ラクガッキー

 

絵心がない、という自覚の、なんとほんのりした恥ずかしさであろうか。

 

上半身も下半身も幼きころ、近所の商店街で、お絵かきコンクールが開催されていた。父の日と母の日とヒヒの血とヒヒの歯に(©吉田戦車)。父の絵と母の絵とエエの血とエエの歯を。

On母の日。僕は母の顔を描いた。A賞に入ると商店街で使える500円分のクーポンがもらえたからで当時の僕には500円は大金だった。

モノを描くとき、輪郭を黒でグリグリ描くとダサイ。保育所でのクレヨンお絵かきで唯一得た絵に関する知識をフルパワーで発揮して、色鉛筆の肌色をファーファーシャシャーと走らせ、半透明のオカンを完成させた。別に巧いとは思わん。しかし見よ商店街のオッサンども。このメレンゲのごとく淡いタッチを。良いだろうが。A賞あげたくなるだろうが。

 

B賞でしたB賞とは参加賞のことです。

 

ビビビB、ビビビビBビビなぜだ――――――――――商店街のオッサンども――――――――――――!!!!!あのウスバカゲロウのごとく儚いタッチがなぜ分からんか――――――――――――――!!!!!

 

負けない。商店街のオッサンには負けない。僕は貼り出されたA賞の絵たちを三白眼で眺めた。

A賞の特徴。全体的に荒削りで、なんだったら油性マジックでゴリゴリ濃い目に塗ってあってワイルドスタイル。ゴーギャン的な色味。ゴーギャンって誰だっけ。まあいいや。そうか個人事業主ども。色鉛筆が気に食わんか。見てろ父の日を。

1ヵ月後、僕は父の絵を描き始めた。極太油性マジックを持ち出し黄色がかった肌色であるところの父親の顔色を脳内から廃棄し茶色一色でゴンゴンに塗りたくったそれはそれはハミ出すほどに。そこにはニコリともしないタヒチの松崎しげるがいた。いける。A賞いける。このワイルドチャイルドならぬワイルド茶色。

 

B賞でしたB賞でしたB賞とは参加賞のことなぜだ――――――――――――――商店街のオッサンども――――――――――――!!!!!お前らこういう感じが好きなんじゃねーのか――――――――――――――!!!!!

 

踊らされちまった...商店街に...心を引き裂かれちまった...商店街に...心をなじられちまった...A賞には、淡い淡い色鉛筆タッチのオトンが並んでるじゃないか...なぜなんだよピーピーピー。

B賞の賞品である飴2個を手に膝をついた僕はそのとき気づいた。人の顔色伺って何か創ったってしょうがないということと、僕には絵心がまったくないということを。

 

絵心がない、という自覚は、僕を臆病な漫画の模写に走らせた。

薄いトレースペーパーみたいなのを買ってきてキン肉マンのコミックの上に乗せ、上からラーメンマンやモンゴルマンをそっくりそのままNAZOLだけの毎日。漫画とそっくりに描けたニヤリ。人には見せない。教科書に書き込む落書きにさえ自分の下手を感じ人には見せない。

 

落書きは自分でやりたいときにコソコソっと1人でやってればよくて人に絵を見せるのは絵心ある人だけでよくて。そう思ってた。そして時とともに忘れてた。

 

あれから僕も数々の闘いを経て皇帝にのしあがったり革命にあって首を落とされたりしながら昨年。10代のモデルであり女優であるAちゃんと仕事をすることになって彼女がやってきて最初の打ち合わせをした。仕事内容の打ち合わせなんてたいてい10分以上やる意味がなくて残りの50分くらいはひたすら雑談してたんだけど、プロフィール見たら趣味特技の欄に『イラストを描くこと』と書いてあった。カワイイ新入女性社員を目の前にした時のお局OLのごとき羨望と嫉妬のまなざしを送りつつ、30代が10代に言ってみた。

「イラスト好きなんだー何か描いてみてよ」

「えー何描こうかなー...あ、最近開発したニューキャラ描く」

ピンポーン。寺井さーん。お届けものでーす。ピンポーン。ピンポピーンポーン。寺井さーん。お留守ですかー。寺井留守...と。公衆の面前でイラストを描くことに何のてらいも無く彼女はかわいらしい生物を沙羅沙羅と描き始めた。ええのー絵が上手いって。僕の目が蛇女のようになりまぶたが横から激しく開閉するのを確認したのかしないのか、彼女は少し照れくさそうに続けた。

「イラストって言っても落書きですけどね。好きな落書きを最近お仕事で描かせてもらえることが多くてうれしい」

細胞膜に包まってー3分間で40!!!!!!!!!!!!!!!

