ATフィールド

 

ぎゅ――――――おるるるるるるるるぅぅぅぅああああああああああああ――――――おぅらカカトがめっちゃ痛い―――――――――――――――――!!!!!!!!!

ブーツが脱ぎづらい季節も終わりまして街にはメキシコシティ並みにマスクマンがウロつく春なのにお互い不機嫌そうにすれ違うだけで誰も組み合おうとはしなくて毎日街角で組み合ってるメキシコ人をもっと見習えそして花粉と同じだけ飛べそして舞え牙を抜かれた白い恋人マンたちよ!!!!!!!!

キン肉マンと白い恋人を試験的に混ぜたらキケンだと分かった。そんな春。

最近ではすっかりユル目になってしまったけど僕は基本的にブカブカする服や靴が嫌いでどっちかっつーとグリグリグリーっとブーツのヒモ締め上げて脱ぐのに一苦労したり体にピターっとくっつく服が1枚入ってないと不安でファンファンで不安でファンファンでしょーがないって時期が結構長く続いた。それは何。包帯クラブ。そんなイイもんじゃねーよ。締め付けがあると安心した。それ以上の理由は全く分かんなかったけど今なら分かる気がしてる。っつーか何かの本を読んで分かった気がした。本の名前はまた忘れた。

 

ATフィールドってことさ、いかりや長介くん。

 

自分と世界との境界線。自我。自分を世界から守るための壁。その輪郭作り。

 

例えば激しい運動をすると、汗をかいて蒸発して気化熱が奪われて皮膚がKi/oonと収縮する。体の表面の緊張が高まる。自分の輪郭を意識する。

例えば激しい運動すると背筋だの裏モモだの普段使わないし気にしたこともないような筋肉が張る。自分の輪郭を意識する。

 

見つかりました鷲田清一さんっていう大阪大学の一番エライ人が書いてた話です。

 

例えば酒を飲むと血がグワーッと巡って皮膚の表面を走り抜けるような感覚がある。自分の輪郭を意識する。

女子と裸で抱き合う。興奮して血が海綿体と海綿体以外を巡って皮膚が赤く火照る。自分の輪郭を意識する。

子供があぐらをかいてるオヤジの膝の間に体を潜りこませる。押入れに入ったり小さい穴を見つけて入ったりして遊ぶ。自分の輪郭を意識する。っつーか求める。

輪郭が欲しくて輪郭は自分が世界とは違うと確かめるもので自分が自分であるためのもので自分を攻撃するものから自分を守る囲いで、そんな確認がしたくて僕たちは服を着ます。

こすれるでしょ?皮膚と?縛るでしょ?靴ヒモで?目じゃ確認できない部分も?服が刺激して?脳内のイメージだけじゃ?不安な自分のカタチを?再確認できて安心する?ための服?みたいな?

糸色文寸糸色文寸糸色文寸糸色文寸絶対にアホみたいに軽い体が感じないぐらい軽い服ってとっくの昔に作れるはずなんですよ。マナカナが大学を卒業する時代です。でも、そんな服になんか意味がないから作らない。体表を刺激して体の輪郭を意識させて自分と世界の間にはATフィールドがあると思って安心させてくれない服になんか意味がないんです。

 

僕は靴ヒモをギューギューに縛ってATフィールドを発動させてATフィールドが何なのか分からない人は勝手にGoo-netで検索してほしいんだけどGoo-netで調べたらATはオートマ車のことでした――――――――!!!!!!!!!!!!!

Goo-net以外で検索してほしいんだけどATフィールドを発動させるがために服を着てて僕が守りたかったものは色々あってそのうちの1つが、「アートを解するセンスが全くない」こと。

 




鈴木康広さんについて

 

