けた。

あんべさんよりも歌詞を覚えていた。あの日のコンサートの天気まで覚えていた。

 

あんべさんの歌詞や曲タイトルに『風』がたくさん使われていることに気づいた。

何で自分が『風』という言葉を好きなのか、今まではボンヤリとしていた。

15歳に戻った箭内少年は再確認した。

「俺はあんべさんが好きだから"風"が好きなんだ」

 

風とロックの『風』は、あんべさんから吹き始めた『風』だった。

 

箭内さんの少年のような質問を、フワフワとかわすあんべさんは、風のようだった。

 

まだ恋も知らない中学生は、あんべさんが風のように歌う大人の恋の歌を聴き、

それがどういう意味なのか、どういうことなのかを探り続け、なぞろうと努力し続け、30年がたった。

 

 

あんべさんは、箭内さんが勝手に作った番組エンディングテーマ"YOU DON'T KNOW"を歌ってくれて、風のように仙台へ帰っていった。

4月20日、ソロデビュー30周年記念のスペシャルコンサートを、東京国際フォーラムでやると言い残して、

絶対行きますと言う箭内さんを置いて、帰って行った。

 

 

スタジオに残された箭内さんは、じっと考えていた。

「俺さー…あんべさんに会いたかったのかどうか、良くわかんなくなってきた」

 

失礼かもしれない。でも、僕にはすごく分かる。

 

原点に回帰すること。憧れの人に会うこと。それは人生のゴールでもなんでもない。

好きだと伝えることは、ゴールではなく、スタートである。

広告はゴールではなく、スタートである。

 

その瞬間は必ずやってきて、そして人生はまだ続く。分かんない。明日には死ぬかもしれない。

でもその瞬間には、僕たちは死なない。死ねないよ。そんな時に。

 

15歳の自分には、いつか必ず、真正面から出会ってしまう。

それが良いことなのか悪いことなのかは別にして。

何度でも出会って、何度でも人生は再スタートする。

 

みなさんの大半は、自分の中学3年生に関しては、無関心だったかもしれない。

「中3に何やってたかとか覚えてないよー」が正直な感想かもしれない。

 

それでも箭内さんは問いかける。

あなたの中の、『中学3年生』は、どんな子ですか、と。

 

 

イェーイ。いかにもイイ感じっぽく文章書いたったー。どうどうどうどうどうですけ?語尾がさっきからSOMETIMESイラつく!!!!!

 

 

 

Chu-san Now ?そして伝説へ?

 

中3で人生が終了するってことはですよ?今中3のヤツの今この瞬間さえ切り取ればそいつの今後の人生はたいてい予測できるわけでですよ?だったらば今の中3がゴウゴウとひしめき合ってるあそこに行けばですよ?あっちゅー間に中3のナマの生態を知ることが出来るわけですけどよ?何と6月号締め切りのお時間でですよ?何と続きはラジオ風とロックブログにて配布と同時に更新ってことでですよ?

よろしくお願いしますhttp://blog.magabon.jp/radio/。