MY HISTORY OF ド下手落書きが完全フラッシュバック!!!!!!!イラストならまだしも落書きと認識していながら朗らかに描き人に見せる彼女の微笑みのなんと穢れなき琴代ちゃん!!!彼女の名前は琴代ではありません!!!

 



 

 

ラクガキトイウイイワケ

 

アジカンの脳裏にはあの日の未来がフラッシュバックしたが僕の脳裏にはあの日がフラッシュバックした。

ヤナイミチヒコという金髪(当時)でプヨッとしてる(当時)人と一緒に仕事をするようになったまだ最初のころ。無知な僕は出会ったあとで箭内さんが超絶的にデッサンが上手いという情報を入手した。NYから転勤してきたデキル女部長を目の前にした時のお局OLのごとき羨望と嫉妬のまなざしを送りつつ、30代が40代に言ってみた。

「箭内さん、デッサン超上手いらしいじゃないですかー。パンダ描いてくださいよ」

嗚呼それはねたみ。ねたんだ私にねたまれた金髪の人はすごく恥ずかしそうにパンダを描き始めそれはリアルパンダともドーピングパンダともかけ離れたイラストというか...落書きだったぜin your heart. ごめんなさい。まさかこんなタイミングで若造に自分の画力を試されることになるとは思いもしなかったことでしょう。箭内さんが『自分の絵はただ巧いだけで、魂がこもってないから芸大に落ち続けたんじゃないか』と苦悩したという多浪話はその直後に聞いて、『巧いもの』を『巧いだけ』みたいな評価をする人は日本にたくさんいて世の中には『下手なだけ』のもののほうが圧倒的に多いのになぜ巧いものが批判されるからというと嗚呼それはねたみ。一般グ日本グ社会において、「ホラ、俺ってスゴイだろ!」「ホントだ!スゴイね!」という会話が皮肉抜きで成立することってなかなかなかなかなか(この辺りからカナカナゼミ)なかなかなかなかなくてなぜ箭内さんは、フニャチングパンダを描いたのか。今となっては改めて電話して聞くのもどうかと思うので憶測でモノを言うけど恥ずかしいのかしら。違うかしら。でも「どうですか、僕結構巧いでしょ」と胸を鳩のように張って言える環境を作ってこなかった僕たち私たちのせいで、上手下手を問わず自分が思うさま創ったものを他人に見せる環境は確実に少ない。よってわざと下手くそ目に書いてアハハと言ってしまうわけで。

「いやーラクガキですから」

そんなイイワケをしてしまうわけで。

 

ラクガキを人に見せたくなかった僕。ラクガキとイイワケすることによって人に見せることができた箭内さん。ラクガキだよ見て見てーと屈託なく笑うAちゃん。ラクガキって何ですか。上手下手を乗り越えて思うさまに書き殴ったものとは、つまり初期衝動そのものじゃないですか。

パクリも恥も世間体も超越した脊髄反射的なアウトプット、その初期衝動にこそ僕が求めるクリエイティブは必ずあるはず!!!!そんな風に思いまして。

 

 

 

落書きが生まれる瞬間(とき)

 

アタイの肉体(からだ)の上を通り過ぎていった落書きたちの痕跡は探せばいくらでも見つかるけども誰かが落書きをしている決定的瞬間にお目にかかることが最近少ないね。みんなパソコンだもんね。ペン握ってるやつのほうが少ないもんね。こういうときに役に立つのがサブ作家という人種で、彼らは『私らだって頑張ってんだよ』という全く意味のない愚痴以外を生産しないことで知られているけれどもペンでメモを取る。電話でリサーチしたり会議で指示を与えられたりしながらペンでメモを取る。今年26歳になる女性サブ作家の後ろをチョロチョロするという非生産的行動をしてみた。

電話している。電話を取りながらメモを取っている。

紙の端っこに、gurugurugururuと丸を書き始めた。やった!!ついに落書きが始まる決定的瞬間をLIVEで押さえた!!