ブーブー。週刊風とロックのスタッフブログで勢いで宣言しちゃったブー。まずはそのテキストも見てほしいんだブーhttp://blog.magabon.jp/kazetorockブー。豚が時として愛される理由はブーと鳴くという仮定の元にイメージを作り上げるからで本当はガゴッガゴッと鳴くことを知ったら永遠に汚らしいものの代表であり続けるハズで、そうなったら僕が豚を守ってやろうと思うけども数ある守りたいモノの中からなぜに僕がアートについてウニャウニャ言いたくなったのかというとラジオ風とロックに鈴木康広さんがゲストで来たから。箭内道彦人生最初で最後の個展『クリエイティブディレクター箭内道彦の漂流』の展示空間演出を担当したっつーか突然呼ばれて任せるとか言われて丸投げされて見事に合気道でピョーンと遠くへお飛ばしになったのが芸術家という意味でのアーティストであり東京大学先端科学技術研究センターというロボコップが手からシャキーンって出すメタル針クラスの先っちょ感バリ針のセンターの先生でもある鈴木さん。

 

彼はワケ分かんない物を作って分かんないヤツには分かってもらわなくて結構愚民どもが、みたいなコトでは全然なくてとにかく人とのコミュニケーションを欲する芸術家だった。世の中に普通に存在するものが大好きで共有したくて共感したくて箭内さんが『世界一寂しがりのアーティスト』と呼んだ理由はそこなのかもしんない。受け取ってくれる人、投げ返してくれる人がいるからこそアートが成立すると。「チャックを開けたり閉めたりするのって楽しいですよね」って言いながら手を上下させる鈴木さんを見ながらズボンのチャックを上下させなくて本当によかったと思いながら。

 

鈴木さんのアートはコミュニケーションを求めて走り出した。

箭内さんの広告はメッセージを求めて走り出した。

 

2人は出会った。そりゃ出会うわな。スタートはどこだって良くて同じ志を持って走ってれば出会わなきゃいけない人には必ず出会う。運命論でもなんでもない。運命なんか信じた事もない。ただの地図上の交差点の話。

 

2人の話を聞いてて久しぶりに僕のコンプレックスが腋の下から顔を出してしゃべりだした。

「僕、昔っからホントにアートに関するセンスが一切ないのがずっとコンプレックスだったんですすすすす!!!!」

「いいねーその話。じゃあ月刊とかで書いてよ」

「……ガゴッガゴッ」

 



アートと私

 

僕にはアートを解するセンスが除毛ホットワックスかけたてのデリケートゾーンよりも根っこから欠けている。と自分ではハゲるくらい思っていてつまりはアート周りの人たちに対してものすごい対抗意識という名のコンプレックスがある。お、お、おでのほうがすげーんだぞみたいな。自分の得意分野と相手の不得意分野を並列してほら俺のほうがすげーだろっていうのはよくやっちゃうパターンでそれは僕とホットワックスのどっちがベトベトしてないか対決の開催ぐらい意味がない。

なので僕はアートのことは1ミリも分からないセンス無し野郎であると喧伝してきて自分にも言い聞かせてきた。絵やら映像やらに出会っても、それが良いのか悪いのかの判断は絶対にしなかった、アートチームにバカにされるのがイヤだから。カッコ悪さのカッコ良さみたいなことを考えるのも無駄な気がしてやめた。

シャレてるとかセンスあるとか勘弁してほしい。しゃらくささの押し売りで僕を不快にさせないでほしい。もはや大好きなんだろお前っていうぐらいのレベルで大嫌い。大ツラい。

 

僕は『オモロイ/オモロクナイ』でしかアート群を見ることがなくなった。

絵とか見て爆笑するの好き。変な彫刻とか見てコントの設定考えたりするの好き。それは本当に僕のやりたいアートとの接し方か。ひねた視点は自己防衛の結果か。『センスがない』という謗りから自らを守ったか。アートの才能があることだけがなぜそんなにも全方位に偉いのか。

 

…という文章を風とロックのスタッフブログに書きました。良い悪いは言わない。好き嫌いも言わない。面白い面白くないなら言っても大丈夫な気がする。外野の意見として聞き流されうっかり勘違いリスペクトされたりしてノーリスク。なぜアートっぽい=オシャレだけが完全に等号で結ばれるのか。僕はオシャレじゃないか。これは持たざる者の遠吠えか。オモロイかどうかは笑いの質と量で測れるけどアートとしていいかどうかなんか判断が分かんない。フワフワしすぎててそこはセンスじゃん?みたいな感じがどうしようもなくフワフワする。

 

 

マティスというフランスのオッサンがいます。もうとっくに死んでますけどフランスの芸術家です。野獣派とかフォーヴィズムの代表とか言われてる人です。僕はこの人の作品が結構好きです。数年前にあったマティス展とかも観に行きました。アート臭くて恥ずかしいですけど、観に行く理由はただ1つで、オモロイからです。絵もアホみたいな切り絵とかアホかと思って結構楽しめますけど僕が好きなのは彫刻で”大きな座る裸婦”っていうのがあるんですけどコレがどう見ても女のカタチをしたマッサージチェアにしか見えなくて両乳がどう見ても背中をグリグリ押すヤツに見えてどっかボタン押したらこの両乳がウィンウィン言いながら上下に動くんだと思って面白くてしょーがなくて美術館の展示室の真ん中でアハハハと言った記憶。

ブロンズか何なのかは全く覚えてないけど女の人の背中を彫刻にしていく過程が5連続みたいな感じで並んで丸ごと作品になってて連作『背中』って言うRASHEENですけど、1個目はお前はマッスルミュージアムかみたいなバケモンみたいな背中で段々それが彫り進められていってオチの5個目まで行ったらスルメみたいなのがぶら下がっててマティス削りすぎ――――――――!!!!!4個目で終わっとけ終わっとけ-―――――――――!!!!!とかもうホントに面白くて面白くて何度も前を往復してしまった記憶。

僕のアートの見方なんてそんなもんです。僕の中のオモロセンサーが反応しないなら興味がない。砂浜の真ん中に石ころ1個置いて『無題』とか言われたって何ワケ分からん感じ狙っとんねんと思って無視します。

僕にとってのアートは、そんなもんです。いくら自慢げに語っても何か悲しいどこか寂しいなぜかしら。

 

アートは崇高なものである。アートはワケ分からんものである。アートは難解なものである。だったら僕は、アートなんか要りません。

 

 

 

アート臭い女

 

コレは才能だの何だのとは無関係に、育ってきた環境でそうなるんじゃないのか。アートを解する能力というかアートをアートだと受け入れられるような人間になるためには環境が重要なんじゃないのか。そう思って倒立ブリッジをしながら振り返ってみると確かにそう。10代20代とアートなんかとは無縁の日々を送ってまいりました。

ならば聞く。身の回りで1番アート好き好きオーラを出してる人をとっ捕まえて人生を語らせます。現在進行形でアート臭い妻子持ちの男にとっ捕まってトルネード不倫続行中の20代後半女子です。

ではインタビューの模様をどうぞ。

 

-あなたのアート人生を極限までさかのぼってください。

「中3ぐらいのときにスチャダラパーに出会って、その時は単純に好きで聴いてたんですけど、高校に入ってスチャの流れでコーネリアスに行ったんです」

-渋谷系すか。俺カヒミ・カリィとかしか分かんないけど

「カヒミ・カリィとか大好きでした」

-そんな渋谷系からファッション方面にも行っちゃったりしたんすか。

「ファッションには行かなかったですね。私がファッションに目覚めたのは、完全にPUFFYです」

-あー…そうですか。ジーパンTシャツバッチリメイク的な。

「ええまあ」

-渋谷系とか都会のオシャレとか、アート、とか、そっちを選ばない選択肢もあったわけじゃないですか。

「とにかくオシャレぶりたかったです。高校生のときは特に。あのー…これ私、身元バレないですよね」

-バレないバレない。で、高校を卒業して大学入りましたと。

「高3のときにBOSSのCM見てカッコイイなーと思ってCMプランナーを目指そうと思いました」

-高校生でCMプランナーとかいう職業知ってる時点でスゴイわ。俺芸能人とサラリーマンと公務員以外知らなかったもん。

「で、そういう映像を学べる大学受験したんですけど落ちて、普通の大学に入りました」

-ってことは、結構ヒネくれたサークルとか入ったでしょ。

「8ミリ同好会っていうのが…」

-ほら当たった!!!!

「…ここの人たちがスゴくアート臭いっていうか…アート好きで、先輩とかみんなギャルソン着てて…」

-そこでドップリとアートに浸かったわけですな。

「男子とかそういうアート知識が広くて、そこで色々教えてもらったのは大きいです」

-やっぱゴダール最高みたいなコト薄暗い部屋で言ってたりするんすか。

「言ってました」

-え、マジで言ってたの?!! 俺正直、何がイイとか全く分かんないけど。分かってた?