丸は何重にもguriguriguririとなぞられて濃きこと泥棒の口の周りのごとし。コキコトって何ですか。ソトコトのエロ本バージョンですか。限りなく正解に近いブルーですね。ソトコト知らない人はむしろ知らないままでいてください、この文がきっかけで手に取るとか最悪なんで。

ソトコトは棚に戻してサブ作家のお手元。はぁはぁと適当な相槌を打ちながら、グリグリサークルはさらに濃さを増していきそして手が止まった。

丸の上に三角を2つ。耳だ。丸の中に点を2つ、曲線を1本。目と口だ。ヒゲを描いた。体を描いた。猫だ。猫を描き終わったところで彼女のはぁはぁはヒィヒィに変わることは一切なくヘェ?に変わり、また新たなブラックサークルを描き始めた。似たようなグリグリサークルから猫、犬、馬、ライオンとにかく数々の畜生が生まれだす。メモ用紙が東京ムツゴロウ王国withoutムツゴロウになっていて電話が終わったので僕は彼女を捕まえて話を聞いた。

「なんで動物描いた」

「どーでもいい話聞いてると、手が遊びだして、丸をグルグル描いちゃうんです」

「なんで動物描いた」

「丸を見てると、何か顔にしなきゃいけない気持ちになってきて、顔足しちゃうんです」

「なんで動物描いた」

「いっぱい丸を描いてると同じ物描きたくないじゃないですか」

もうこの辺りから彼女の話はほとんど聞こえていなくて僕の脳は昔のタンスを開けていた。以下、かつてどっかのゴミ捨て場で拾った知識。

 

コドモの落書きは成長に従って段階を踏んで変化する。

最初は腕を左右に往復させるだけの『線』。

その時期を過ぎると、コドモは『丸』を描き始め、次第に表現する欲求を『丸』に見出し始め、それはやがて人の顔の輪郭として利用されるようになって目鼻口らしき『線』や『丸』をその中に書き込んでいく。

 

なんだ。ガキの頃から何も変わってねーんじゃん。

 

とりあえず手が勝手に円を描き描き描き描き描きコレは何?脳みそを通過しない無自覚な初期衝動が目からインプットされて表現が始まる。マッチポンプのようであり神様からの贈り物のようでもあり。考えずにとりあえず描くこと。それがクリエイティブの第一歩か。やはり。

 

 

 

クリエイティブ落書きとオッサン落書き

 

かつて漫画家を志した同年齢の男がいて現在はほぼ同業者である。おぼっちゃまくんを描くのが異常に巧くてなぜおぼっちゃまくんを描くのが異常に巧いことを僕が知っているのかというと彼はいつも描いているから。おぼっちゃまくんを。それは手持ち無沙汰だとかヒマだとかそういう範疇をドーピング並みにオーバーしていつも描いている。4月改編にともなって、どのタレントを起用するのか。どのアーティストとコラボするのか。今年中にデカいイベントぶっ放すとか。そういう極秘中の極秘書類の表紙にだって大々的にヘケケと笑っていたりする。これは何だと。ヒーコラヒーコラバヒンバヒンかと。

問うてみた。

「なんでおぼっちゃまくん描いた」

またさっきみたいなつまらない問答が続くのかと思った瞬間、彼のhitomiは真実の光を帯びた。

「なんでおぼっちゃまくんを描いてるか、言ってあげようか」

「気持ち悪い」

「確認だよ。俺はいつものように同じものを描いて同じような出来で描ける。それを目で確認して精神の安定を得たいんだ。だから不安なときはいつも同じ落書きをする」

「カッコつけてんじゃねーよ、32にもなっておぼっちゃまくん描いてるくせに」

僕はそう言いながらも落書きには2つあると思った。

『オッサン落書き』と『クリエイティブ落書き』。

『オッサン落書き』は、消えない落書き、過去にしがみつく落書き、同じ落書き、楽しくない落書き。

『クリエイティブ落書き』は、消え去る落書き、その場限りの落書き、忘れる落書き、今の自分を楽しませる『楽書き』。

今の自分はさっきの自分とは違う。今この瞬間の自分をニヤニヤワクワクウヒウヒさせられるのかどうか。それだけのスタートダッシュがないなら、持続する意味だってないと思う。今を書き捨てる。それもクリエイティブへの一歩。

 

 

 

トッピング落描き

 