「分からなかったです。でもアートってそういうもんだ、っていうか、むしろ理解できてない自分が恥ずかしかったです」

-へー…そういう集まりってさ、どんな感じでアートの話とかしてんの?

「お互いの好みの批判とかは絶対にしませんでした。これ知ってるー?とか知らない、今度貸してーとか、そんな雰囲気で」

-女子とかは長い黒髪センター分けみたいなね。

「いましたいました!まさにカヒミ・カリィみたいな超カワイイ女子とかいましたよ!お手本でした!」

-…その頃ハマってたアートって何すか。

「レイモンド・ペティボンっていう人が好きで、ソニック・ユースのジャケットとか描いてる人なんですけど個展を観にオペラシティに行ったりとかしました。あと、リブロでアート書を立ち読みしてみたりとか…」

-あー…あの落書きみたいなヤツか。このジャケ好き、の先に行けるモチベーションは何なんすか。アート書立ち読みとか。俺スピリッツは買ってヤンマガは立ち読みとかですよ。

「そのアートを知ってる人たちで、知ってる知ってるーとか、いいよねーとか、そういう会話がしたかったんです。あと、仲間内でしか分からない絵をプリントしたTシャツとか作って、あ、それ知ってるーみたいなのがすごく楽しかった。」

-ごめん、正直な感想言うと…暗くね?

「あ、暗かったです。全体的に」

-あー…そうねー…彼氏もアートな男子だったですか。

「超アート男子でした。地方出身っていうコンプレックスがすごく強い人で、その反動で必死でアートとかオシャレの努力しててほぼ完璧でした。」

-分かるわー…オシャレ頑張ってるのって、大体地方出身者だもんね。

「でも、その彼氏はオシャレとか追求してクラブ通いとか始めちゃって…YELLOWで革パン、ジャケット、ピンヒールみたいな分かりやすい女に盗られて終わりました」

-あー…アート系女子が1番弱いトコじゃないすか…女を武器に、みたいなの弱いよね、あんたたち。

「やってやろうと一瞬思ったんです。セクシー方面で見返してやる!と思って1ヶ月で4キロ痩せたんですけど、4キロも痩せたのに鏡を見たら相変わらずの体型で、正直あきらめました」

-太ってるがための、消去法アート系でもあると。

「あんましハッキリ言わないでください」

-で、アナタ、現在進行形で、またアート系デザイン系の妻子持ちと性懲りもなく泥沼ってるわけじゃないですか。

「これ身元バレませんか?」

-大丈夫大丈夫。でさ、アート臭い男の具体的にどういうとこが好きなわけ?

「レコードが部屋にビッシリ、みたいなの見るとキュンキュンします」

-家具がオシャレとか。デザイナーの名前いっぱい知ってるとか。

「あ、そういうのは知ってて当たり前、みたいな」

-オタクでしょそれ。

「大メジャーも好きで、でも誰も知らないマイナーなアーティストも好き、みたいな幅を見せられるとたまんないです」

-マッチョとか胸毛とか嫌いですよね。

「あ、すごい苦手です」

-アナタにとってダサいものって何すか。

「…TUBEとか?何か意味の分かんない満面の笑みとか苦手です」

-アート系の意味の分かんない悩み顔とかは許せるんですよね?

「はい」

-アナタにとってアートって何ですか。

「難しいですねー…」

-テレビとか見ますか?

「テレビは見ますけど、テレビの中に映ってるものはアートじゃないと思います」

-へー…画面の中で起こることはアートじゃないですか。

「本、雑誌、インスタレーション、デザイン…とかですかね。テレビに映されるとアートだとは思えない」

-もう1回聞きますけど、あなたにとってアートとは何でしょうか。

「…新しい、まだ見たことないものを見せてくれるもの」

-…は、全部アート?

「だと思います」

-TUBEのニューアルバムは?

「……」

-妻子持ちは新しいものを見せてくれるんですか?

「その話も書きますか?」

-それはまた別のチャンスで。

「お願いしますやめてください」

-大丈夫大丈夫。



 

逆にアート

 

彼女は最後に、自分の1番大好きなアートを紹介してくれた。ヘンリー・ダーガー。両親と死別して10代の頃からずーっと引きこもり生活を送って自分の部屋で妄想切り抜き絵を描き続けて80歳を過ぎて死ぬまでずーっと1人で描き続けて死んだ後に作品が発見されたような人。妄想だけ。少女に会ったことがないから女の子にチンコ付いてたりする。残虐とかグロとかそういう感覚すらないから平気で人がぶっ殺されて内臓ブチャーだったりするらしい。よく知らんけど面白そう。気になる。すごく誤解を恐れずに言えば、狂人のアート。めっちゃくちゃ。

 

「でも、そういうのが逆にアート、みたいな」

 

でた『逆』!!!!!!!逆ってどこ!!!!!!倒立ブリッジしたら見えるのか!!!!!!正方向のアートって何!!!!!!代表例教えてくれ!!!!!!!!

興奮してジーパンのチャックをひねり潰しましたどこ触ってんだお前。こんな大事なときに。

カッコ悪さが逆にカッコイイ。醜さが逆に美しい。下手さが逆にイイ。僕、カッコ悪さのカッコ良さとかを語るヤツがすっごい苦手で、カッコ悪いのはカッコ悪いんだよとことんまで。それを何故あるがまま見つめずにグリンとカッコイイことにしないと愛せないのか。自分も相手も糞ダサイままでいたっていいんじゃねーのか。

何かもう分かんなくなって思い余って誰彼構わず周囲に質問を散らかしてみた。「貴様らにとってアートとは何だ」と。

 

「アートとは性の対象でしかない」うるせー!!!!答えそのものがしゃらくさ過ぎて意味分かんねーんだよ!!!!

「音楽はセクシーでなくてはならない」うるせー!!!!アートに音楽混ぜたらまた俺がややこしくなる!!!!

「フランス映画の醍醐味は会話が前戯であるとい」うるせー!!!!それがフランス映画をすごくアートっぽく見せてハリウッド映画がアートっぽくなく見せていると世間で言われている理由であることを示しなさいよね!!!!

 

…ダメだ。誰に聞いても何を読んでも納得できない。アートの解放とかよく分かんない。どの城壁のどの扉を開くんですか。

 

この世の全てをアートとする。

この世にアートなんか存在しないこととする。

 

僕の答えはこの2つのうちのどっちかしかないです。この2つ以外が正解であれば、僕にはもう一生理解不能です。

 

 

 

広告とアート

 

アートは広告をバカにしている。広告はアートを見て見ぬふりしている。箭内さんはそう言っていた。

お金がからむから。人からの依頼がないと作れないから。万人に受け入れられることを志向するから。制約があるから。

アートにだって値段は付くし、教会の依頼でルネサンスの壁画は描かれたわけだし…とか、また袋小路だけども。

珍しくメダパニです。でも、さっきとちょっと意見変わった。

 

コミュニケーション。

 

アートっていうのは、『私』と『アナタ』の間にあるものと、間にないもの。それが全てじゃないですか。

『私』の中からアウトプットされたものは、誰がなんと言おうと、『アナタ』に向かって飛んで行く。見せたくないよと叫んでも。

『私』がいくら想像したって妄想したって、『アナタ』の中身を知ることはできない。絶対に。

僕たちができることは、『私』という世界と『アナタ』という世界の間で擦れたり飛び交ったりぶつかったりすれ違ったりすることで、アートはきっと、その中にしかない。

 

コミュニケーション。

 

I vs the world.

 

世界っていうのは『アナタ』のことで、もっと言えばアナタがいてこそ初めて、2人の間に世界が生まれて、アートだろうが何だろうがそこにしか何かは生まれない。

 

『アナタ』を求めて飛び交うものは、全てアートです。だから広告だってアートです。強くアナタを望む広告は、良いアートです。あんましアナタを望んでない広告は、あんまし良くないアートです。

こんな結論でいいすか。まとめとしては、アートとか言ってあんましデカイ顔すんなよ。僕もデカイ顔するのはやめるから。「それいいじゃん」って言い合いましょう。