かつて『トリビアの泉』で、『中学生の教科書で一番多い落書きは?』みたいな調査をしていたことがあったけど順位忘れたし引用する気もないしランキングには日本国内の蚊の数に興味がないのと同じくらい興味ないので割愛するけど落書きといえばやっぱ教科書。教科書に落書き、というセットはあまりにも当たり前すぎるからこそ当たり前すぎて気づかず口笛吹いて歩いていった、知らない子がやってきて、遊ばないかと笑って言った。断る!! 断った末に残された事実、それは顔。1位から10位まで軒並み顔周りの落書きというか教科書の落書きは顔。国語と歴史の教科書に載っけられた肖像画というか顔の数々に致したグリグリというか顔。それこそが中学生にとっての落書きのすべてってことか。前述の話からすると、顔または顔らしきものが紙の上に乗っかっていれば目クソ鼻クソ口クソを自動的に描いてしまうというか、何でクソを3つも挿入しちゃったのかというか、口クソって本当に、イヤです。

 

既存の顔(を含む顔らしきもの)に、ついつい筆を加えてしまう作業。これを【トッピング落書き】ということにしよう。僕は食に関して相当考えるのめんどくさがる方なのでラーメンとか食いにいっても全部乗せか何にも乗せないかのシーソーゲームなんだけど【トッピング落書き】ということにしよう。

 

「オリジナルじゃないじゃん」「落書きそのものじゃん」「何も生み出してないじゃん」

文句三兄弟の都合6本の足をまとめて足払いしたところで木の実ナナのごとく両手を腰に当てて改めて問おう。何も生み出してないとはどういう状況か。答えは後で。まずは【トッピング落書き】の実例から。

この春高校を卒業したばかりのお嬢様女子高生に頼んで、使わなくなった国語の教科書を見せてもらったら案の定やってたよお嬢様のくせしやがって(←言葉責め)あぁ?!恥ずかしいなーお嬢様がこんな落書きをよー(←言葉責め)

 

1:悩み無用 (正岡子規の場合)

 

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毛がなければ、毛を足す。ある種の定理のごとく発動する落書きスタイル。子規はその死後、何千万回となくフサフサとなった、教科書の中で。悩み無用だな、子規よ。しかもSALASALAじゃないか。良かったな。

 

2:キャラ変え (与謝野晶子の場合)


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才気あふるる大人の女性。ただそれだけの写真なはずなのに嗚呼ヤンママ。ヤングなママなのかヤンキー臭かほるママなのかどっちでもいいけど族上がりのオンナは結婚してもこんなに目元しっかりメイクなのか、いやむしろ申し訳ないとこっちから頭を下げたくなるほどのドすっぴんなんじゃないか、その辺はお嬢様女子高生の生活カテゴリーを逸脱してのこのメイク。つーか晶子こっち見んな。

 

3:ちょけ (山崎正和の場合)


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日本を代表する劇作家であり評論家であるところの山崎先生はヅラをかぶってマサカズサンバ。友達に無理やり女子の部屋に連れ込まれて先生の見回りで1人だけ見つかった修学旅行の男子のよう。「おいお前!ふざけるのもいい加減にしろ!」「僕じゃないんです僕じゃないんです」哀しきちょけっぷり。ちょけるってふざけるっていう意味です念のため。山崎先生には何の罪もない。

 

4:別人 (加藤周一の場合)


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赤はあか―――――――――――――ん!!!!ガチャムックって。9割がたムックじゃねーか。つーか誰だっていいんじゃねーかよ。もはやただの土台と化してしまった加藤さん。もっとどーでもいい土台はいないのか。文化人代表みたいな作家さんがなぜガチャムック誕生の人柱とならねばならんか。

 

 

この落書きをした彼女が、かなり面白い感覚を持っていることは、実は今回の話とはそれほど関係ない。誰でも、自分の昔の教科書を探せばトッピング落書きは必ずあって、それはヒゲ書いたとかデコにキン肉マンのマークを書いたとか眉毛をつなげたとかその程度の代物だけども巧いとか巧くないとかセンスがあるとかないとかそんなことどうでもよくて、大切なのは自分を楽しませるためだけにこの落書きは生まれたんだってこと。何を生み出したのかと言われたら自分のニヤニヤを生み出した。クリエイティブってまずはそこから始まるんじゃないのか。自分が面白くないものを人に見せようと思うか。自分が面白くないものを面白そうに続けることなんてできるのか。そしてその誕生のきっかけとして人の顔(及び顔らしきもの)が機能しているんなら教科書は未来永劫写真を載せ続けるべきなんじゃないのか。つーか、肖像画と写真だけの教科書とか作った方がいいんじゃねーのか?

 

 

 

落書き公開

 

僕の大学のサークルの後輩ですっげーカッコ良くてオシャレでスポーツ万能でモテないワケないだろうみたいなヤツがいたんだけども、ある日突然、真っ黒のポリ袋とアコギ1本だけ持ってスリッパで大学にやってきて『今日から俺のことを九条漣と呼べ』と言って、僕らが練習してるのを尻目にベンチでアコギをかき鳴らして九条漣のテーマソングをデカイ声で歌い始めた。くじょう・れん。何じゃそら。頭のネジが全部野菜スティックになってしまったとしか思えない彼は、大学構内中のトイレにマジックで落書きしまくった。『九条漣LIVE!!』いつどこで!!!落書きの内容がカミングスーン過ぎる!!!!!そしてヤツはカミングスーンどころかその後半年間大学に来なかった。

 

34組 ○山▲子 すぐヤラせる 090-xxxx-xxxx

かつての公衆トイレには必ず書いてあった落書き。今ではそれがゲイの出会い系掲示板になってる。

『ホモしたい奴 この個室に来い ノック3回が合図』

知らずにうっかり3回ノックした自分を想像しただけでオデコにクリリンみたいな点6つ出来そうですお師匠さん。解脱間近。

某局のトイレの大のほうに入ったある日、隅っこに消え入りそうな文字で「もうイヤだ」って書いてあって書いたのは多分どっかの制作会社のADとかでイヤなら辞めりゃいいのにと思っていた翌々日。その落書きの下に、『ガンバレ』っていう別の字が増えているのを発見した。何これ。ちょっとエエ話ってこと?出来過ぎたしょーもない触れ合いに冷や汗が出たので、『ガンバレ』の後ろに書き加えて『ガンバレンコフより』とか正体不明のグルジア人のメモみたいにしたい衝動が下半身丸出しの僕の下半身に走ったけどガマンしたよお師匠さん。解脱できそうです。

 

クリエイティブな落書きとは、書き捨てる落書き。その場限りの落書きじゃないかと先生言いました。じゃあ便所の落書きはどうなのか。クリエイティブなのか。クリエイティブなものもあると先生思うよ。

便所の落書きは典型的なウヒヒであって、匿名のローリスクの中、自己表現ができるというハイリターンを楽しむ典型的なウヒヒであって、社会ルールとかマナーを爪の白い部分くらいの幅で逸脱する行為を隅っこでちょこちょこやることによって小さな自己満足を得る典型的なウヒヒウヒヒウヒヒうるせ――――――――――――――!!!!!!!!!

便所の落書きは感動を呼ばないとかなんだとかそんなことどっちでもよくて今の自分を楽しませているのかどうかがすべてというか匿名での誹謗中傷が本当に自分を楽しませてるかどうかを考えればすぐに分かる。ウヒヒは楽しい。それは否定しない。それよりも僕が便所の落書きに持っている不満は書いている内容とか書いている行為よりも書いている場所に古―墳してるだけなんじゃないのか...ってこと。

 

とはいえ、この『ちょっといけないことやっちゃってるぜ』的ワクワク感は落書きの醍醐味でもあるわけだし、ワクワクがないところにクリエイティブなんかないと僕思ってるわけだし、それをキープしつつ初期衝動を公開しつつ自分も楽しみつつっていう方法ってないもんか。

ニューヨークスィティを拠点に活動するGRL(Graffiti Research Lab)という一味がいる。こいつらが開発したのが、『L.A.S.E.R.Tag System』っていうやつで、ヒトコトで言うと『大量落書き兵器』らしい。コレすごいよ。僕の興奮はネットとかで各自検索すると末吉なんだけども、まずは夜の高層ビルの壁に超大出力のレーザープロジェクタをピカーッと当てる。で、後はペン型のレーザーポインタを手に持って、ちょいちょいちょいとビルの壁に合わせて手元で落書きする。そしたら青白い超巨大な落書きが壁一面にデカデカとビヨーンって!!!!クリア押せば落書きは消えてまた書ける!!!リアルタイムで落書きを書き捨てまくり!!!!ビルにタギングする『いけないことやっちゃってる感』もバリバリあって、しかも夜のオフィスビルなら迷惑一切かかってない!!!!手元で生まれる思い付きの落書きが、初期衝動がリアルタイムっつーかタイムラグ一切なしで町中の人から見えるパフォーマンスに変化しては消えていく!!! 何で僕は無関係なアメリカ人の宣伝で文章を締めくくろうとしておるのか!!!まあいいや、いいもんはいいもん!!超楽しそう!!!箭内さんこれ広告で遊んじゃってください!!!!僕も下手なりに落書き再開します!!!